2024年1月31日
前回のブログ(お金の奴隷)で、お金は幸福の手段だとした。では、幸福とは何か。Wikipediaでは、「心が満ち足りていること」とある。しかし、心だけに注目すると隘路にはまる。例えば、無条件で現実を受け入れ、すべてを空しいと諦観し、自己満足に浸るのを幸せとしてしまう。更には、わざと不幸な状況に自分を追いやり、それを敢えて幸福と主張する倒錯した幸福観に陥る危険もある。
社会心理学的な解析では、幸福と自認する人の特徴は、自己肯定感(自己受容に基づく感情の安定)、主体的な(自分の意思を尊重した)生き方、楽観的、外向的、親切、感謝の念をもつ、人に好かれるなどとある。要は傍から幸せそうに見える人だ。これらの特性はかなり遺伝すると言われる。なお、お金については、収入と幸福との関係は弱いが、借金は人を不幸にするらしい。
脳科学的には、神経細胞に作用して幸せに関与する物質が知られている。心の安定や癒しとセロトニン、他者との親和感・安心感とオキシトシン、目標の達成・成功とドパミン、やる気や信念とエンドルフィンなどだ。但し、神経細胞の特性からして、細胞の興奮は長く続かない。時間が経過すれば、認知的な修正も加わり、幸福・不幸のいずれの状態にも脳は馴れてしまう。
つまり、幸福とは脳の活動が生み出す心的体験だが、幸福感の絶対的な高さは遺伝的に決まっており、幸福や不幸なことがあってもいずれ原点に復する。すると、自分だけの幸せを求めて深く哲学するより、社会心理学的な(つまり世俗的な)幸福を求めるのが正道のようだ。ならば、多様な個々人の事情や心的特性はさておき、最大多数の幸福に資する社会を作ることはできるだろう。
その社会では、肌感覚として安全、信頼、自由があり、客観指標として整備されたインフラ、社会貢献に応じた報酬、安定した生活保障がある。その中でこそ、心身の安定と健康、愛情と敬意ある人間関係が育まれる。逆に言えば、不幸の元となる不安、恐怖、不信、怒り、敵意、嫉妬などを最小化する社会だ。お金はこのような社会の構築に役立つだろう。但し、うまく役立てるには智慧が要る(続く)。