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何故ソ連に向かったのかー大韓航空の謎①

2022-11-18 22:21:05 | 旅行

日本で最も馴染みのある「外資系航空会社」といえばどこでしょうか。

かつて東京をハブにアジア各地に路線を持っていたノースウェスト航空か、

はたまたノースウェストを吸収合併したデルタ航空か、

またはシンガポール航空やキャセイパシフィック航空などアジアの航空会社か・・。

 

近年ではここに韓国の空の雄、大韓航空も入ってくるでしょう。

 

いまでこそソウルから日本各地に地方空港にも就航しており

「仁川は日本最大のハブ空港」なんて言われるようにもなりましたが、

かつて大韓航空といえば少し危険なイメージもありました。

さて、大韓航空になにがあったのでしょうか。

 

 

大韓航空は1946年に大韓国民航空として誕生し、

1969年に韓進グループ主導で民営化されて現在に至ります。

かつて東京の空港が国内線は羽田、国際線は成田と完全に分かれており

地方の空港から東京を経由し国際線に乗り継ぐのが不便だったころから

日本の地方空港と仁川国際空港を結ぶ積極的に進出しており

仁川で多くの国際線に接続することで日本からの乗り継ぎ客を取り込み

東京の不便な状況に対しての皮肉も込めて仁川空港が日本最大のハブ空港

なんていう呼ばれて方をしてこともありました。

 

現在は航空連合スカイチームの主要メンバーの一社となっている航空ですが、

世界的に注目を集めることとなってしまった事件3件をご紹介しましょう。

 

一、大韓航空銃撃事件(1978年)

この事件はパリ発ソウル行きの大韓航空機が進路を誤ってソ連領空内に侵入し、

ソ連の戦闘機に銃撃されるという衝撃的な事件でした。

 

銃撃されたのはパリ発ソウル行大韓航空902便のB707型機。

冷戦期で西側諸国の飛行機はソ連上空を飛行できなかったため、

現在のような直行便ではなくアンカレッジ経由で運航されていました。

この便には韓国人やフランス人のほか、航空券の安さから

ヨーロッパから日本へ帰る日本人留学生なども多く搭乗していました。

 

 

これが大韓航空902便がとった進路です。

西欧からアンカレッジ経由で東アジアへ向かう場合、

ヨーロッパを飛び立った後グリーンランド方面へ飛行し、

北極圏を通過した後にアンカレッジに着陸します。

図の青いラインがそのルートとなります。

しかし902便はグリーンランドを過ぎたあたりでなぜか大きく進路を変え、

フィンランドやコラ半島方面に戻るように飛行していきます。

902便がとった誤ったルートというのが赤いラインですね。

 

そのままソ連領空に突入した902便はさらに南に向かって飛行を続け、

ソ連防空軍の迎撃を受けることになります。

この際ソ連のSu-15が発射した空対空ミサイルが左翼エンジン付近に命中し、

韓国人と日本人の乗客2名が命を落としました。

 

そのままソ連空軍機の誘導でコラ半島北部にある

ムルマンスク市郊外のイマンダラ湖に不時着を行います。

そして不時着から2時間後ソ連軍により乗員乗客は保護され、

乗客と乗員の大半はモスクワ経由でフィンランドのヘルシンキへ出国し、

機長と航空士はレニングラードに移送後1週間後に解放されました。

 

 

この旅客機が空軍機に迎撃された上にソ連の湖に不時着するという事件、

そもそもなぜ大韓航空機は進路をまったく違う方向にとったのでしょうか。

 

 

この時大韓航空が運航していたB707型機は1967年に製造された機体で、

パンアメリカン航空に納入されたものが1977年に大韓航空にリースされたものでした。

そのため機体には当時新鋭機を中心に導入が進んでいた慣性航行装置はなく、

また北極圏で地上航法施設もないエリアだったため、

航空士のより天文航法がとられていました。

天文航法は太陽の位置によって方位を図る旧来からの方法で、

コンパスなどを使用し航空機の針路を決定していたのです。

 

しかも902便は出発後グリーンランドの手前でコンパスが故障し、

自機の位置を見失っていたといいます。

また通信装置も故障しており、ソ連防空軍機が近づいてきた際にも

902便と空軍機との間で交信をすることが出来ませんでした。

そのため航路を大きく逸脱したことが誰にもわからず、

902便の乗員は迎撃されて湖に不時着するまでソ連にいることに気づかず、

アラスカ上空を飛行していたと勘違いをしていたのです。

 

しかしながらいくら天文航法といえどもコンパス以外にも方位を図る方法はあり、

コンパスひとつが故障したからといって自機の位置を見失うとは考えにくく、

ここまで大きく逸脱したのは運航乗務員の職務怠慢であったとされています。

一時は乗員らが飲酒をしながら乗務をしていたのではないかという報道も出たほどでした。

 

また当時は冷戦下であり韓国とソ連は敵対関係にあったことから

ソ連への情報収集をするために領空へ侵入したという陰謀論も盛んに唱えられました。

しかしこれについてはここまであからさまにソ連に突入していったのでは

スパイ活動もなにもないうえに、貨物機であるならばまだしも

わざわざ多数の乗客を乗せた旅客機で情報収集を行う必要もないため、

このスパイ論は次第に鳴りを潜めるようになりました。

実際に不時着後にソ連により機体の調査が乗員への取り調べが行われましたが、

902便がそういった活動はしていないとソ連側も発表をしています。

 

ソ連側もソ連側でパイロットは迎撃までに威嚇射撃を行いましたが、

これは軍からの「即時撃墜」という命令を無視してのことでした。

通常領空侵犯機が軍用機か民間機がわからない場合は撃墜の指示はしないという

国際慣習を無視したソ連の横暴さも明るみにでた事件でもありました。

 

 

乗員乗客107名のうち2名の尊い命が奪われた悲しい事件ですが、

今回の銃撃事件では大半の乗客は無事帰国の途に就くことが出来ています。

しかし5年後、ソ連への領空侵犯でさらなる大事件が発生するのです。

 

それはまた別の記事で。

 

 



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