北朝鮮軍は「餓死寸前の軍隊」
ゲーツ米国防長官は7月16日、ニューヨーク州で開かれた兵士との対話集会で、核問題で対立する北朝鮮の朝鮮人民軍について「餓死寸前の軍隊」http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090717/kor0907171036002-n1.htm だと指摘し「(北朝鮮の)兵力と戦闘能力は本当に衰えていると思う」と述べた。ロイター通信が伝えた。
長官は、人民軍に入隊適齢期となった北朝鮮の若者らが「1990年代半ばの飢饉で、肉体的、知的発育に影響を受けた」年代だとも言明。また北朝鮮の核兵器や長距離弾道ミサイル開発に言及し「彼らが愚かな過ちを犯さないことを願う」と語った。
敵国を攻撃できる能力
日本に対する攻撃能力は、圧倒的に北朝鮮が勝っている。スカッド約600発、ノドン200発、テポドン?発などミサイル多数、核爆弾多くて10発、日本でこれに対抗する兵器は迎撃ミサイルはあるが、迎撃ミサイルの迎撃能力は限定的だし、同時に多数打ち込まれたら防御不可能、お手上げ。
日本には、北朝鮮を攻撃する能力はない。戦闘機の対地攻撃能力、北朝鮮のミサイルは移動式であり秘匿された陣地に配置されていれば探知する能力はない、長距離攻撃用のミサイルもないなどナイナイ尽くしである。
他国に脅威を及ぼす兵器を持たないことを“国策”としてきたから北朝鮮に全く対抗する手段がない。“他国に脅威を及ぼす兵器”を持たないなどという、国は日本以外にはないはずだ。世界の笑いものだ。“他国に脅威を及ぼす兵器”を保有していない。したがって、周辺国との有事に国を守ることも出来ない。
北朝鮮の戦闘心、士気は侮れない
テレビに映る北朝鮮軍のパレードを見ると、車両燃料がないか、整然と行進させるための反復的な行進訓練をするため車両を走らせる燃料がないのかまた、同じ徐行速度で故障なく走らせる車両を準備することが出来ない何らかの制約があるのだろう。
しかしながら、徒歩の兵隊のパレードは、隊員相互の距離、間隔は比較的整然としており、訓練が行き届いているためだろう。案外、士気が高いように感じる。
これは、6月17日2010年のワールドカップ南アフリカ大会アジア最終予選で、北朝鮮がサウジアラビアと引き分け1966年イングランド大会で8強入りして以来の本大会出場を決めたことにも伺われる。北朝鮮チームは、物資が欠乏する中で厳格な思想教育をうけ、チームの規律が強固であることが強さの源なのだろう。北朝鮮の軍隊は核兵器を保有したことで一種の高揚感があるものと推定される。
これと、正反対なのが、自衛隊を取り巻く環境だ。
戦えない、戦う前に敗れる
自衛隊が、有事に日本を守れるか。守れるはずがない。なぜか?
まず、戦わないことを“国是”としてきた。奇妙なことに、他国が日本の主権を侵害しても 該当国の機嫌を損ねないような対応をしてきた。領海侵犯、領空侵犯、隠密裏に工作員が不法上陸し拉致・誘拐事件の対応など、どれも“ないこと”のように処理したり、低姿勢の“抗議”で済ませてきた。
ある一線をこえたら断固排除するという毅然とした決断をした首相。防衛庁長官や大臣がいなかった。戦後の日本は真に“決断”しうる政治家がいなかった。政治が混迷しているように今の与野党の政治家に決断力、実行力がある人物がいない。
阪神淡路大震災の時、暗愚な村山総理大臣は自衛隊の出動を決断できなかった。このため、被災者の救出が後手後手となった。 このようなレベルの人間が首相だから戦う決断が出来ない。
最高指揮官に、いざとなったら断固戦うという決意があるのと無いのとでは、戦闘集団の意識が決定的に異なる。戦わないだろうという前提の姿勢は、軍の精強さをスポイルする。戦えない、したがって戦わずして敗戦だ。
政治家も官僚も軍事に無知・不信、これでは戦えない
政治家や官僚は、軍事知識が無いし、軍事訓練を受けていない。軍事のことは、戦争に直結すること、軍国主義だと短絡した発想にとらわれる。文民統制に必要な知識・経験が皆無だからあたらず触らずか、何でもかんでも統制で、軍事的合理性を阻害する制度、行動が多すぎる。戦闘集団を統率する首相、大臣はもとより官僚も文民統制=禁止、統制と錯覚している。自信がないのだ。
これは、北朝鮮のミサイル発射実験の際、警報を発令する情報伝達系統ひとつをとっても明らかだ。自衛隊の指揮所から首相官邸に探知情報を伝達するのに官僚が同席していたとは、全くナンセンス。制服を政治家・官僚が信頼していない証拠である。
官僚が自衛官に代わって戦えばいいとさえ思う。これでは、自衛隊が戦えるはずが無い。政治家や官僚が銃を持って戦えばいい。
こんな国は、世界の笑いものだ。いわんや、こんな国にアメリカが「核の傘」を提供することは、断じてない。提供したとしても口先の約束だけだ。
日本国民は自衛隊に国を守ってとは思っていない、そのような対応だ
国民は自衛隊に国を守ってもらいたいと思っていない。そう感じてもおかしくない国情だ。自衛隊に国を守ってもらいたいと真に思うなら、それに応じた自衛隊・自衛官に対する対応があるべきだが、それがない。
数年前、千葉県勝浦沖の太平洋でイージス艦が漁船と衝突、漁船が沈没、親子2名が“死亡”した。国を守る使命を持った自衛官にそれ相当の配慮を見せた政治家だいたか。マスコミ及び地元漁協関係者の言動に、国防についての配慮は伺われない。これが、外国と本質的に異なっている点である。
死亡事故は絶無を期さなければならないが、漁場めがけて我先に殺到するためであろう小さな多数の漁船がイージス艦の進路を横断し、そのうちの一隻と衝突した。“軍艦”と水揚げ(=私益、儲け)優先の漁船と全く同じ海上交通のルールを守るとしても、漁船側に“国防”を担うものへの配慮が伺われない。これら漁協の船は、根室沖2kmもない貝殻島周辺で漁をしてみたらいい。幻想は吹っ飛ぶはずだ。
政治家、マスコミも国防など一顧だにしない。このような国情、国民の意識では、命を賭けて戦う気にならないはずだ。
「人命は地球より思い」といったのは、暗愚な福田康夫首相の親父元首相の福田赳夫だ。ハイジャック事件で犯人の要求に屈して超法規的に過激派の犯罪人を釈放した。
日本の政治家は、自己の責任を回避する。そのため自衛隊が海外で活動する際の武器使用は「正等防衛」、「緊急避難」が決まり文句だ。隊員個人の責任で武器を使用せよとは、首相、大臣の許可を仰ぐな自分で責任をとれということだ。
逃げることを優先する政治家が首相、大臣では、命を賭けて戦う必要はない。
自衛官も「命」を持っている。「人命は地球より思い」といった暗愚な福田康夫首相の親父元首相の福田赳夫のいうとおりだ。有事を察知した時点で自衛官は全員「退職願」を提出すべきだ。
自衛官以外の人間の命だけが「地球より思い」のではない。自衛官の命も「地球より思い」はずだ。国家・国民が国を守ることに無関心である以上、自衛官は有事を察知した時点で全員「退職願」を提出し、家庭に戻り、国の防衛など考えずに、売り上げ高を上げるべく商売に専念したほうが国民感情に合う。
自衛官に国を守れと言うことは、「命を賭けて」ということだ。国の防衛に命を提供する集団・個人に名誉とそれ相応の配慮を示さない国家・国民のために自己の生命を犠牲にするのは愚かなことだ。自衛官だけがに命を賭ければすむというのは身勝手だ。
中国のGDPは今年中に日本を越す可能性があり、中国の軍拡は続く。北朝鮮は不測の事態の生起、突発的な核兵器の使用はあるのかないのか、韓国軍は自衛隊と戦う前提の軍備を増強中だ。日本といえば、政治家の無為無策、国民も国の防衛に関心があるのか無いのか分からない。
しからば、有事の国家・国民の防衛は、どうするか。答えは明白だ。脅威が眼前に迫ったら戦うか戦わないかは、国民一人一人が自分の都合いいように判断し、行動すればいいだけだ。
無抵抗で相手に生命を委ねるのもよし、服従したくなければ思いついた方法で戦えばいいだけだ。このような国は、亡国あるのみだ。
ゲーツ米国防長官は7月16日、ニューヨーク州で開かれた兵士との対話集会で、核問題で対立する北朝鮮の朝鮮人民軍について「餓死寸前の軍隊」http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090717/kor0907171036002-n1.htm だと指摘し「(北朝鮮の)兵力と戦闘能力は本当に衰えていると思う」と述べた。ロイター通信が伝えた。
長官は、人民軍に入隊適齢期となった北朝鮮の若者らが「1990年代半ばの飢饉で、肉体的、知的発育に影響を受けた」年代だとも言明。また北朝鮮の核兵器や長距離弾道ミサイル開発に言及し「彼らが愚かな過ちを犯さないことを願う」と語った。
敵国を攻撃できる能力
日本に対する攻撃能力は、圧倒的に北朝鮮が勝っている。スカッド約600発、ノドン200発、テポドン?発などミサイル多数、核爆弾多くて10発、日本でこれに対抗する兵器は迎撃ミサイルはあるが、迎撃ミサイルの迎撃能力は限定的だし、同時に多数打ち込まれたら防御不可能、お手上げ。
日本には、北朝鮮を攻撃する能力はない。戦闘機の対地攻撃能力、北朝鮮のミサイルは移動式であり秘匿された陣地に配置されていれば探知する能力はない、長距離攻撃用のミサイルもないなどナイナイ尽くしである。
他国に脅威を及ぼす兵器を持たないことを“国策”としてきたから北朝鮮に全く対抗する手段がない。“他国に脅威を及ぼす兵器”を持たないなどという、国は日本以外にはないはずだ。世界の笑いものだ。“他国に脅威を及ぼす兵器”を保有していない。したがって、周辺国との有事に国を守ることも出来ない。
北朝鮮の戦闘心、士気は侮れない
テレビに映る北朝鮮軍のパレードを見ると、車両燃料がないか、整然と行進させるための反復的な行進訓練をするため車両を走らせる燃料がないのかまた、同じ徐行速度で故障なく走らせる車両を準備することが出来ない何らかの制約があるのだろう。
しかしながら、徒歩の兵隊のパレードは、隊員相互の距離、間隔は比較的整然としており、訓練が行き届いているためだろう。案外、士気が高いように感じる。
これは、6月17日2010年のワールドカップ南アフリカ大会アジア最終予選で、北朝鮮がサウジアラビアと引き分け1966年イングランド大会で8強入りして以来の本大会出場を決めたことにも伺われる。北朝鮮チームは、物資が欠乏する中で厳格な思想教育をうけ、チームの規律が強固であることが強さの源なのだろう。北朝鮮の軍隊は核兵器を保有したことで一種の高揚感があるものと推定される。
これと、正反対なのが、自衛隊を取り巻く環境だ。
戦えない、戦う前に敗れる
自衛隊が、有事に日本を守れるか。守れるはずがない。なぜか?
まず、戦わないことを“国是”としてきた。奇妙なことに、他国が日本の主権を侵害しても 該当国の機嫌を損ねないような対応をしてきた。領海侵犯、領空侵犯、隠密裏に工作員が不法上陸し拉致・誘拐事件の対応など、どれも“ないこと”のように処理したり、低姿勢の“抗議”で済ませてきた。
ある一線をこえたら断固排除するという毅然とした決断をした首相。防衛庁長官や大臣がいなかった。戦後の日本は真に“決断”しうる政治家がいなかった。政治が混迷しているように今の与野党の政治家に決断力、実行力がある人物がいない。
阪神淡路大震災の時、暗愚な村山総理大臣は自衛隊の出動を決断できなかった。このため、被災者の救出が後手後手となった。 このようなレベルの人間が首相だから戦う決断が出来ない。
最高指揮官に、いざとなったら断固戦うという決意があるのと無いのとでは、戦闘集団の意識が決定的に異なる。戦わないだろうという前提の姿勢は、軍の精強さをスポイルする。戦えない、したがって戦わずして敗戦だ。
政治家も官僚も軍事に無知・不信、これでは戦えない
政治家や官僚は、軍事知識が無いし、軍事訓練を受けていない。軍事のことは、戦争に直結すること、軍国主義だと短絡した発想にとらわれる。文民統制に必要な知識・経験が皆無だからあたらず触らずか、何でもかんでも統制で、軍事的合理性を阻害する制度、行動が多すぎる。戦闘集団を統率する首相、大臣はもとより官僚も文民統制=禁止、統制と錯覚している。自信がないのだ。
これは、北朝鮮のミサイル発射実験の際、警報を発令する情報伝達系統ひとつをとっても明らかだ。自衛隊の指揮所から首相官邸に探知情報を伝達するのに官僚が同席していたとは、全くナンセンス。制服を政治家・官僚が信頼していない証拠である。
官僚が自衛官に代わって戦えばいいとさえ思う。これでは、自衛隊が戦えるはずが無い。政治家や官僚が銃を持って戦えばいい。
こんな国は、世界の笑いものだ。いわんや、こんな国にアメリカが「核の傘」を提供することは、断じてない。提供したとしても口先の約束だけだ。
日本国民は自衛隊に国を守ってとは思っていない、そのような対応だ
国民は自衛隊に国を守ってもらいたいと思っていない。そう感じてもおかしくない国情だ。自衛隊に国を守ってもらいたいと真に思うなら、それに応じた自衛隊・自衛官に対する対応があるべきだが、それがない。
数年前、千葉県勝浦沖の太平洋でイージス艦が漁船と衝突、漁船が沈没、親子2名が“死亡”した。国を守る使命を持った自衛官にそれ相当の配慮を見せた政治家だいたか。マスコミ及び地元漁協関係者の言動に、国防についての配慮は伺われない。これが、外国と本質的に異なっている点である。
死亡事故は絶無を期さなければならないが、漁場めがけて我先に殺到するためであろう小さな多数の漁船がイージス艦の進路を横断し、そのうちの一隻と衝突した。“軍艦”と水揚げ(=私益、儲け)優先の漁船と全く同じ海上交通のルールを守るとしても、漁船側に“国防”を担うものへの配慮が伺われない。これら漁協の船は、根室沖2kmもない貝殻島周辺で漁をしてみたらいい。幻想は吹っ飛ぶはずだ。
政治家、マスコミも国防など一顧だにしない。このような国情、国民の意識では、命を賭けて戦う気にならないはずだ。
「人命は地球より思い」といったのは、暗愚な福田康夫首相の親父元首相の福田赳夫だ。ハイジャック事件で犯人の要求に屈して超法規的に過激派の犯罪人を釈放した。
日本の政治家は、自己の責任を回避する。そのため自衛隊が海外で活動する際の武器使用は「正等防衛」、「緊急避難」が決まり文句だ。隊員個人の責任で武器を使用せよとは、首相、大臣の許可を仰ぐな自分で責任をとれということだ。
逃げることを優先する政治家が首相、大臣では、命を賭けて戦う必要はない。
自衛官も「命」を持っている。「人命は地球より思い」といった暗愚な福田康夫首相の親父元首相の福田赳夫のいうとおりだ。有事を察知した時点で自衛官は全員「退職願」を提出すべきだ。
自衛官以外の人間の命だけが「地球より思い」のではない。自衛官の命も「地球より思い」はずだ。国家・国民が国を守ることに無関心である以上、自衛官は有事を察知した時点で全員「退職願」を提出し、家庭に戻り、国の防衛など考えずに、売り上げ高を上げるべく商売に専念したほうが国民感情に合う。
自衛官に国を守れと言うことは、「命を賭けて」ということだ。国の防衛に命を提供する集団・個人に名誉とそれ相応の配慮を示さない国家・国民のために自己の生命を犠牲にするのは愚かなことだ。自衛官だけがに命を賭ければすむというのは身勝手だ。
中国のGDPは今年中に日本を越す可能性があり、中国の軍拡は続く。北朝鮮は不測の事態の生起、突発的な核兵器の使用はあるのかないのか、韓国軍は自衛隊と戦う前提の軍備を増強中だ。日本といえば、政治家の無為無策、国民も国の防衛に関心があるのか無いのか分からない。
しからば、有事の国家・国民の防衛は、どうするか。答えは明白だ。脅威が眼前に迫ったら戦うか戦わないかは、国民一人一人が自分の都合いいように判断し、行動すればいいだけだ。
無抵抗で相手に生命を委ねるのもよし、服従したくなければ思いついた方法で戦えばいいだけだ。このような国は、亡国あるのみだ。