これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

米国の内政干渉、「河野談話検証するな」、狙いは米国の戦争犯罪・日本人大量殺戮を封印するため!

2014-03-13 | 安全保障

      あヽ 東京大空襲 朋よやすらかに」 
             戦災によりなくなられた方々の碑


米・国務省報道官「河野談話を継承する立場は前向き」

 
従軍慰安婦制度に旧日本軍が関与していたことを認めた「河野談話」の作成経緯を日本政府が検証することについて、アメリカ・国務省の報道官は10日、「河野談話を継承するという立場は前向きだ」と述べました。


 アメリカ・国務省のサキ報道官は10日、従軍慰安婦制度に旧日本軍が関与していたことを認めた「河野談話」は、「日本が近隣国との関係改善する上で重要な区切りだった」と指摘しました。

 また、アメリカ政府として「日本の指導者には近隣国とより強い関係を構築する上で貢献的な取り組みを促している」とし、菅官房長官が河野談話の見直しを考えていないと発言したと紹介した上で「前向きな行動だ」と評価しましたが、検証作業についての論評は避けています。 
             TBS News(11日07:16)  

慰安婦問題めぐる河野談話、政府「検証」に米国が強い懸念 
 安倍政権が従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた「河野談話」の作成経緯を検証することに対し、アメリカ政府側が非公式に強い懸念を総理官邸側に伝えていたことが明らかになりました。

 従軍慰安婦問題をめぐって安倍政権は、旧日本軍の関与を認めた河野官房長官談話が作成された経緯について、政府内にチームを設けて検証する方針を示しています。これに対し、駐日アメリカ大使館の幹部が「検証は望ましくない」として、強い懸念を自民党関係者を通じて、総理官邸側に伝えていたことが明らかになりました。

 アメリカ大使館幹部は、「検証結果を公表すれば日韓関係がさらに悪化する」「4月の日米首脳会談で歴史認識が焦点となることは避けるべき」などと伝え、自民党関係者は「事実上、検証をとりやめるよう要請してきたもの」と受け止めています。

 「国会の答弁では、国会から要請があれば(検証結果を)提出する用意がありますよと。そこまで国会で申し上げていますので、スタンスは全く変わりません。河野談話を見直しするということは考えていません」(菅義偉 官房長官)  菅官房長官は、10日、河野談話そのものの見直しは考えていないと明確に述べました。政府関係者によりますと、政府高官はアメリカ側の要請に「国会でも答弁した検証作業をやめられるはずがない」などと不快感を示していて、政府として、検証は河野談話の見直しにつながるものではないとアメリカ側に理解を求めていく姿勢です。

  こうした中、外務省の斎木事務次官が、12日から13日にかけて韓国を訪問し、チョ・テヨン外交部第一次官らと日韓関係などについて意見交換することが決まりした。
             TBS News(10日20:45)
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日本は慰安婦問題解決を=「重大な人権侵害」-駐韓米大使 
 【ソウル時事】ソン・キム駐韓米大使は6日、ソウルで記者会見し、従軍慰安婦問題について「極めて重大な人権侵害だ。日本の指導者が生存者の苦痛を減らす形で解決を図ることを希望する」と日本の前向きな対応を求めた。


 韓国の尹炳世外相が国連人権理事会で慰安婦問題をめぐる日本の対応を強く非難したことについても「(尹氏の主張に)同意する」と表明した。 
 韓国系米国人という個人的背景を割り引いても大使の公開の場での発言だけに、米政府の日本への不満を反映しているとみられる。

 キム大使は、安倍晋三首相の靖国神社参拝に在日米大使館が「失望」を表明したことについて「われわれが望むのは、日本が隣国の憂慮を静める行動をしてほしい、挑発的に映る行動を控えてほしい、ということだ。米大使館が同盟国に『失望』を表すのはよくあることではない。非常に強く(失望を)感じたためだ」と説明した。

 また、日本の集団的自衛権行使容認を歓迎する意向を示しつつも「米日同盟のいかなる事項も、韓国に害を与えたり、米韓同盟を弱体化させたりすることは許されない」と述べた。

 キム大使は「日韓間により肯定的なモメンタム(機運)が生じることを願う」と強調。4月のオバマ大統領の日韓両国訪問の際、日韓関係が議題になるとの見通しを示したが、「仲裁役とは違う」と述べ、日韓双方の努力を要請した。
            時事ドットコム(2014/03/06-15:00)
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慰安婦問題、韓国外相が国連で日本政府を批判(6日) 
 韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外務大臣がジュネーブの国連人権理事会で演説し、元従軍慰安婦への対応をめぐり日本政府を名指しで批判しました。

 「これ(慰安婦問題)は日本と、韓国、中国、オランダ、様々な東南アジア諸国との2国間問題と言うだけでなく、普遍的な人権問題です」(韓国 尹炳世 外相)

 韓国の尹炳世外相は5日、ジュネーブの国連人権理事会で演説を行い、従軍慰安婦問題について普遍的な問題だと強調しました。

 さらに、旧日本軍の関与を認めた「河野談話」の作成過程について、日本政府が検証に乗り出したことや談話見直しに賛同する考えを示した桜田文部科学副大臣の発言にふれ、日本政府の態度は歴史の真実を無視した非人道的なものだと批判しました。

 「(日本政府の態度は)生涯つきまとう恐怖の記憶の中で、肉体的、精神的苦痛に耐えてきた犠牲者の名誉と尊厳をさらに侮辱するものだ」(尹炳世 外相) 
 韓国の外相が国連の場で日本を名指しで批判するのは異例のことで、国際社会へのアピールを通じて安倍政権への圧力はさらに強まっています。「極めて残念だと思います。我が国は我が国の立場を今後ともしっかり説明していきたい」(菅 義偉 官房長官)

 菅官房長官は会見で、このように述べ、国連人権理事会の場で日本時間の6日夜、従軍慰安婦問題に関する日本政府の立場を表明し、反論したいと述べました。
           TBS News(06日13:42)
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  3月5日、韓国の尹炳世外相は、ジュネーブの国連人権理事会で演説を行い、従軍慰安婦問題について日本を名指しで批判した。翌6日には、ソン・キム駐韓米大使がソウルで記者会見し、従軍慰安婦問題について「極めて重大な人権侵害だ。」と韓国を擁護しただけでなく3月10日、米国・国務省の報道官は、「河野談話を継承するという立場は前向きだ」と述べるなど韓国を押さえるどころか日本い自制を求めている。韓国の外相は、日本政府の河野談話の検証作業を“歴史の真実”を無視した非人道的なもと批判し取りやめさせようと“躍起”になっている。“歴史の真実”を直視したくないのは、日本より米国である。

 米国・国務省の報道官の報道官が記者会見で日本を批判した3月10日は東京大空襲の日である。1945(昭和20)年のこの日、米軍は東京に大空襲を行い、8万人以上の死者が出た日である。

 韓国は米国の(・・・・・暗黙の・・・)同意を得て従軍慰安婦問題を騒ぎ立ているだけでなく、検証作業そのものを阻止しようと動いている。米国も懸念しているが、本音は米国が人道に反する大虐殺を愚行した“歴史の真実”を封印し、日本が真相に眼を向けることを阻止したい思惑があるからであろう。

 長崎、広島に対する原爆投下と日本全土に対する無差別の空襲は、人類史上最大の蛮行である。米国は謀略を得意とする国だ。開戦の詔勅がそれをよく示している。 

 東京裁判然り、敗戦直後のNHKによる“真相はかうだ(こうだ)!”という洗脳番組による洗脳工作然り、出版物の検閲然り。どれも敗戦後の占領政策で“歴史の真実”は米国に都合がよいように歪曲された。米国は、安部政権が“歴史の真実”を検証することを一番危惧していることは想像に難くない。韓国が従軍慰安婦を取り上げるのを容認し日本を抑えにかかっている。

 虚言か真実を語っているか分からない“従軍慰安婦”の言い分を鵜呑みにして作成された談話を検証するのは、日本国民、日本政府の責務である。他国にとやかく言われる筋合いのものではない。

米国務省の報道官が従軍慰安婦を言及した日は、何の日!
  1945年のこの日は、東京大空襲の日  
 
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  言問橋炎上 ― 家族全員を亡くした橋の記憶 

  
作者:狩野光男 日時:1945(昭和20)年3月10日 

  場所:隅田川・言問橋(浅草側) 年齢:14歳 
 3月10日、自宅のある浅草区千束町3-11(現台東区浅草5丁目)から、言問橋近くの墨田公園(浅草側)に至った。公園は人が一杯で大混雑となり、それまで一緒だった家族とはぐれてしまった。呼吸も苦しく、雨のように降り注ぐ火の粉の熱さに耐えかね、隅田川に飛び込んだ。私は、橋下の石段に割り込んで入り、そこで燃え上がる言問橋を見上げた。橋上は燃え上がり、人々は欄干にはりついていた。時折、焼けたトタンが風を切って川の端まで飛んでいった。夜が明けると、橋の下に生き残った者が20人ほど集まったが、ほかは全て焼死か水死していた。

 私はここで一家6人を亡くした。しかし、本当の苦労はそれからだった。戦災孤児というハンデのもと、何十年ものあいだ、故なく侮りを受け、社会の底辺にしがみついていかなければならなかった。一体誰が、どんな形でその責めを負うのか。願わくば戦争を知らない世代の人々が、このような地獄を再び味わうことのないよう祈るのみだ。

  世田谷区から見た、炎上する浅草・本所方面  

  
作者:土屋武倫  日時:1945(昭和20)年3月10日

  場所:世田谷区池尻町(現世田谷区三宿)より遠望  年齢:14歳 

 世田谷区池尻町589(現世田谷区三宿2丁目)の自宅から3月10日の東京大空襲で燃える浅草・本所方面を遠望した。遠く離れた世田谷区でも、新聞のやや大きめの活字が読めたほど明るくなり、時にはB29爆撃機がサーチライトなしでも炎を映して赤く視誌できた。この後、昭和20年5月25日の空襲で、世田谷方面が襲われ、家や家財すべてを焼失した。
  (すみだ郷土博物館監修『あの日を忘れない 描かれた東京大空襲』柏書房 2005年2月10日) 
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    大空襲を報じる東京日日新聞の記事 1945年5月26日)
     

なぜ、日本は米英と戦ったか
 1941年12月8日の東京日日新聞の社説が、開戦に至った経緯を述べている。

 「米の第一線主力を一挙血祭り」大きな見出しの下に、戦劈頭の戦果を誇り、「陸海軍に勅語を賜う」と「東亜解放戦の完遂へ」と題する社説を掲載している。軍国主義の旗振り役となり発行部数を増やした毎日新聞らしい勇ましい文言で溢れている。
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  (東京日日新聞、社説)
  
東亜解放戦の完遂へ 
 
一億総進軍の日が来た。待ちに待った日が来た。米英両国に対する宣戦の詔書を謹読するもの、誰か血湧き肉踊るの感を抱かないものがあらう。既に事は、決す。われ等全国民は東条首相の談話にある通り「必勝の信念」を以って、最後の勝利を確保するまで戦い抜かねばならない。路は 如何に険難であろうとも。また戦いは如何に長びこうとも。


 宣戦詔勅の一字一句をわれ等は、謹みをこめて拝読せねばならない。否、一句一行の間を埋る無量の意味を、国史によって鍛われた日本精神をもって拝読せねばならない。万邦の平和と共栄を念とし給ふ大御心は、●(この文字?)固として天日の如く明らかである。しかしながら、東亜の禍乱を長びかせ、東亜を奴隷化し東洋制覇の飽くなき非望を遂げんとする彼米英の汚濁せる鏡面には映じない。政府当局が危局を既倒に挽回せんとした幾多の努力は、事々に無謀にも蹂躙せられた。七重の膝を八重に折り、われ等をして歯痒い思ひをさしてまで平和を太平洋に維持せんとした努力は、顧みられることなくして泥土に委せられた。性格的に気短であるとはいはれているわが国民は、よくここまで辛抱したものだと思ふ。「隠忍久シキニ彌リタルモ」と仰せられた大御心を拝察して、われ等が心頭、煮え沸るの思ひがするではないか。

 事のここに至りたる情勢の詳細の経過については、帝国政府から米国および英国両政府に与へたる通牒によって明瞭であり、更に日米交渉の経過についてわが外務省の公表がある。彼米英の当局が、如何に尊大振った態度を以って終始我に臨んだか、実情は眼を閉ぢ、遷延遷都したか。しかもその間において、援蒋に狂奔し、興国を誘惑して、帝国の身辺を如何に脅かしたか。経済封鎖を企ててわが生存の糧道を如何に遮断遷都したか。われ等は彼等の罪状をここに列挙するを省くであろふ。思ふに貪欲非道にして、金権猶太思想の囚徒たる彼らの行為は、天人共に許さざるところ、黙せる石と雖もその非を叫ばずに置かないであらう。 

 一剣閃くや、太平洋狭しと、わが皇軍は空に、海に、陸に、武威を輝かしつつある。米英が過去年久しく搾取を逞しうした東洋の基地は刻々壊滅しつつある。東亜の解放戦である。新しき東亜の創造戦だ。見よ、大東亜に垂れ籠めし妖雲は、刻々掃討せられて、その本然の姿を水平線の彼方に著し始めているではないか。

 いまや、聖旨を奉體して一億の民は、勇躍してこの●(この文字?)古の聖戦に赴く。大君の辺にこそ死なめ。一切を大君に奉げ、興亜大業を目指して驀進するであらう。銃前銃後、一體となって天の使命のために戦ひ、天の試練に打克たねばならぬ。われ等は、この聖業に参ずるの光栄を感じつつ、一切のものを戦争体勢に完備すべきであり、政府当局としても一段と決戦体勢を整へる必要もあるであらう。臨時議会は、その一好機でなければならぬ。

 畏くも大詔すでに渙発せられた。忍び難きを忍んだ帝国は遂に怒って起った。米英勢力を東亜より、南洋より、太平洋より抜本的に駆逐すること、それが支那事変解決の捷径であり、大東亜の平和と共栄の唯一の路となった。しかし敵も剛の者である。
 油断するな。甘く見て心を緩めるな。全国民錦旗を奉じ、この聖業達成の日まで心を一にして戦ひ抜かねばならぬ。 
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 東京日日新聞は、現在の毎日新聞の前身である。軍部と一体となって戦意高揚、国民を戦争へ動員するための旗振り役であった。勇ましい文言が並ぶ、まるで北朝鮮の新聞のような錯覚がする。戦争が終われば自らの戦争責任に眼を瞑り旧軍に責任をなすりつけ、今は“平和の愛好者”然と振舞っている。3月10日は米軍による東京大空襲の日である。それを報道することなく米韓の従軍慰安婦関連発言を報道している。

 戦前・戦中は軍部に、戦争後は米国に諂う卑屈な体質は、この新聞に見られる一貫した姿勢である。

米国が従軍慰安婦を論うのは、大量殺戮を封印するための茶番劇 
 
20世紀、欧米列強は東西からアジアを目指して進出してきた。日米英蘭等との戦いは、市場争奪戦であった。戦争の勝者・連合国側が敗者・日本を裁く資格はない。いわんや、戦勝国の論理が正しいわけがない。 

     20世紀は列強による植民地争奪の時代 

     株式会社吉川弘文館『〔増補版〕標準 世界史地図』1992年4月


 大東亜戦争開戦直前、日本は中国大陸で重慶に遷都した国民党の中華民国(C)と戦闘状態にあり、米国の義勇兵が中国空軍に参加していただけでなく、武器の貸与などを行っていた。日米は実質的に戦争状態にあったが、連合国側は日本を更に締め上げるため、下記に代表される政策をとった。 
 1941年3月11日 アメリカ(A)、イギリスに対する武器貸与法制定 
 1941年7月26日 イギリス(B)、在英日本資産凍結 
 1941年7月28日 オランダ(D)、対日石油禁輸 
 1941年8月1日 アメリカ(A)、対日石油禁輸 
 これによって連合国側の“ABCD包囲網”が形成されたうえ、米国は日本に有無を言わせぬようなハル・ノートを突きつけた。このため日米交渉は妥協ならず、日本は自存自衛のため戦争に突入した。
日米英国等との戦争は、アジア、中国という市場を争奪するための戦いであり、正義、不正義とうい次元の戦いではない。日本軍は真珠湾の米海軍基地を攻撃したが、軍事施設であるが、米国は人々が寝静まった深夜に焼夷弾攻撃で大量殺戮を行った。広島・長崎の原爆投下とともに人類史上類を見ない残虐行為である。米国は自らが犯した犯罪に目を瞑りながら、”正義”を語る資格など毛頭存在しない。

    1945年3月10日の大空襲の被災状況



    1945年1月27日の大空襲
     有楽町駅ガード下の焼死体


   3
月10日の大空襲
     ことごとく焼き尽くされた本所・深川一帯

  
     
浅草区の路上の焼死体 


 
    1945年5月24日、25日連日の大空襲 
    
都電青山車庫に収容された焼死体
 

     東京空襲を記録する会編 『《復刻版》東京大空襲の記録』 三省堂 1982年3月 

  今 忘れ去られようとしている 


 (碑文) 
 戦災によりなくなられた方々の碑 
                   台東区浅草七丁目一番 
 墨田公園のこの一帯は、昭和二十年三月十日の東京大空襲等により亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。
 第2次世界大戦(太平洋戦争)により被災した台東区民(当時下谷区民、浅草区民)は多数に及んだ。
亡くなられた数多くの遺体は、区内の公園等に仮埋葬され、戦後だびに付され、東京都慰霊堂(墨田区)に納骨された。
 戦後四十年、この不幸な出来事や忌まわしい記憶も年毎に薄れ、平和な繁栄の下に忘れ去られようとしている。
いま、本区は数少ない資料をたどり、区民からの貴重な情報に基く戦災死者名簿を調製するとともに、この地に碑を建立した。
  昭和六十一年三月                   台東区 
 


 
オバマ大統領は、民主党のフランクリン・ルーズベルトを尊敬している。ホワイトイトハウスに入った直後「ルーズベルト大統領を見習いたい」と述べた。オバマとフランクリン・ルーズベルトは2人とも日本が大嫌いである。ルーズベルトは、政治的に人をだますことに長けていた。また彼が死ぬのを見取ったのはエリノア夫人なくソ連の女性スパイであった。ルーズベルトの周辺には共産主義者が多数食い込んでいたし、彼自身中国共産党に同情的であり、日本を陥れる罠を作り、滅ぼした日本の敵である。日本人は米国の占領政策を何等疑うことなく受け入れ、ルーズルトが日本に対しいったい何をしたか考えることもしない。

 ルーズベルト大統領は日本の中国、特に満州進出に反対し、日本が独占的な権益を満州に持つことを阻もうとした。アメリカ民主党を中心とするフランクリン・ルーズベルト大統領一派は日本を中国大陸から追い出し、大国への道を閉ざそうとした。こうしたルーズベルト大統領の基本的な考え方や体質はオバマ大統領と共通している。TPPも同じで、中国に対抗するものではない。日本を押さえ込むためである。鳩山元首相が東アジア共同体を言い出すと米国は露骨に反対した。オバマ政権はデッチ上げのデータで“トヨタ叩き”の陰謀を企て鳩山潰しに狂奔した。 

  民主党のクリントン元大統領は中国から金をもらっていたため反日的であった。そしてオバマの大統領選挙活動中、中国政府から政治的、金銭的な支援を受けていた。オバマ政権と中国政府の利害は一致している。 彼はルーズベルトを真似て陰謀を企み日本を陥れようとしているかに見える。

 米国が韓国と共に従軍慰安婦を論うのは、自己の歴史上例を見ない大量殺戮という犯罪を封印するための茶番劇である。 

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