ウォーキングと旅行でのひとり言

秀吉の城下町 長浜 散策 その3




「元祖堅ボーロ本舗」の前からウォーキングを再開します。





黄色の線に沿って番号順に歩きます。


ここから、「妙法寺」の方へ向かいました。

途中に「片町」の表示板があります。





この場所に建っていた「西田天香さんの生家」。





長浜市生まれの宗教家、社会事業家、政治家。



ここからすぐのところに「妙法寺」があります。





ここには、豊臣秀勝の墓がありました。





秀吉の息子の秀勝の墓です。

秀吉の息子といえば、淀殿が産んだ鶴松と秀頼が有名ですが、「秀勝」と言う名の息子だけでも養子を含めて三人もいました。

秀勝:石松丸、秀勝:織田信長の四男、秀勝:姉の子

この墓は、石松丸になります。秀吉が長浜城主の時に、側室とのあいだにもうけた子。

6歳で死亡、この妙法寺が菩提寺になります。


次に北へ歩いて、大通寺の御坊表参道に向かいました。





大通寺の表参道です。遠くに、大通寺の山門が見られます。


この辺りは金屋新町と言っていました。(天正年間“1573年から1593年”から明治12年までの町名)

秀吉の城下町造営にともないできます。

金物商人が多く住んだことに関係していました。





金屋新町のあたりから表参道をとおし、大通寺山門を見た風景。


もう少し山門寄りに歩くと、









ハイキングコースを外れて、山門の近くまで来てしまいました。

ここから元のコースに戻って、「長浜八幡宮」を目指しました。



しばらく歩くと、八幡宮の鳥居に来ます。





長浜八幡宮は、平安時代の後期の延久元年(1069年)、源義家が後三条天皇の勅願を受けて、創建したと伝えられます。

戦国時代には、度々兵火にみまわれ、社殿はほとんど消失してしまいました。

1574年に長浜城主となった羽柴秀吉により復興されます。

秀吉の男子誕生を祝って、町民が曳山をつくったのが、長浜曳山祭の始まりだとされるそうです。


この一の鳥居をくぐって歩きます。





石灯籠がずらりと並んでいました。


境内に入りました。

天満宮です。御祭神は、もちろん、菅原道真公。








境内を歩いていると、「都久夫須磨神社(つくぷすまじんじゃ)」がありました。





水の女神様で、商売繁盛の神。

才色兼備として知られており、清明正直の心を持つ人には、加護を垂れ給う神様と言われています。

池の中の島に、この神社があります。

周りの池は、「放生池」と呼びます。

この池では、毎年8月15日に、奉納されている雨乞いの行事で、池の周りに幕をはり、かがり火が焚かれ、煙幕の中から龍の姿をした蛇が登場します。

蛇は和紙で作られます。胴体まわりが約1.3m、全長10mほどだそうです。



本殿に向かおうとして、二の鳥居へ歩いていると、鯖寿司の店を見つけました。





魚屋さんがつくった鯖寿司という張り紙があり、美味しそうなので、店に入ります。

まだ、昼食を食べていなかったので、さっそく購入しました。

外に出て、どこか邪魔にならない場所で食事をすることにします。


ウォーキングは少し休憩。
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