・外国人は日本の文化を学びたかっています。
10年以上インターナショナルスクール(大阪市北区中津)で
合気道を教えてきて
外国の父兄の方と接してきて、
外国人の子どもたちと接してきて
また、合気道のお弟子さん(外国人)や居合道の生徒さんたちと
付き合ってきて感じるところは
外国人は、日本の文化
禅
茶道
武士道
などの文化を学びたいという欲求は本気(ほんもの)です。
とくに禅はどれだけの書が外国語で出版されひろく読まれているかを
考えれば、
日本人よりも詳しい方が気の遠くなるほどおられます。
茶道も残念ながら
日本はだめです、外国人のほうが熱心というか
新鮮な心でお稽古しています。
10代~20代の若い男女がどれだけ茶道を習っているか
壊滅的です。
しかし、それを嘆くことはしません。
世の中には流れというものがあります。
17歳から表千家茶道をしていますが
今の町のお稽古場から千家の門下生も昔ほど多くはありません。
ただ数が多いからよいとは申していません。
「山高きが故に貴からず」
でもあります。
私は
むすびという武術文化を教えています。
このむすびは、「本気」という氣がレッスンでの
習得のポイント、決め手ですが
日本人は本気になるということが少し苦手な民族かもしれません
戦後においては
良い例が
「死」をタブー視して向き合おうとはしない人が多い
「憲法9条」というとアレルギー反応を起こす
「宗教とか神」についても同じ
「政治に無関心が多い」
「みんなと同じ」寄らば大樹の意識が国を覆っている
(ウクライナの件で少しは目を開きかけたかも)
本気というのは、
ひりひりする感じがしますし、怖いものですが
まずは、
慣れていないと(リアルじゃないと)いつまでもお花畑で
過ごしているのと同じです。
本気で怒ったことがありますか。
本気で愛したことがありますか。
本気で生徒さんを教えたことがありますか。
本気で仕事をしていますか。
本気で説教ができますか。
本気で自分を許せますか。
本気で隣人に接することができますか。
本気で戦えますか。
無理です。
出来ないのは、
柱がないからです。
ユダヤ教やキリスト教徒、イスラームには柱があります。
唯一神です。
しかしいまの多くの日本人にはそれがありません。
戦前はありました。
(善し悪しの話で申しているのでは)
多神教でもいいのです。
心の奥底に、いざとなったら核になる支え、根本が必要です。
戦争でもう、神の国は懲り懲り
それもわかりますが、
それでも縄文時代~日本の国民は
何かをもって生活していました。
アニミズムから始まった
和の精神
天皇の存在
今の時代が悪いというものではなく
すべては、変化の中にあります。
過程の中で時は流れていきます。