実家の私のモノ片づけの続き、「父母面談をするための資料」が出てきました。今日のモノでお願いします。 私は大学が好きなのか(笑)文学部2つ行っていて日本文学科中退、(歴)史学科卒業であります。教師のクチがあまり無かった時代に卒業後、同期に先生になった人はいませんでしたが、その前から教師を目指す方が文学部は比較的多く在籍すると聞いて入学しました。最初の日本文は書道の先生、史学は社会科の先生を目指して:私も教員免許を取って先生になるべく… 端的に結果を言うとまず教員免許そのものも取れませんでした。本当にいい加減な私…
まず自分の能力も試すべく2つ目の大学に無事受かってから塾のアルバイトを始めました。やってみると人にものを教えるというのはこんなに難しいことなのかと… 自分で解っていてもそれを伝えるとか、相手のレベルに合わせて話をするとか… 特に中学2,3年とかになると生徒の図体も大きくなって… 肝っ玉もカラダも小さい私は向いていないことを悟ってしまいまして… 教員そのものを目指すのも諦めました。でも四谷大塚対策(当時四谷大塚行くのがステータスだったよねえ…)とかの小3,4くらいのお子さんにはウケは良かったけどなあ…
この資料に書いてあります、落ち着いて堂々と!と。たつみ先生はこれが一番大事!と。 それくらいごめんなさいごめんなさい、といつも謝っているように見える、ちょっと腰が低すぎ、と教室長に言われたくらい自信も無くやっていました。だって本当に自信が無かったから… その割には不得意なことでもすぐ辞めちゃだめだと3年近くやってたっけ… でもその腰の低さは社会人になり就いたサービス業にはとっても向いていました、態度が良いと褒められたり、クレームのお客様によくしていただいたもの… 何が功を奏すか暗中模索をずーっとしていた20代でした。そして今50も過ぎて知恵や知識がある程度付いても踏ん反りかえらないで済んでいて、トシもトシだからペコペコしないようにもなり… ちょうどいいくらいになりました。まあそんなんでいいんでないかな…
ムスメっちが受験年齢なので改めて見てみたけど大した情報は書いて無いなあ、一所懸命に集めたんだけどケーススタディばかりで自分には有益な情報無いなあ… でポイしました。でも当時の労苦が何となく伝わってきて、片づけは色んな感情も思い出させてくれました。 以上、今日もお読みいただきありがとうございました。
7641個 モノを捨てました!(^_^)
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