前回の記事通り、午前四時前に起床しました。背中全体と左肩が硬いです。ゆっくりと伸ばしていきます。雨は上がり、月が顔を見せていますが星は見えませんでした。128ページに栞が挟んでありました。ああ、このシーンか、と思い出します。寝ている時、つばさから「髭ツンツン攻撃」がありました。つばさの髭の先が顔に微妙に当たり、ちょっと寝にくかったです。少し頭をつばさから遠ざけると、顔と枕の間に今度は左手を差し込んできました。何度か顔がつばさの方向に倒れ、その度につばさの左手を顔で強く枕と挟むことになり、はっとして頭の位置をずらす、という事を繰り返していました。あと、膨大な情報量の夢を見ました。懐かしい本の読書をしたために、過去の記憶が蘇っているかのようです。内容は短編映画3本分で、①香港マフィア風の何かの競争みたいな話、②鶴の恩返しの変形バージョン、③エヴァのラストの新バージョンでした。①は中二病風味、②は生々しいホラー風味の愛の話、③は新キャラまで出て来て、14歳のままの新生活が復活するという、テレビ版エヴァの「あったかもしれないもう一つの世界」に近いものの、非常に暗い印象の物語でした。あと何か重要なエピソードが抜けていますが、記憶の海の中に消えてしまいました。あっさり諦め、早く原状復帰をして読書を再開します。
第三章の続きです。ついに阿修羅王が登場、描写の端々に漫画の登場人物のような印象を受けました。光瀬氏は元々漫画化を視野に入れていたのではないか、と感じました。まさに小説の描写通りに漫画では見事に表現されていました。漫画版の感想でも取り上げたはずの「人間、孤独であるよりは悪とともにあった方がよいとみえるな」という印象的な台詞で締められる阿修羅王の「例え」が長い長い。まあ、それがまた良いのですが。小説全体では、三分の一はとっくに過ぎました。持ち上げられすぎの梵天王はあっという間に転輪王に捲られます。そして帝釈天が出てこなかったです。漫画版では二枚目でしたし、独自の追加だったようです。しかし165ページ冒頭のかっこ書きは気になります。龍樹ってナーガールジュナの事だったのですか。凄い当て字ですね。このような情報はネットでは見つけにくいかもしれないですね。安易に検索すると小説の楽しみがなくなりかねないので止めておきます。この第三章の印象はかなり漫画版に近いものに感じました。第二章が違い過ぎたのかもしれません。
「第四章 エルサレムより」、添文は「はじめにことばあり ことばはかみとともにあり ことばはかみなればなり」です。第三章でも少し感じていたのですが、第四章はより一層読みやすくなっています。文体が変わったのかとも思えるような変化です。逆に言うと、プラトン・オリオナエ編は非常に難解に書かれていたという事です。更に逆に言うと、第一章と第二章でとんでもないものを見せられ、その後、阿修羅王に魅せられて、読むのを止められなくなる、という形を意図して組んでいるようです。ちなみに第四章序盤は色々と良い勉強になります。漫画版では構成に手を入れていた事もわかります。そして最大の衝撃の事実が。漫画版の私の感想をお読みになった方はもうお気づきだと思いますが、ユダが判決前に姿を現さなかった事です。この時点で、ユダは漫画版のみの登場なのか、それで私はユダの存在を忘れていたのか、とも思いました。直後にこれも裏切られ、大きく地位や年齢を変えて(小説が元なので「変えて」は変ですが)登場します。立ち位置は微妙です。漫画版では途中で態度を入れ替えるという点もありますし、原作ではイエスに利用されはしなかった、程度には覚醒していたようですので。いずれにせよ、私がユダを忘れていたということは変わりがありません。小説と漫画版で大きく異なっているため、長期記憶に残りにくかったのかもしれません。漫画版は原作を一部改変するものだ、という事実を知っておれば矛盾なく両方のユダを受け入れ、覚えていたかもしれませんね。第四章末にも、ノンフィクション風の解説が書かれており、不気味な緊張感を感じさせて良い味を出しています。ここより前にあったものも効果的でしたね。いったい、光瀬氏がどこまで本気なのかは判断できませんが、このように捉えることも出来て興味深いのは間違いありません。この時点で小説は5分の3近くになっており、漫画版よりも後半が駆け足になることが判ります。逆に言うと、漫画版は後半のロードムービー感をより丁寧に仕上げたと言えそうです。
「第五章 喪える都市」、添文は「死者の水辺に在りて問う。汝、いずこに帰せんとするや、と。」です。生き残っている人を見て、ふと私も考えました。書きたい事だけ書きますと、人生、社会的財産、享楽的態度、運命、継承などについてです。突然何を、と思われるでしょうが、頭に浮かんできたのだからしょうがないです。歳を取るのは素敵な事です、と中島みゆきも歌っていました。感想に戻ります。漫画というメディアの強力さを感じ入りました。小説を読んでいるはずなのに、漫画のシーンで補完されるのです。横に置いて見てる訳ではありません。漫画版を記事にした時の記憶が残っているのです。お時間ある方には、小説、漫画、小説二回目、という順番をお勧めしたいです。初見初読時は新鮮で大切ですし、再読にも価値があるなぁと思いました。さて、描写が目に浮かぶといってもそれには限度があります。漫画版で描写されてなかったものは文字から自力で想像するのですが、それが物凄いものになってきます。空間を曲げたり、異空間を挿入したりしないといけないのでなかなか大変です。この想像力こそがSFの楽しさに繋がるのだと思います。第五章が終わり、残りは4分の1くらいになりました。このあと、帝釈天に果たして出番はあるのか、とても気になります。
日付が変わりましたので、投稿します。