アラスカ ーそれは試される大地ー
そんな大層なキャッチコピーがついているわけではないですが、アメリカ合衆国アラスカ州のことは皆さんご存知でしょう。
アメリカでは49番目に州に昇格し、ハワイ州に次いで新しい州となっています。
本土から海を挟んだ北側に広大な面積を持っていることからアメリカにおける北海道的ポジションともいわれるアラスカ。
実はこのアラスカ州、もともとロシア領だったことまで知っている人となると少し少なくなるかもしれません。
アメリカでもイギリスでもフランスでもカナダでもなくロシア領だったアラスカ。
なぜアラスカはロシア領となり、そしていま現在はアメリカ領となっているのでしょうか。
今回はこのアラスカの歴史をご紹介します。
そもそもこのアラスカにいたのはアメリカ先住民でエスキモーやネイティブアメリカンが暮らしていました。
そこに最初にやってきたのがロシア人で、18世紀中盤のことでした。
アメリカ合衆国が独立するのが18世紀後半なのでこの時はまだアメリカはイギリスの植民地だった頃です。
この時にロシアの航海士としてオホーツクやアラスカを探索したのがデンマーク出身のヴィトゥス・ベーリング。
彼はペテルブルク(現サンクトペテルブルク)から遠路はるばるシベリアを横断し
1728年と1741年にそれぞれオホーツクやアラスカ周辺の探索を行いアジアとアメリカが海洋で分断されていることを発見します。
残念ながらベーリングは1741年の探索時にカムチャッカ半島東沖のコマンドルスキー諸島で命を落としますが、
彼の功績を称え「ベーリング海」や「ベーリング海峡」などアジアとアラスカを隔てる地域にその名を残しています。
これを機にロシアはカムチャッカ側からアラスカやカリフォルニアなどアメリカへと進出していきます。
ほかのスペインやイギリス、フランスが大西洋側から米州へ進出していったのに対し、
ロシアは欧州列強の中で唯一太平洋側からアメリカへ進出していった国となりました。
そしてロシアは1799年にロシア領アメリカを成立させ、現在のアラスカの基礎が出来上がることになります。
しかしこのロシア領アメリカの経営はすぐに行き詰ることになります。
ロシアはこのアラスカでアザラシやラッコを狩猟し毛皮を生産していましたが
この毛皮はアラスカからカムチャッカに渡り、そこから遥かシベリアを越えペテルブルクに運ばれました。
広大な領土を持つロシアでしたが中心地はウラル山脈の向こう側、ヨーロッパロシアですからね。
そのため莫大な輸送費が嵩み、アメリカ大陸に拠点を置くイギリスやアメリカの毛皮商人に太刀打ちできなくなります。
またこういった毛皮商人たちが海洋生物を乱獲してしまったため資源が枯渇してしまい、
ロシア領アメリカの柱である毛皮事業が成り立たなくなってしまったのです。
しかも1853年に起こったクリミア戦争でロシアはイギリスやフランスに対して大きく国力で劣るという現実を突きつけられ、
また膨大な戦費の支出から財政難に苦しむことになっていきます。
そこでロシアが考えたのが、「ろくに毛皮も取れなくなったアラスカを売っぱらっちまおう」という作戦でした。
そもそもアラスカは当時クリミア戦争で戦ったイギリスの植民地であったブリティッシュコロンビアに面しており、
利益は出ないにも関わらずイギリスからの防衛が大変なだけの土地に成り下がっていました。
そのためロシアはアラスカの売却を決めるのですが、
その相手として当時まだカナダを植民地化していたイギリスではなくアメリカが選ばれることとなります。
理由としてはもしイギリスに売ってしまってはロシアの極東部がイギリスからの脅威に曝されることになるから。
イギリスに侵攻されてアラスカを奪われるくらいなら先にアメリカに売ってしまったほうが・・との判断もあったのでしょう。
まさかこの時は将来イギリスよりもアメリカのほうがよっぽどロシアの脅威になるとは思わなかったんでしょうね。
こうしてロシアとアメリカの間でアラスカ売却の交渉が繰り広げられ、
1867年についに720万ドル、1㎢あたりだと5ドルで取引されることが決定しました。
これを現在の貨幣価値に置き換えると1㎢あたりなんと85ドル(約1万2000円)、総額では1億2300万ドル(約185億円)という、
なんとも激安な買い物でした。面積でいえば日本の4倍の土地を185億円で買えたんですからね。
こうしてロシア領アメリカは解散し、アメリカ合衆国アラスカ県として生まれ変わることとなるのです。
この時アメリカ合衆国側でアラスカの購入を決めたのはウィリアム・H・スワード国務長官でした。
アラスカが売却された1860年代といえばゴールドラッシュで沸いたカリフォルニアが州に昇格し、
西へ西へと進んできたアメリカ開拓の最前線、フロンティアが消えつつある頃でした。
国土の拡張に熱心であったスワード国務長官は激安で買える広大な土地を入手するために国内での調整に腐心します。
しかしせっかく購入にこぎつけたもののと当時アラスカはロシアから無用の長物の烙印を押されていた土地。
アメリカでもこの購入に大きな非難が巻き起こり、「スワードは720万ドルで巨大な冷蔵庫を買った」とも言われました。
しかしその後、1896年にアラスカで金が発見されたことがきっかけに多くの地下資源の存在が明らかになり、
第二次世界大戦後には世界屈指の巨大油田であるプルドーベイ油田が発見されます。
また第二次世界大戦では日本、冷戦期ではソ連とそれぞれ敵対国との最前線にアラスカはあり、
実際の軍事衝突をアメリカの軍事活動において非常に重要な役割を果たしており、
現在ではアラスカ購入に踏み切ったスワードは高く評価されています。なんとも現金な評価ですね。
こうしてアラスカは州への昇格への懸念事項であった経済基盤の弱さを石油によって乗り越え、
1958年にアイゼンハワー大統領がアラスカ州法に署名をし、翌年アメリカ49番目の州となるのです。
現在のアラスカはこの石油産業がいまでも経済の柱になっており、
州歳入の8割を超える規模となっています。
またこの石油産業の発展から一人当たりの平均所得は平均を上回っています。
このほか漁業や林業、観光業なども盛んにおこなわれています。
さて、この現在のアラスカについてはまた次の機会に・・・。
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