武漢ウイルスが実は生物兵器だった、開発中のものが流出したなどと囁かれている。中国がウイルスを兵器として開発する可能性はあるが、今回のウイルスは、兵器にしては殺傷能力が弱い。中国はワクチンや治療薬を用意していなかった。
しかし、ウイルスに感染した人間は生物兵器そのものである。スペイン人がアステカ王国に押しかけた際は、銃火器を使うまでもなく、持ち込んだ天然痘で90%以上の住民が犠牲になったという。現代でも、感染者の押しかけに対抗できるのは、せいぜい入国拒否や隔離だけである。感染が明確でない「保菌者」であれば、拒否もできない。感染症の病原性があまり強くなくても、感染の脅威から国内の秩序が乱されてしまう。それに乗じて、侵略や政権転覆も可能だろう。孫子の兵法にも、奇策としてあるのではないか。
この考えを敷衍すれば、感染症の有無は関係なく、人間だけでも生物兵器となりうる。人間が移動してくれば、そこで独自の生活習慣をもった集団を展開し周囲を圧迫する。その生活習慣が先住の人々にとって不快なものであれば、その地は後から来たよそ者に占拠されてしまう。そこは法が及ばず、ますます独自の世界が栄え、いよいよ周囲へと更に拡散していく。人口爆発を伴えば、より強力となる。この状況に対して、侵略された側は暴力的に対応するわけにもいかない。相手はウイルスではなく、人間である。
歴史上も、移民や流民の侵入、民族の大移動が大国を滅ぼした実績もある。これらの侵略では、人間そのものが生物兵器であった。侵入・移動の際には別の生物兵器(未知の疫病)を持ち込んだこともあったろう。逆に大国が小国を併呑するときは、単純な暴力や自国民の大量移動という乱暴な手もある。しかし通常は、まずは珍品・金品を供して懐柔し、文化を浸透させ、やがてその社会の権力構造に入り込み、要人の籠絡、内乱の誘発などで国を弱体化させて切り崩す。このような企てを謀る人間こそ、究極の生物兵器である。
スパイや諜報部員は、この究極の生物兵器であろう。その手法は、盗聴や情報収集だけではない。人間関係を作り上げ、個人的な便宜を図り、時に金銭や性的誘惑などで罠にかけ、脅迫と宥めすかしで揺さぶる。この手法を社会の多方面で、多人数で時間をかけて行うのが、浸透(侵蝕)工作である。公に資金援助や利益供与を行い(その方が警戒心を持たれない)、政治・経済・文化の広きにわたり濃密な個人的交流を通して相互依存を深める。その人脈や金脈で自国に有利な政策に誘導し、武器で戦わずして勝利するのである。
過去にわが国を訪れた究極の生物兵器の例は、16世紀のキリスト教徒であろう。この宗教的脅威は、秀吉の慧眼により打ち払うことができた。しかし、20世紀の世界大戦では、この種の生物兵器に翻弄され苦杯を呑まされた。戦国時代には持っていた嗅覚を、日本人は失ったのか。そして今や、外国人が様々な局面で日本人と深い人的関係を築き上げ、国民に準じた権利(土地の所有権や永住権など)を享受している。これが浸透工作の一環であったとすれば、お人好し日本の結末はどうなるのか?
人間は究極の生物兵器となりえる。外来者は客人として迎えるにとどめ、常に距離を置き警戒することが肝要である。軒先を貸せば母屋を乗っ取られる。胸襟を開きすぎると、肺まで抉られる。