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祈りとは何か――モーゼズ『霊訓』から

2010-08-28 00:15:00 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 祈りとはいったいどのようなものか。神・神々・高級霊・有縁霊に対して人間はどのように働きかけたらよいのか。
 これに対して、スピリチュアリズムの霊信に素晴らしい答えがあります。
 ステイントン・モーゼズによる『霊訓』の一節です。
 けれどもその言葉はあまり凝縮しすぎていて、普通の人にはなかなか読解できないようにも思えます。そこで、ここに敷衍表現――噛み砕いた「超訳」――を掲載してみたいと思います。
 出典は『霊訓』第13節です(William Stainton Moses, Sprit Teachings, Kessinger Publishing, pp.103-104、モーゼス『霊訓』近藤千雄訳、国書刊行会、138頁。http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/imp-teachings1/imp-teachings1-13.htm)。

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 本当の祈りというものは、あなたを見守り、導こうとしている「守護霊」への、魂の奥底からの叫び、まっすぐな感情・願いでなければなりません。
 多くの人は、「何がほしい」「どうなりたい」といった要求をしています。そしてそうすれば、魂の宿命――成長のために用意された道筋――を無視して、また因果律の法則を歪めて、それがかなえられると思っています。それは幼稚な考えです。そういった考え方をしている限り、祈りの本当の意味はわかりません。祈りによってもたらされるのは、そういうものではないのです。
 あなたの魂の真底からの願い――成長したいという切実な願い――を読み取り、その道筋をはっきりと示してあげようとする守護霊がいます。祈りとは、そのお方へ向けての切実な訴えかけです。それを聞けば、守護霊はさらに高級な霊にそれを伝え、「この訴えにふさわしいものを差し向けてください」とお願いしてくれます。
 祈りは形式の問題ではありません。何か決まった言葉を一語一語唱えなければいけないというものではありません。そういった宗教的な決まり事など無視して、叫ぶように熱く求めることが重要なのです。
 本当の祈りとは、あなたの魂と、あなたを見守り導いている魂との、この上なく直接的な交わりです。また、あなたが知らない間にあなたの魂が交信している、あなたの仲間の魂たちへの訴えかけでもあります。そうした祈りがなされる時、目には見えない「場」を伝わって、あなたの訴えかけは信じられないほどの早さで届けられます。そして、それに答えようとする霊たちの働きかけも、また信じられないほどの早さで返されます。その一連の動きこそが「祈り」の本質なのです。
 あなたが悩んでいる時、それを癒し、導いてくれる高貴なお方がいます。祈りとはその方に頼み、委ねることです。そのためには、どういう言葉を使うべきかとか、どういう姿勢や作法が必要とされるかとか、そういうことは考える必要はありません。むしろ、そうした余計な計らいをする余裕すらなく、ひたすら熱く訴えかける時こそ、祈りは真実のものとなるのです。
 けれども、こうした祈りが実現されるには、日頃の鍛錬が必要です。日々、あなたの魂を見守り導く魂があると思い、その魂に向けて余計な計らいを捨てて、熱く素直に訴えられるようにする必要があります。それは運動のようなもので、日頃から鍛錬しないと、いざという時にうまく働きません。繰り返し繰り返し練習することで、初めてその熱さと素直さを実現することができるのです。
 ですから、日頃から、霊的な言葉を読み、霊的な見方をし、霊的な世界に意識を向ける生活をする必要があります。そうすればそうするだけ、霊的世界とのつながりは深くなり、その豊かさに触れることができるようになります。そうすれば、あなたを見守り導こうとしている霊も、手を差し延べやすくなります。
 現実の余計な物事に影響されてはなりません。あなたの魂の芯をしっかりと見据えることができるなら、あなたを見守る霊も、しっかりと聞きやすくなり、しかるべき対応をしやすくなります。
 そういう祈りができるようになれば、その魂は、地上の世界の中で、自然と高い霊性を発揮するようになります。なぜなら、日々高級な霊と交信し合い、霊的な豊かさを受け取ることができるからです。
 そういう人たちには、物質世界しか見えない人には決してわかることのない、霊的真理への道が開かれています。そして、そういう人たちは、地上生活の苦しみも悲しみも魂の成長の糧なのだと受け入れることができ、さらにそうした苦しみ悲しみを感じつつ、それを超えた静謐な心の状態を持つことができるようになります。
 これは霊的な真理です。これを多くの人たちが知らないということは、何と嘆かわしいことでしょう。この真理が少しでも理解されれば、人間はより清い、高貴な精神境域に生きることができるでしょうに。
 こうした霊的真理を知れば、余計なオカルト志向はなくなります。軽薄な好奇心に捕らわれて、自分がどれほど弱く危なっかしい身であるかも考えず、見えない世界に強引に入り込もうとすることは非常に危険です。そんなことをすると、邪悪な意図を持った霊や、いたずら好きの霊が、ここぞとばかりに悪さをするでしょう。彼らの力は意外に強く、真剣な霊的探究者でさえ、しばしばだまされることがあるくらいなのです。
 こうしたことは完全になくすことはできませんが、上記に述べたような「祈り」の真実が多くの人に理解されれば、邪悪な霊の悪さは減り、高級霊が働きかけやすくなるでしょう。
 そうなった暁には、高級霊がいかに素晴らしく人々を導いているか、彼らの意図がいかに純粋で、その語るところがいかに真理をたたえたものであるかが、多くの人にわかるようになるでしょう。
 これこそ、「祈り」の大いなる意義なのです。

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 いささか出過ぎたことかもしれませんが、ここに込められているものを、どうにか多くの人に理解してもらえれば、と願うのみです(正直言うと、後ろからごつんとやられただけですw)。(それと、上記の文章は著作権フリーです。どう利用していただいても結構です。)

 そのほかにも、スピリチュアリズムの霊信には「祈り」をめぐっての素晴らしい言葉があります。詳しくはTSLホームページ「基本編(13)祈りについて」http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/2-13..html をご参照ください。

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1 コメント

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ホワイト・イーグル (へちま)
2010-09-04 10:05:01
とても分り易い名訳で感銘しました。
内容は多少異なる感じですが、ホワイト・イーグルの「天使と妖精」という本の156pにある祈りに関する記載を以下に抜粋します。

祈りとは、自己を博大な愛の精神と一つに完全に同調させることです。その愛の上にありなされ。そこに生き、それを思い、自分のことなど、また世俗の思いなどは持ちなさるな。我は虚しいものです。我からは永続する力も叡智も愛も生まれることはありません。
ただ、天地の中心に貴方がつながる時、天界の光に触れている時、貴方は偉大な者となるのです。なぜなら、そのとき貴方は意識的に神と共にあり、神は貴方と共にありたもうからです。
されば、すべての事が良き方に向かって働きましょう。貴方が善と、即ち、神と共にあるのですから。
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