お城の図書館で、私はコモドドラゴンの写真を見ていた。
その頃高校生だったチヨノと図書館で知り合い
インドネシア写真集を見ながら行ってみたいね、と冗談で話していた。
一番最初にコモド島を訪れたのはチヨノとだった。25年も前の話だ。
当時バリシーダンサーという船がバリ島のベノアからロンボク島〜スンバワ島
リンチャ島〜フローレス島〜コモド島を4泊5日かけて巡るクルーズが出ていた。
クルーズ船は上質で見事なマホガニーの木彫りの内装で、
スタッフは皆中世のロマンチックな衣装を着ていて、小さいながら素敵な船だった。
日本人にはまだあまり馴染みのないロンボク島やスンバワ島など、
独自の文化を持つ島民の村中を訪ねて
牛車レースや踊りなど珍しい体験が盛り込まれていた。
コモドドラゴンは悠久の時を経てその姿を今に残す恐竜の元型とも言われている大蜥蜴だ。
体調は大きなものだと3mを超えてるモノもいるらしい。
牛も倒す猛毒を持ち、去年イタリア人がドラゴンから食われたと
案内のお兄さんが教えてくれた。
隣のリンチャ島、フローレス島と合わせて5000頭程生息しているそうだ。
コモド島に上陸すると、ドラゴンを目当てにジャングルをかき分け、
ドラゴンの多く生息する高台の場所に、
棒っきれ一本持ったたくましいお兄さんが案内してくれる。
ジャングルを歩くのは暑くて大変だった。
途中大きな野生の鹿が出たり、イノシシや、野生の牛の群れもいた。
冒険家気分で一時間程歩くとドラゴンが一、二頭視界に現れだす。
……以前写真で見たのは、ドラゴンの生息場所に柵のようなものが設置されてて
人間が柵の外から柵の中のドラゴンを見ていた。隔てられていたようだったが…
柵はある事はあるけど…どちらもどこからでも自由に行き来出来た。
「やあ、来たよ」
じっとして動かないドラゴンの表情は無い。
彼方悠久の時空を見ているのか。
強力な尾っぽで大きな動物を倒す事も出来る彼らは
この地の他のトカゲ等と違い強面な印象だ。
土産物屋もホテルもないこの島の
この空間の中でひっそり昔ながらにただ
佇んでいるだけだ。
忘れられたラピュタのロボットのように…
この土地では
人間はオランと言い、ドラゴンをオラと呼ぶ。
昔からの神話があった。
神様はすべての良いところを集めてオランを作り
すべての悪がオラになった。
オランとオラは兄弟で、宇宙は善と悪で成り立っている世界、
良い部分を持つオランは悪い部分を持つオラを兄弟として可愛がっているという。
この島は神話がよく似合う。
あの目を図書館で見て以来ずっと来てみたかった。
彼らの見つめる彼方に何があるのか。
ここは彼らの世界。
オラが今生を、オランと隔離された彼らだけの世界でひっそり生きる事は
オランに対する唯一の愛なのかな…
「ねえ、なんでドラゴン見たかったの?」
チヨノに質問した。
「かっこいいからですよ!歩き方が可愛いし〜💓」
屈託なく明るく笑う。
2回目はバリ島ングラライからフローレス島ビマの原野に飛び、
物凄い水しぶきを浴びながら
カヌーでコモド島に向かい、同じジャングルコースを歩いて彼らに会ってきた。
最後にこの地に行ったのはオーストラリア、シドニーからシンガポールに向かうクルーズの
途中寄港した時だった。
土産物屋もホテルも出来ててすっかり観光地に様変わりしていた。
こうなったら流石の永遠のドラゴンも
土産物屋に並ぶ日も近いに違いない。
彼らはそれでも これからも 気が遠くなる程続くだろう世界を、
知らん顔して悠久の彼方を見つめ続けて生きてゆくのかしら…
「ドラゴンのお土産カワイイ。一個買お」
この島が世界遺産に登録されたっぽく、ピンクサンドビーチで
ダイビングを目論んでいたが当てが外れた‘ヤツ’は
スターのぬいぐるみを手にしていた。
3回ここに来ている自分を考えた。
3回目までに色々あった。
前の夫は優しかった。
私はどうして夫と子供にもっと優しくしてあげられなかったのだろう…
どうして、もっとみんなを幸せにしてあげられなかったんだろう…
私が良い妻であれば
私が愛情をいっぱい注いで
もっと家族を思いやってあげられていたら…
周りはみんなよくやってる。
私だけがおかしかった…
私だけがいつもみんなの中でオラだった…
そんな事を思う。
最近ドラゴンはTV などでも時折スポットを浴び、ちょっとスターになってる。
島周辺も開発され大手観光業者が入り
凄まじく様変わりしているようだ。
コモド島は世界遺産になり
2020年から、もう立ち入る事は出来なくなった。
世界はすごい勢いで変わっていってる。
今は行けなくなったとこや なくなったところも多いが
時空を超えて想いの中で蘇る時がある。
あの時行っててよかった、と思う。
過去に戻る事は出来ないけど
あの頃はたせなかった想いは
少しづつ果たしていけば良いんだ。