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何故捜索が進まなかったのかー大韓航空の謎③

2022-11-22 14:15:52 | 旅行

日本人にとって最も馴染みの深い外資系航空会社である大韓航空。

いまでこそ東アジアを代表する航空会社のひとつとなりましたが、

過去には大きな事件に巻き込まれてきた歴史を持ちます。

これまでの記事では過去に起こったソ連のよる銃撃事件を2件ご紹介しました

1つは1978年にコラ半島上空で起こり2名が死亡した銃撃事件、

そして1983年にもう2つはサハリン沖で起こり269名全員が死亡した撃墜事件です。

 

今回はその撃墜事件から4年後の1987年11月29日に起こった、「爆破事件」をフィーチャーします。

 

 

三、大韓航空機爆破事件(1987年)

 

この爆破事件に巻き込まれたのは大韓航空858便、

機材はもともとマクドネル・ダグラスDC-10型機で運航される予定でしたが、

当日に機材変更がありB707型機で運航されることとなっています。

 

858便はイラクのバグダッドからアブダビ、バンコクを経由しソウルに向かう便で、

その乗客のほとんどは中近東で働く韓国人の出稼ぎ労働者でした。

以前の2件の銃撃事件はいずれも欧米からアンカレッジ経由でソウルに向かう便で

韓国人のほか日本人や台湾人などが多数搭乗していたのとは対照的ですね。

 

858便は経由地であるアブダビを出発しバンコクに向かっていた際に

ミャンマーの首都ラングーン(現在のヤンゴン)南方の海上で爆弾が爆発、

機体は空中分解して乗員乗客115名が全員行方不明、のちに死亡認定されました。

この爆破後の機体の捜索は難航を極め、

ただでさえレーダーサイトの整備が貧弱であるアンダマン海近辺で起こった事件で、

そこにタイとミャンマーの国内問題、国際問題が絡み

結局完全な形で遺体が収容できた乗員乗客は一人もいませんでした。

 

ではこの事件を時系列で追ってみましょう。

 

 

 

この爆破事件を仕掛けたのは北朝鮮の工作員である金勝一と金賢姫でした。

彼らは事件が起こる2週間ほど前に平壌からヨーロッパに向け出発、

モスクワやブダペストなどを経由してユーゴスラビアに向かい

首都のベオグラードで爆発物を受け取ったとされています。

 

その後11月28日にイラク航空でベオグラードからバグダッドへ向かい、

爆発物とともに大韓航空858便に乗り込みました。

最初の経由地であるアブダビについた際に爆発物を残して二人は降機し

858便は爆発物を積んだまま次の経由地のバンコクへ向かったのです。

 

アブダビを出発した858便はそのままペルシャ湾、インド上空を通過し

アンダマン海上でビルマ(現在のミャンマー)の航空管制区域に差し掛かります。

このビルマ空域に差し掛かる際に管制塔とコンタクトをとったのが最後の通信となり、

その約50分後に機内で爆弾が炸裂しで機体は空中分解をして墜落します。

この爆発によって機長は緊急信号などを出す間もなく即死したとみられ、

この時点では858便が爆破されたことに地上管制は気づいていませんでした。

 

しかし定時交信報告が途絶え、タイの領空に入るとされた時刻にもコンタクトがないことから

858便に何らかの異常事態が発生していることが明らかになります。

このため当初858便の遭難地帯はアンダマン海ではなく

ビルマとタイの国境付近にあるジャングル地帯であると推定され、

ビルマとタイの両政府が捜索にあたることになりました。

 

しかし858便が墜落したとされるビルマとタイの国境地帯のビルマ側は

ビルマ政府と対立し武装闘争を繰り広げていたカレン族が支配する地域で

ビルマ政府が捜索活動を行うことが出来ませんでした。

またタイ側もビルマから逃れてきたカレン族の難民が多いエリアであり

ビルマのカレン族が国境を越えて武装闘争をしていたため

タイ政府も思うような捜索活動が出来ない状況が続き、

韓国政府も「ハイジャックされた」との誤情報を公式に発表してしまうなど

何もわからない状態の中で混乱が続きました。

 

そして858便が行方不明になってから2週間ほどが経ってから

ラングーンの南方を中心に海上や海岸で機体の残骸が次々と発見されるようになり

墜落した場所が陸上ではなく海上であることがわかってきたのです。

この残骸はB707の原形をある程度とどめているものも多く、

858便のものであることは当初からほぼ確実視されていましたが、

ブラックボックスの回収が出来なかったため決め手に欠け、

これが858便のものであると正式に断定されるのは1990年まで待たなければなりませんでした。

 

 

さて、この事件の実行犯である金勝一と金賢姫ですが、

実はこの二人は日本の偽造パスポートを所持しており、

「蜂谷真一」と「蜂谷真由美」という偽名の日本名を名乗っていました。

二人はアブダビで降機した後にバーレーンに向かうのですが、

この大韓航空機消失を「左翼日本人による反韓国テロ事件」である可能性を調べ、

バーレーンの出入国記録を照会していた在バーレーン日本大使館の職員によって、

この入国した二人の「日本人」がパスポートを偽造していることが発覚するのです。

そのためバーレーン警察の協力のもとローマへ出国しようとしていた二人を、

この大韓航空機消失との因果関係がわからないまま拘束することとなるのです。

 

しかしこの際、蜂谷真一を名乗っていた金勝一は空港でそのまま服毒自殺、

蜂谷真由美を名乗っていた金賢姫も服毒自殺を試みますが、

バーレーンの警察官が飛び掛かり吐き出させたため一命を取り留めました。

その後バーレーンにて取り調べが行われますが、

結局この「蜂谷真由美」は国籍も正体もわからないまま、

韓国に引き渡されることになるのです。

 

韓国に引き渡された金賢姫は、当初は北朝鮮の工作員であることを明かさず、

最初は日本人、次いで中国人になりすまそうとします。

しかし熱湯をかけられた際に出た咄嗟の朝鮮語や、

「日本ではチンダルレのテレビを使っていた」という供述を行っていたことから

北朝鮮の工作員であることがバレ、ついに口を割ることになるのです。

ちなみにこのチンダルレとは北朝鮮ブランドのテレビであり、

日本人や中国人であればまず知らない名前であったのだ。

 

こうして金賢姫の証言によりこの爆破が北朝鮮によるテロリズムであることが明らかになるのですが、

ではなぜ北朝鮮はこのような暴挙に出たのでしょうか。

 

 

この背景には北朝鮮により韓国社会を混乱に陥れるため、

また翌年に控えたソウルオリンピックを中止に追い込むためであったとされています。

 

ソウルオリンピックはアジアでは東京に次ぎ2番目に開催されるオリンピックでしたが、

このオリンピック、過去3回の大会ではそれぞれボイコットをする国が多く、

ほぼすべての国が参加する形でオリンピックが開催されるのは4大会ぶりでした。

なお1976年のモントリオールオリンピックでは

南アフリカの人種差別政策に反対するためにアフリカ諸国がボイコットを行い、

1980年のモスクワオリンピックではソ連のアフガニスタン侵攻を口実に

日本を含む西側諸国やアフガニスタンを支援するイスラム諸国などがボイコット、

また1984年のロサンゼルスオリンピックではアメリカ軍によるグレナダ侵攻を口実に、

実際には1980年のモスクワオリンピックボイコットへの報復として

ソ連や東ドイツなどのなどの東側諸国が参加をボイコットしました。

 

そのため久々に完全体でのオリンピックとなる予定であったソウルオリンピックに対し、

航空機が爆発するという韓国の国家に対する信頼低下を招く事件を起こすことで

東側諸国のオリンピックボイコット、またはオリンピック自体の中止を目論んだのです。

 

しかしながら実際には北朝鮮の関与が詳らかになったことから

逆に北朝鮮が国際社会から激しい非難を浴びるようになり、

ソウルオリンピックは多くの東側諸国が参加して無事に開催、

そのうえオリンピック後にはソ連や中国が韓国と国交を樹立するなど

逆に北朝鮮が東側諸国からも見捨てられるような結末になりました。

 

これに対して北朝鮮はこの爆破事件をいまだに「韓国の自作自演」として

国家の関与自体を否定しています。

ただ国際的には北朝鮮による国家犯罪の典型として認識されており、

さらなる北朝鮮の孤立を招くことになってしまった事件でした。

 

二度と繰り返してはいけないことですね。



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