武漢ウイルス感染症(WARS)の死者は、わが国で約1.5万人になった。ご冥福をお祈りする。WARS流行で心を痛めるなか、更に痛ましい事故がおこった。千葉県で下校途中の学童が、酒酔い運転のトラックに轢かれて2人が亡くなり、3人が重症を負った。親御さんやご親戚の悲嘆は想像もつかない。運転手や運送会社の責任は大きい。通学路の設定も落ち度があった。残念だが、同じような事故がまた起こるのであろう。
どうすればいいのか。精神論は重要である。車は文明の利器であるが、一歩間違えば殺人道具となる。扱いには細心の注意云々という訳である。厳罰化も有効かもしれない。危険運転致死扱いとなれば、通常の交通事故(業務上過失致死)より高い量刑が課される。しかし、ヒトは過ちを犯すものである。事故は予定行為からの逸脱であるが、運転手に殺意や傷害の意図があった訳ではないだろう。
ヒトが過ちを犯す以上、ヒトを使った防止には限界がある。対応策には、①人が介在しない手段に切り替える、②人が誤りようのない構造にする、③万一誤っても重大な結果を避ける手を打つ、などがある。①は自動運転の導入、②は歩道の完全分離や通学時間帯の車両通行禁止、③はガードレールやハンプ(道路を一部盛り上げて速度が出せないようにする)の設置、などである。
長期的には①が望ましいが、今は現実的でない。しかし、②や③であれば、十分に可能であったはずである。特にガードレールについては住民から要望が出ていたと聞く。市も問題は認識していたが、財源の確保が困難との理由で未実施となっていた。予算の都合で安全対策を見送るというのは、お役所仕事の常套文句である。もどかしいが、当該する市や県がことさら怠慢であったとも思えない。
しかし、要は金なのか!財政健全化を謳い文句にして、公共事業は厳しく抑えられてきた。そのツケがこれである。通学路の安全整備に限らず、国内には整備すべきインフラが膨大に眠っている。少子化対策の観点からも、不妊治療の保険適応より、今いる子供を大切に育てることの方が重要ではないか。経済苦にある子供や望まない妊娠で生まれた子供もいる。金の用立てや使い途を再考すべきである。
今回のWARS流行では、感染症への安全対策の重要性を多くの国民が実感した。思うに、これは安全を旗頭に財政出動する好機である。交通事故や感染症への安全に限らず、天災への安全、サイバー攻撃や軍事的攻撃への安全など、やるべき事はいくらでもある。これらの事業で、30年間成長のなかったGDPを拡大することもできる。財源の問題は、政府の負債(国債)を日銀が買い取る形をとれば済むことである。
政府は「安心と安全の五輪」を開催するらしい。安全標語を五輪で終わらせず、「安全な生活」を築いてもらいたい。安全対策への投資は社会の富として子孫に残る。