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【「幽霊」とは何ぞや】③霊からのサインとしての疑似幽霊(下)「霊姿」

2012-03-28 00:21:53 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学

【テレパシーに近い「霊姿」】
 知っている死者(ごく稀には生者も)が、姿をもって目の前に現われるというものがあります。人間が「霊の姿」を目撃するケースで一番多いのがこのタイプではないでしょうか。(ただし愛する死者が姿を現わすのを「幽霊」と呼ぶことは少ないのではないでしょうか。)
 特に多いのが、いわゆる「虫の知らせ」に近いもので、臨終時に、その人の姿が肉親によって目撃されるというケースです。このブログの「2ちゃんねるのスピリチュアリズム」でもそういう話をいくつか収めています。
 死去してかなり経ってから出現する例ももちろんたくさんあります。

 《ボストン在住のF・G氏は、ある時、ホテルの一室で、十年前に死亡していた妹の姿を見た。「うれしさのあまり、名前を呼びながら椅子から立ち上がった。するとその姿はフッと消えてしまった」。帰宅して両親に報告をすると、父親は一笑に付したが、その姿の顔のところに引っかき傷のようなものがはっきり見えたことを話すと、母親は気を失いかけた。母親は、妹の死の直後、遺体を撫でている時、誤って顔に引っかき傷を付けてしまい、あわてて白粉を塗って隠したため、誰にも気づかれなかったということを告白した。》(F. Myers, Human Personality, pp.405-8より要約)

 愛していた死者が出現する場合には、激励とか、「死後も生きている」ことを知らせるためとか、忠告・警告とかの目的があるのでしょう。稀には、何かしらの要求がされる(遺品を処分しろとか墓をどうこうしろとか)場合もありますが、霊の方が現世に執着しているわけで、あまり好ましい状態ではありません。
 なお、こういうことが夢の中でなされる場合も多くあります。夢ですから「心霊現象」にはならないわけですが、睡眠中は肉体と幽体の乖離が起こっているので、霊の方も働きかけやすいわけです。夢のすべてがそうであるわけではありませんが、一部の夢は「心霊現象」と同義なのです。

 知っている死者ではない姿が現われると、一般的な「幽霊」現象に含まれるものになります。なぜ知らない人が出現するのかは、ケースバイケースではっきりわかりません。なにがしかの縁がある(遠い血縁とか、過去世での出会いとか、特定の場所に近寄ったためとか)場合もあるし、そういうものがまったくわからない場合もあります。

 こうした出現の特徴は、「その人だけに見える」ということです。
 つまりこれは一般的な「幽霊現象」ではなくて、特定の霊からの「通信」ということになります。
 「いや、通信ではない、歩く音が聞こえたり、触られたりした」「手を強く握られて痕が残っている」という反論があるかもしれませんが、視覚以外の感覚も、必ずしも実在物が介在せず、感知されることはあります。体に痕跡があるとしても、人間の肉体は思念によって実在しないものの痕跡を作ることがあります(過去の出来事を強く思い出したところ、その時の縛られた縄の痕が出現したとか、催眠暗示で焼け火箸を触れると告げられ、冷たい火箸を接触させると火傷の水疱が出現したといった事例があります)ので、その種のものだと思われます。
 何が言いたいのかというと、こうした際には、霊の方はその姿を強く相手に知覚させようとしているだけで、「霊が物質的にそこに出現している」わけではないということです。霊が与えてくる知覚はあまりに強烈なので、当人にとっては現実と変わりないものですが、他の人には知覚できないのです。

 興味深いことは、こうしたことが起こる場合、通常は霊的感受性を持たない一般人(霊媒、霊能者でない人)にも、その時だけ感受性が与えられ、しかも特定の人霊だけが見えるようになるということです。
 これは不思議な謎です。霊は、ターゲットとする一般人の霊的感受性を一瞬高めることができる。しかも、その際、ほかの霊は認知・感知できないようにしてある。これはけっこう特殊技術ではないでしょうか。それとも純然たる想念を送り込むことでこういう事態が出現するのでしょうか。

 余談ですが、霊は「好きな姿」を取ることができます。相手にわかりやすいような姿とか、相手が一番好んでいた姿を選ぶ(幼くして死んだ子は幼く可愛いままの姿を取る)ようです。逆に言えば、驚かせようとするのなら、それなりの趣向を凝らした姿も取るということです。場合によっては、何らかの理由から正体を明かさないようにするため、動物とか奇妙奇天烈な姿とかを取ることもあるようです。見える姿は何らかの意味を暗示しているのであって、「実際の姿」ではないということは、覚えておくといいかもしれません。

【霊姿が複数人に起こる現象】
 その場にいた複数人に目撃されたからといって、「霊が物質化した」ということにはなりません。「一人に向けて働きかける霊姿現象が、同時に複数人に対してなされた」場合もあるからです。
 心霊スポット体験談で、何人かが「白い服の女を見た」と証言した場合でも、特徴が一致しない場合があります。霊がそこに客観的な物体として現われたのではなく、それぞれに強い想念を与えただけのため、受け取り方が違ってくるわけです。
 なぜこんなことにこだわっているかというと、「聖母の出現」などではこういった現象が報告されているからです。
 聖母の出現は、ルルド、ファティマ、グァダルーペが有名ですが、特にファティマでは、再三の出現の知らせを聞いて集まった数百人の群衆に出現したとされています。ところが、その目撃証言は、一致しているものもあれば、かなり異なるものもあります。もちろん何も見えなかった人もいます。
 「異なったものは嘘で、一致しているものが真実」という可能性も大ですが、その解釈の場合は、「霊的感受性を持った人だけが感知できる半物質的な像が造られた」となるでしょう。しかし霊的な感受性を持った人がそれだけの数いたかどうかは疑問です。そうではなく、そこに居合わせた人にそれぞれ想念が送られ、それを受け取る際に(当人の認知能力や認知構造によって)差異が生じたとも考えられます。それだと一致するものもあればかなり異なるものもあるのは当然ということになります。
 複数人に想念を送り込むのは、かなりの力わざになるでしょうが、「物質にほぼ近いものを作り出す」ことよりは、簡単なように思えます。後者は、スピリチュアリズムの交霊会実験でも、なかなか起こらないことだったからです。聖母出現には、相当多くの霊が一致協力して事に当たったと思われますが、否定論者もいる数百人の前で「聖母の生身」を出現させることは、不可能だったのではないでしょうか。


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