ソマリア沖海自、緊迫の船団護衛…海賊広域化でSOS急増(読売新聞) - goo ニュース
海賊対策のため自衛艦が派遣されたが
海上自衛隊の護衛艦の海賊対処活動が報道陣に公開された。ソマリア沖では3月30日から自衛隊法82条の海上警備行動に基づき護衛艦2隻が活動を始めた。酷暑の下、気温は高く30度以上、湿度も高く、陽光サンサン、炎熱で厚く熱せられた鉄製の甲板上における海賊の見張りは、肉体的に厳しいものがあるだろう。海賊対処を命ぜられた隊員方々が任務をまっとうされ無事帰国されることを願っている。
国会では、自衛隊による海賊対策の新たな根拠となる海賊対処法案が審議中だ。新法では警護対象を他国の船にも拡大し、武器使用基準が緩和されるという。まさに泥縄だ。ひどいものだ。
“国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う”、寝ぼけたことを言うな!今回の海賊対策は、ソマリア沖に海賊がいるから“とりあえず行ってくれ!”と海上警備行動の一環として派遣された。正当防衛、緊急避難で海賊にあたれということだ。
派遣を命ぜられた個々の隊員の心中はさぞかし複雑だろうと思う。 なぜか?民主党、社民党な野党は海賊対処のために自衛隊がかかわることに反対した。野党の反対には、自衛隊が海賊対処にかわること自体に生理的な嫌悪感を持っていることが良くわかるからだ。
野党は憲法上自衛隊が海賊にあたるのは都合悪い、海上保安庁に担当させろという。今回の派遣は、行動の準拠となる法律も整備されず、“とりあえず行ってくれ”と言われて行くのだ。 魚とりや金儲けのために行くのではない。隊員の中には、行きたくないと思っていた者もいるはずだ。家族持ちならなおさらだろう。行けといわれて行くのだ。
自衛隊は行くなと反対を叫ぶのもいいが、反対を唱える者は、“国際社会”が納得する代案を提示すべきだ。場合によっては、危険を顧みず“自分がやる”という覚悟があって反対を唱えるのならまだいい。その覚悟もなく、選挙目当の民意迎合に終始している。これでは、内容のある対策が打ち出せるはずがない。
自衛艦の派遣反対を唱える者は、自衛隊に代わって国際貢献をすればいい。ソマリア沖だけではない、イラクでも、アフガニスタンでも行けばいいのだ。反対を叫ぶ者ほど、自ら命をかけて危地へ行こうとしない。 派遣される艦艇は日本に関係する船舶を護衛するのだ。しかも海運業界から護衛して欲しいとの要望に応えた派遣だ。金儲けのために行くのとは訳が違う。
昔、過激派にるよど号事件で人質解放のため犯人側の要求に応じて身代金を支払った。曰く「人の命は地球より思い」と。湾岸戦争では、人的貢献をしないかわりに多額の金がアメリカに“奪われた”。
人の命を金に換算するから高くつくのだ。 “金”そのものは、額の多寡にかかわらず脅威を排除する実力行使の場においては“力”にならない。この世には、金では解決できないことがある。自ら何もせず金で済ますやり方のみでは、外国の冷笑を買うだけだ。
“日本国民は恒久の平和を念願し・・・・”というが、こんなことは地球上のどの国も、どの民族だって希求している。何も日本だけではない。いいかっこをするな!
“われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う“。何をふざけたことぬをかすのだ。他人任せで、お主は何をやろうとしているのだ、何が出来るのだと、外国は日本を見ているはずだ。
日本が何もしないで“国際社会において名誉ある地位を占めたい”とは真に身勝手、“自己チュウ”もいいところ、噴飯ものだ。
日本よ恥を知れ! という気にもなる。
派遣の現場における「正当防衛」、「緊急避難」とは
正当防衛とは、大雑把に言うと、暴漢に横っ面を“殴られたから殴り返す”というようなことか。“殴られたら殴り返す”とは、一見もっともに見える。殴られてそのまま“天国”へ行ってしまったら、殴り返すことは出来ないのだ。相手は何をするかわからない海賊だ。機関銃、小銃に携行型対戦車ミサイルなどなど武器を持った犯罪集団だ。殴られるまで手を出すなとは、海賊の弾が当たったら武器を使用してよいということか。
緊急避難とはなんだ。たとえてみると、私が歩道を歩いていたとする。そこに暴走する車が突っ込んで来た。危ないのでとっさに避けたら、隣の歩行者を転倒させ大怪我をさせてしまった。この場合、自分の命をまもるため、反射的に行動した私に犯意がなかったので罪に問われないということか。
海賊対処に派遣された自衛隊は、正当防衛、緊急避難のときにのみ武器の使用が許されるという。これが、一番の問題だ。
泥縄ならまだいい、泥棒を捕まえても“縄がない”のだ!
何が問題なのか? 武器使用の可否を判断するのは、危険にさらされた隊員個々の判断と決心によるのだ。武器を使用すれば当然、人の生命を絶つことがある。この決心を個々の隊員に負わせるのだ。20代、30代の若者に責任を負わせることに政治家、官僚は何の疑問も持たないのか。
端的にいうと責任を負うのは指揮官でもない、官僚でも、防衛大臣でもない、総理 大臣でもない、個々の隊員だ。その隊員の判断と責任で武器を使用するのだ。判断を誤って武器を使用し人に危害を加えたら“刑事責任”を問われるのは、武器を使用した隊員だ。
自己の判断・行動のいかんによっては有罪、刑務所行きを覚悟しなければ自己に課せられた任務を遂行できないのだ。
派遣を命ずる側も、世論に迎合し薄浅な空論で反対を唱えている者も、自らの命をかけて派遣を決断し、または反対したのか。これだけでも、派遣を命ずる側も、反対する側も、如何に矮小な存在であるかがわかる。
こんな政治家に、“国際社会で名誉ある存在を得たい”などと、とぼけたことを言う資格はない。 しかもだ、“われらは、いずれの国家も、自国のことにのみ専念して他国を無視してはならない”・・・・とは、よくもマー、ヌケヌケととぼけたことを説くもんだ。
派遣を命ぜられた者の心中を忖度すれば、このようなものだろう。今の日本は、劣化した政治家・官僚が跋扈している。マスコミは歪曲・偏向に満ちた報道をする。いずれも何かに“隷従”しているのだろう。日本はとんでもない国だ!