上高地はどうして出来たのか。この高地にこれだけ広い平坦な部分があるのは不思議な話だ。穂高と槍からの水を集める梓川は奔流となり、深いV字谷を掘り進むはずだ・・・。実際その通りだった。今と違うのは、流れは上高地付近を経由して岐阜県側(平湯温泉)に向かっていた。
約1.2万年前のこと、火山活動で焼岳の南に白谷山が生まれた。梓川の流れは堰き止められ、徳澤上流までの大きな湖(古上高地湖)ができた。その湖に大量の岩石が溜まり湖底はほぼ平坦となった。その厚さは大正池付近で約300mとされる。逆に言えば、湖ができる前は300mのV字谷になっていたのだ。
約6千年前には堰を形成していた松本側の山が崩壊した。梓川は松本側に流れ、湖水が一気に松本盆地を襲っただろう。約4千年前にも堰き止めと決壊が生じた。その崩壊部が今の釜ヶ淵の激しい流れだ。近年では大正4年(1915年)の焼岳噴火で大正池が生まれた。これも今や急速に埋まりつつある。
似た地形は日光にもある。いろは坂を登ると広々とした風景が広がる。2万年前のこと、男体山が噴火して古大谷川が堰き止められ、中禅寺湖と古戦場ヶ原湖ができた。中禅寺湖を堰き止めた崖は華厳の滝となった。古戦場ヶ原湖はその後の噴火や周囲の山の崩落で埋まり、今の戦場ヶ原の姿となった。
尾瀬も似ている。数百万年前から噴火と浸食が繰り返されていた台地に、数十万年前に燧ケ岳が噴火した。西に流れた溶岩は只見川を堰き止め、三条の滝と広い湿地を生み出した。その湿地が泥炭形成を経て尾瀬ヶ原になった。南に流れた熔岩や崩壊した山体は沼尻川を堰き止め、出来たのが尾瀬沼だ。
上高地の土台となるのは花崗岩だ。この花崗岩は、穂高付近のカルデラ噴火を起こしたマグマが冷えて出来たもので、その形成時期は約140万年前という。一般に花崗岩は地下数kmで作られ、地表に出るまで数百万年以上かかる。この年齢は法外に若い。それだけこの地は隆起が激しいということだ。
聳え経つ屏風岩も元は花崗岩の塊だった。それが熱変性を受けて固くなった後に、横尾本谷の氷河が削り上げたのだ。熱源となったのは西側から侵入したマグマだ。そのマグマは今は斑岩となっていて、涸沢への道すがら、屏風岩をかわして青ガレあたり迄の登山道に転がっている。(続く)