日本人にとって最も馴染みの深い外資系航空会社である大韓航空。
いまでこそ東アジアを代表する航空会社のひとつとなりましたが、
過去には大きな事件に巻き込まれてきた歴史を持ちます。
前回の記事では1978年に起こった大韓航空機銃撃事件をご紹介しましたが、
今回はその5年後、1983年に起こった撃墜事件をご紹介します。
二、大韓航空機撃墜事件(1983年)
今回の事件の舞台となったのは大韓航空007便、
ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港発ソウル行の便でした。
こちらも前回の銃撃事件同様、アラスカのアンカレッジ経由です。
運航されていた機体は当時世界最大の旅客機であったB747型機。
「ジャンボジェット」といえばこの形ですね。
もともとは1972年にドイツのコンドル航空が購入した機体で、
1979年に大韓航空に払い下げられた機体です。
この007便は1983年8月31日の夕刻にニューヨークからアンカレッジに到着し、
22時頃にアンカレッジからソウルへと出発しました。
(いずれも時間は東京/ソウル時刻)
乗客の多くは韓国人やアメリカ人でしたが、
ソウルを経由する日本人や台湾人、英領香港人なども多数搭乗していました。
この画像が本来007便がとるはずであったルートと
実際に007便がとったルートです。
ちなみに画像左側のU.S.S.R.というのはソビエト連邦のことですね。
1983年はまだ冷戦真っ只中であり、西側である韓国の航空機は
日米の航空会社同様、ソ連上空を飛行することが出来ませんでした。
そのためアンカレッジからソウルへ向かう飛行機は
最短距離であるカムチャッカ半島上空を通過するルートではなく、
カムチャッカ半島の南をぐるっと回り、日本の本州上空を通過して
ソウルへ向かうルートをとっていました(画像の赤い点線)。
しかしながらなにを思ったのか007便は直線ルートに近い
カムチャッカ半島上空、つまりソ連領空に侵入するルート(画像の赤い実線)を選択し、
カムチャッカ半島上空を通過したのちにサハリンに接近します。
これに対してソ連軍は警戒態勢に入りMiG-23P迎撃戦闘機が出撃します。
しかし007便はその存在にまったく気づいていなかったとされ、
その後戦闘機から発射されたミサイルが命中してサハリン沖の日本海に墜落、
乗員乗客269名全員が死亡するという大惨事となります。
墜落後の機体についてはソ連のほか日本やアメリカも捜索を行いましたが、
ソ連政府により日米の艦船は領海内への進入を認められず、
また公海上の捜索においてもソ連軍による妨害を受けています。
またフライトデータなどが集約されているブラックボックスも
撃墜後すぐにソ連政府により回収されていましたが、
ソ連は日米など世界に対して「ブラックボックスは行方不明」と発表し、
その存在を隠匿していました。
その結果撃墜後の半年間、日米はあるはずもないブラックボックスを
日本海で探し続けることとなります。
この事件は5年前同様にソ連軍に民間機が攻撃されたというだけでなく、
撃墜された上に乗客乗員全員死亡というその結果から
世界中に衝撃を与えることとなりました。
しかしなぜこの007便はソ連領空に侵入してしまったのでしょうか。
この原因は当事者が死亡しているほかブラックボックスをソ連が隠匿していたため
ソ連が崩壊する1990年代までわからないままでした。
そのため様々な陰謀説などが飛び交っていたのも事実です。
その一つが「アメリカ軍による指示説」です。
当時は先述の通り冷戦期であり、アメリカとソ連は対立関係にありました。
そのためアメリカの同盟国であった韓国の航空会社に
敢えて領空を侵犯を依頼することでソ連極東のソ連軍の配備状況を調査したり、
逆にアメリカ軍による哨戒活動を行いやすくするために
ソ連軍を撹乱しようとしていたとの説です。
実はこの米軍陰謀説は民間機撃墜というイメージダウンを極力避けるために
ソ連側が唱えていた説でもあります。
そのためにブラックボックスを回収したことも隠匿し、
「悪いのはアメリカだ」という主張を繰り返したのです。
当初この陰謀論は西側諸国のメディアでも取り上げられていましたが、
さすがのアメリカも自国民が多く乗る民間旅客機をおとりには使わず、
またソ連崩壊後にブラックボックスがロシア政府により公開されたことから
この陰謀論は完全否定されています。
それと同時に唱えられていた説が「燃費節約説」です。
飛行機は当然短い距離で飛べばその分燃費が節約できます。
つまり本来のカムチャッカ半島南部を大回りするルートよりも
直線的にアラスカからソウルへ向かったほうがお得ということですね。
そのため機長が燃費を節約するためにこのルートを通ったという説です。
しかしこれについては端から眉唾物とされていました。
というのもこのルート変更でお得になる燃費はせいぜい数十万円程度。
それをケチって最悪撃墜の恐れがある敵国領空へ侵入することに
なんのメリットもないといえます。
しかも大韓航空は5年前に同じくソ連領空に侵犯し、
機体の損壊と乗客の大幅減という大損害を被っています。
そのリスクを負ってまで燃費をケチろうとしたとは・・・。
というわけでこの説は早々に消え失せました。
そして現在この原因とされているのが、ヒューマンエラーによる
何かしらのミスが発生したというものです。
ここに関しては機体が大破していることもありなにが原因であったか
未だにわからないのですが、おそらくは慣性航法装置にかかわる
ミスが発生したと思われています。
実際に大韓航空では2分後にアンカレッジからソウルへ同ルートで向かう便があり、
その便との交信の中で両機の風速などの情報が食い違っていたのです。
しかし007便はまさか自機がとんでもない方向へ進んでいるとは思わず、
この違いは誤差として片付けられてしまいました。
また乗務していた運航乗務員は比較的タイトなスケジュールが組まれており、
フライトレコーダーにも欠伸を繰り返す様子が記録されているなど
ヒューマンエラーが起きやすい環境であったとされています。
またアンカレッジの段階では機体に異常がなかったこと、
過去に慣性航法装置の起動し忘れなどで航路を逸脱したことがあったことから
恐らくはこれが原因でないかと言われています。
なお今回の件に関してソ連はというと、仮想敵国であるアメリカ国民が多数死亡したこともあり
情報の公開には非常にセンシティブになっていました。
これについて1976年に函館空港に戦闘機を強行着陸させアメリカへ亡命したベレンコ元ソ連空軍中尉は
「領空を侵犯すれば民間機であろうがなんであろうが撃墜するのがソ連だ」とし、
パイロットも民間機である可能性をわかっていながらも迎撃しなかった責任を負うのを避けるため
ミサイルでの迎撃に踏み切ったのではないかとの見解を示しました。
いずれにせよ一般の民間旅客機が戦闘機に迎撃されて全員が命を落とすという
凄惨の事件であったことには間違いありません。
しかし、大韓航空を待ち構えていたのはこの事件だけではなく、
ここからさらに4年後、またしても事件が起こるのです。
その事件はまた別の記事で。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます