鳩山元首相、北京で「尖閣盗んだ」発言撤回せず
【北京=五十嵐文】鳩山元首相は27日、北京市内で開かれた清華大主催の国際フォーラムで講演し、沖縄県・尖閣諸島について「カイロ宣言は、日本が清国から盗んだものは返さなければならないとしている。中国が(尖閣諸島が)当然入ると思うことを否定するものではない」と述べ、尖閣諸島を「日本が盗んだ」とする中国政府の言い分に改めて理解を示した。
鳩山氏は、訪中前に香港のフェニックステレビに対して同様の発言をし、菅官房長官らが批判していた。鳩山氏は講演後、記者団に、日中国交正常化の際に日中両政府が尖閣問題の「棚上げ」で合意していたとの認識も示した。
(2013年6月27日21時47分 読売新聞)
「国益損なうあまりに無責任な発言だ」民主、鳩山氏を批判
MSN産経ニュース 2013.6.28 18:39 [鳩山由紀夫氏]
民主党の細野豪志幹事長は28日、尖閣諸島(沖縄権石垣市)の領有権を主張する中国に理解を示した鳩山由紀夫元首相の発言について「国益を損なうあまりに無責任な発言だ」と批判する談話を発表した。既に離党を表明しているとはいえ元党代表の発言だけに、参院選で悪影響を受けるのを警戒したとみられる。
談話は「元首相の立場を踏まえない発言を党として看過できない。民主党政権時の政府見解とも異なり誠に遺憾だ」と非難し、抗議を申し入れるとした。
海江田万里代表も東京都内で記者団に「立場をわきまえた発言をお願いしたい」と強調。同時に「尖閣は日本固有の領土だ。党の考え方は(鳩山氏とは)大きく異なる」と述べた。
鳩山「盗んだと思われても仕方がない」
自ら進んで中国の“捕虜”になり最大限利用される奴隷根性
自己顕示欲のため日本人でありながら日本を売る者を
中国人は腹の底から軽蔑する、
自らの愚かさが分らない救いがたい卑屈さ!
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卑屈な根性が骨の髄までしみこんでいる
日本人には正しい意味での自己認識というようなものが育たなかった。日本民族は、優秀な民族である。科学者を見ても技術を見ても、優秀な能力を持っている。それが、明治以来一面ではよく伸ばされたが、他面では大きくゆがめられたのであって、そこには、教育の大きな功績もあれば、過誤もあったことも否定できない。
最近、中韓から戦争中の日本軍の行動が非難されているか、戦場で野蛮な無茶なことをしたのも事実であろう。しかしながら本来の日本人は、おとなしい人間である。余りにも、おとなしすぎる。従順だが、余りに従順すぎる。極端ないい方をすれば、長い歴史の中で牛馬のように奴隷化されていて、自分で考えて自分で行うことができぬように慣ららされてきたのである。
いいかえると、日本人は未だかって自分たちが人間であるとのはっきりした自覚を持ったことが無く、人間としての意識を持って立ち上がったことが無かったのだ。欧米で頻発した革命や中国をはじめアジア・アフリカ各国のように宗主国相手に解放戦争を戦ったこともなかった。これらの国は、人間は全て自由で平等であるとの旗印の下で戦い血を流した。ところが日本人は、人間であることを主張して戦った歴史がない。
フランス革命のように自由民権を叫んだことも、四海平等を唱えたこともない。明治維新以降の戦争は、お上に号令をかけられて戦った。日本は江戸時代の士農工商を経て明治維新以降近代化は果たしたが、日本人はお上の言うことは間違いない、お上が言われることは絶対服従で生きてきた。ここには、自分が人間である、彼も人間、お前も人間、ともに平等なのだという自覚が育たなかった。日本人は上に対しては従順で、非人間的であることに、何ら疑問を抱かなかった。このため、長いものに巻かれ、太いものには呑まれるといった、卑屈な根性が骨の髄までしみこんでいる。
第二次世界大戦で負けるや、それまでの鬼畜米英が一転、米占領軍を嬉嬉として迎い入れるざまである。敗戦でシベリアに抑留された日本人捕虜はドイツ人や朝鮮人、蒙古人の捕虜がソ連側の言いなりにならなかったのとは全く反対に、ソ連軍に媚び諂い同胞を売るものまで出る始末であった。
イワン・イワノビッチ・コワレンコは、日本人捕虜の卑屈な体質を把握して、戦後、多くの日本人を協力者に育て上げた。ソ連の文献に“協力者”と出てくる日本人は多い。石田博英、園田直、河野一郎同志、赤城宗徳、平沢和重、松前重義同志などなど・・・・・。この卑屈な体質が今日まで続いている。
シベリア捕虜収容所で行われた集会
旗手が持っているのは赤旗
週間「アサヒグラフ」1989年3月17日発行 19~20頁
共産主義を学習する捕虜
週間「アサヒグラフ」1989年3月17日発行 32~33頁
中国が経済的・軍事的な大国として台頭してくると中国に媚びへつらう卑屈な政治家、経済人が出てくる。奴隷根性のような体質を国民から取り除かない限り、憲法でいう「国際社会で名誉ある地位を占めたいと思ふ」といっても。所詮、叶わない。卑屈な奴隷根性の持ち主の代表が、鳩山由紀夫である。
周恩来に「小人」と馬鹿にされた田中角栄
田申角栄総理と申国の周恩来総理とによって「日中友好に関する共同声明」が発表されたのは、1972年(昭和47年)9月28日のことであった。周恩来が田中角栄に書き贈った書は「言必信、行必果」であった。孔子の言葉で、弟子の子貢が孔子に「どういう条件を持った人を士と言うことができるか」と尋ねた。孔子は「自分の言動に恥をかくようなことはしない。四方の国々に使いしても、君命を辱めるようなことはしない。そうした人物こそ士と言うべきだ」と答えた。
子貢は「その次の士とは、どのような人か」と尋ねると、孔子は一族の者からは親孝行と言われ、郷里の人々からは兄弟仲が良いと評されるような人だ」と答えた。子貢はなおも、「敢えてお聞きしたいのだが、その次の段階の人と言ったら、どのような人でしょう」と尋ねた。それに対して孔子は、「言・信を必し、行・呆を必す。硜々(コウコウ)然として小人なるかな」と答えた。
つまり、「一旦言ったことだから信用を失ったりしてはいけないと一度言ったことにこだわってみたり、一旦やりかけたことだからと言って、情勢が変わってしまっても、あくまでやり通そうとこだわるような人は、結局は角張った小石のように固くて融通の利かない、まあ小人だね」と答えたという。
周恩来の言いたかったことは、中共では、孔子は『頑迷な封建君主に仕えて奴隷制度を擁護した反動的思想家』であり、『人民の敵』と罵倒している。その「人民の敵」である孔子の言葉を書き贈ったことは、お前は敵だよという意味の皮肉や軽蔑の念を表したものである。
また、「言・信を必し、行・果を必す、こうこう然として小人なるかな」で一句を成している言葉の後半を省いて前半だけ書き贈ったのは、中国人の表現形式で、厳しい現実を戯画化したり、軽妙な酒落を表したり、陰険な皮肉、風刺、自嘲などを隠す場合に使われる表現形式である。
周恩来の狙いは、書にした「言・信を必し、行・果を必す」の部分に意味を持たせたのではなく、省略された後半の「こうこう然として小人なるかな」』に狙いがあったとみるべきである。田中さんお前さんは小石のように小粒で、固くて融通の利かない小人ですね」という嘲笑の念を込めたものといえる。
「義」がない人物と馬鹿にされた
論語に「子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る」とある。義とは正しい道理。君子とは人格の優れた者、小人とは人格の劣った者。喩(さと)とは奥深く知ること。
これを解釈すると、君子は正しい道理に従うから、心の喩るところはただ義である。小人は欲に従うから、心の喩るところはただ利である。故に君子は事に触れて義を行おうとし、小人は事に触れて利を図ろうとする。小人は利に敏感で損得だけで判断する輩である」という意味である。
「小人」について論語には、「子曰く、君子は徳を懐(おも)ひ、君子は徳を懐ひ、小人は土(ど)を懐ふ。君子は刑を懐ひ、小人は恵(けい)を懐ふ」とある。徳とは、仁義礼智のようなもの、土は安楽な処をさす。刑は国憲国法のようなものをいう。恵は物質的利益をさす。
したがって、孔子の言わんとすることは、「君子は心の徳を存することを思って最高の善に到達しようとし、小人は心身の安楽なところを思って此れにおぼれる。君子は刑の畏るべきことを思って自らその身を守り、小人は利の欲すべきを見てこれを貪る」。君子と小人の生き方の違いを説いたのである。
孟子に「此れ国は利を以て利となさず。義を以て利と為すを謂うなり」という言葉がある。私利を以て国益となさず、公議を以て国家の利益となすべきことを言ったものである。古来、中国では「義」という文字に特別な価値を置いている。
「義」とは公共のために、また正義のために行動すること、主義、信条などを意味する言葉である。また、本来の血縁関係のないもものが温情や義理に基づいて結ぶ親族関係を「義」としている。
五常(仁・義・礼・智・信)のひとつであり、論語に「見義不為、無勇也」、中庸で「君臣有義」として五倫「親・義・別・序・信」の「義」を、君臣の間の正しい道徳としている。
周恩来から小人と侮蔑されたということは、田中角栄は利にさとい「義」を欠く唾棄すべき低級な人物であると評価されたことを意味している。
日中国交正常化の頃、中国大陸では文化大革命や林彪の叛乱などで国が崩壊寸前の状況にあった。そうした危機から脱するため中国は日本やアメリカの助けを必要としていた。日本は台湾(中華民国)との関係を維持しながら、中共政権との交渉を進めることができる状況にあった。
それにもかかわらず、台湾の中華民国と「日華条約」(1952年4月28日調印)を失効させた。これは、まさしく易経の「小人は不仁に恥じず。不義を畏れず」であり、中国人から見れば無謀極まりない行為であった。
周恩来から見れば、蒋介石総統も台湾人も、同じ中華民族である。しかも日本は敗戦後、蒋介石総統には多大な恩義を受けており、台湾人は、かつての日本人であった。それを、まったく単なる個人的利害打算から国際信義を無視して棄て去ったとあっては、たとえ対立関係にはあったとはいえ、同朋の中国人との公約を公然と破棄した背信背義の男を、同じ民族である中国人は信頼しない。
中国人は不義を畏れず無謀極まりない行為を行う人間を唾棄する。日中国交正常化は中国人が最も忌嫌う「義」の無い政治家によって行われたということは、この程度の人物を首相に選ぶ日本という国は大したことのない三等国だといことになる。
カネの切れ目が縁の切れ目
中韓そろって日本叩き、元寇の再来!
中国は日本(の政治家)に感謝する必要がない
搾り取れるだけ搾り取った、後は捨てて叩く
周恩来は田中角栄を通じて全日本民族を軽蔑し、潮笑した。中国人は、田中角栄を表面では持ち上げながら腹では、こんな最低な人物が支配する日本という国を利用するだけ利用し、絞り取れるだけ絞り取ってしまったらゴミのように棄てればよいと動いている。
「国は利を以て利となさず、義を以て利となす」(大学)という。「利を以て交わる者は、利窮すれば則ち敗る」のであって、日中関係をそのまま示している。このような不幸な日中関係の発端をなしたのが田中角栄であり、今日、表面化している混乱の根本的原因をなしている。
莫大な経済・技術援助を実施したにもかかわらず、中国から感謝されたことはない。中国に対する日本の莫大な経済・技術援助は中国国民にを知らされることもない。中国に対する莫大な援助資金はバックマージンとなって日本の政治家の懐に入る。そのレートは国際的には3%であるから、国民の血税が田中角栄の率いたグループに流れたことになる。
日中間に流れる金に群がった政治家の行き着く先が小沢一郎である。彼は民主党政権誕生直後、多数の国会議員と430名の土建業界の人物を連れて訪中した。これは北京オリンピックに関連した土建事業の利権を獲得するのが狙いであった。親中、反米、独立志向のポーズを見せながら、利の欲すべきを見てこれを貪る小人に過ぎないのだ。中国にとっては、田中角栄と同じ三流の人物である。
尖閣諸島の領海侵犯、沖縄の帰属、靖国参拝や慰安婦などの対日非難、中国大陸における不発弾処理のための資金などの提供などなど、中国の好き勝手な動きに翻弄されている。 策「利(利権・カネ)」を目的に交わった日本の政治家。国家の建設という利を目的に交わった中国。日中国交正常化に際し、目先の利を貪った日本、数十年という長期的視点に立って動く中国は義を重視した。この時点で日中対決の勝敗が決まっていた。
ODA援助を止めた日本からは、絞り取れるだけ絞り取ったのだから、用済みである。金の切れ目が縁の切れ目というが、あとは、反日攻撃あるのみである。
「利を以て交わる者は、利窮すれば則ち敗る」の諺どおり、日本は戦わずして中国に屈しつつある。
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