この季節は、願わくは2500m級の雪山登頂を狙いたい。しかし、年齢や体力をわきまえて行先を1650mの守屋山とし、(冬山登山ではなく)冬季登山を楽しんだ。
杖突峠からの登山道は、溶けた雪が凍結してアイスバーン状態。ギア(アイゼンやチェーン)は必携だ。冬枯れの森が続き余り視界がきかない中、休むと寒いので歩き続ける。森林限界が終わるとほぼ同時に、ひょいと東峰に出た。大展望が広がる。確かに前評判通りの素晴らしい眺望だ。
その先約20分の頂上は広く、ベンチも多数あって快適。無風状態でゆっくり食事しながら景色を堪能する。北ア、中ア、南ア、八ヶ岳のほぼ全山、浅間、御嶽、乗鞍などが見える。どれも雪で白い。惜しむらくは、富士山が見えないことか。転倒に注意しつつ下山。
守屋山は古代史と関連が深い。まず、守屋山は諏訪上社(注1)のご神体だ。南東山麓にある守屋神社は、物部守屋(注2)を祀るとされる。また、守屋山とモリヤ山(注3)が同じ音で、モリヤ山での伝承と似た祭事が諏訪上社にあるらしい(注4)。古代にはユダヤ人に限らず多様な民族が渡来し、DNAだけでなく文化や伝承を残したのだろう。加えて、この地には多数の縄文遺跡(注5)もある。
それにしても、あの眺望は神性を感じさせた。フォッサマグナの辺縁にあって、周囲を見下ろすように遥か彼方まで睥睨できる。それに加えて、三千メートル級の山々を見上げるように眺望することで、その崇高さへの憧憬が刺激される。位置と標高が適当なのだ。数千年前の古代人も、「ここは違う!」と思ったに違いない。
注1:ご祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ、大国主神の子)で、古事記の国譲りの段によれば、出雲の地を建御雷神(たけみかづちのかみ)に追われ諏訪に移り住み、後に祀られたとされる。
注2:物部守屋は587年の丁未(ていび)の乱で蘇我氏と厩戸皇子(後の聖徳太子)の連合軍に敗れた。その残党がこの地に流れてきたのか。東峰にはその奥宮がある。
注3:旧約聖書の創世記にモリヤ山が出てくる。アブラハムがわが子イサク(正妻サラとの間にもうけた一人息子)を神の命で生贄に捧げようとした場所だ。
注4:上記の伝承では、捧げる直前に神からの赦しがあり、代わりに山羊を生贄にした。諏訪上社の御頭祭(おんとうさい、別名ミサクチの祭り)でも、少年が御贄柱(おにえばしら)に縛られ神官が切りつけようとするが、そこに使者が現れ少年は解放され代わりに鹿75頭を捧げる(今は少年の儀式はない?鹿も剥製を使用するようだ)。
注5:八ヶ岳山麓の尖石遺跡からは、国宝となった縄文時代の土偶2点(縄文のビーナスと仮面の女神)が出土している。
穂高、槍、常念(代表的な所だけです)
東峰の守屋神社奥宮近く 霧氷をまとう一本松