つばさ日記0331早朝「ほぼほぼ愚痴である」
31日は午前1:07に目覚め、即座に起床した。完全に首が座っている。ここまで劇的に良くなるのには理由があるはずだ。恐らく、散歩などの日常習慣の改善、ながらストレッチの継続が大きいのだろう。
寝る際は服を大量に椅子の上に置いている。起きたらその服をベッドの上にドサッと放り投げるのだが、放り投げてからその先につばさが居るのに気付く。ごめんをしてなでる。眠いようだ。訳の分からない時刻に寝て、起きる変な相棒で申し訳なく思う。
残念ながら、東の空は今日も曇りである。室温19度だが、つばさの体温が低い。暖房をつけ部屋を閉め切る。東のカーテンを全開にする。国立天文台サイトへ。チャンスは意外に短いようだ。午前五時で高度15度くらい。天文薄明などという言葉は知らなかった。それが四時半くらいのようで、今回のチャンスは逃したか。
やりたいことは無数にあるのだが、半分寝ているつばさに手を当てて体温を上げる。それくらいの余裕はあるだろう。明日からまた忙しくなる。だが、今日一日は特別な予定はない。仕事はあるが、ながらで出来ることばかりである。次の行動予定まで36時間を切っているが、多くの事ができるだろう。つばさに手を当てながら、体は自然に胎児の姿勢へ。サバーサナだったか。検索はしないでおく。間違っていたとしても構わない。それを含めて私の記憶なのだ。開き直っている。
アマゾンミュージックをタブレットからエコーへ切り替える。再生デバイスが一つだけなのが微妙に不便である。寝ている時のヴォリューム調整がエコーでは粗い。丁度良い小音量にならないのである。起きている時は声で操作できるエコーが便利である。ここ数日は中島みゆきばかり掛けている。シャッフルのリピートで寝ている間は掛けているのだが、エコーに移ると一曲目の「時代」のリメイクからで、設定はやり直しであった。便利ではあるが、まだまだ改善の余地がありそうだ。トイレ掃除。猫砂の状態が悪くなった。掃除が遅れたからだ。今日の日中は補完計画だ。陽は差すのだろうか。
三時前、つばさが元気になる。ちくわ半分。私はバナナ三本。外は異様に暖かく、星ひとつとして見えない。草テチかちゅ~はいつも通り。だが、こちらも負けてはいない。徐々に草の混ぜ込み方が上達していく。ここは残すだろうなという草を上手くちゅ~るにめり込ませるのである。
上記でも書いたが、起きてから快調である。右の肩甲骨に痺れを感じる。ここが痺れるのは珍しい。
ちょっと思い出したことを書く。車の運転シリーズでは確か4が飛んで5を書いたと思う。4の記事内容だが、運営からの返答ではサルベージ不可能とのことだった。それ以降は「投稿が完了しました」のメッセージを確認すると同時に管理ページで確認する、という二重のチェックの後でタブを閉じるようにしている。余計な手間と気遣いが必要である。なお、車の運転シリーズを書くモチベーションがどこかへ行ってしまったので、しばらく放置である。大変な長文が吹き飛んだのだ。
さて、これも以前の話だが、多くの者が漫然と車を運転しているのだ、という状況を二件ほど観察した。
ひとつはトレーラーが三台続けて左に出ようとし、一台が左から右折で入ろうとしている場面である。車間が十分に開いているのに、対向車線のトレーラーの右折を許さず、速度を落とさず、何も考えずに運転する者が多すぎる。呆れる。その中には、地元有名企業の車もあり、私が道端でタバコを吸いながらガンを飛ばすと「しまった」という顔をしていた。会社の看板を背負って運転しているという意識が無さすぎる。結局、これら4台のトレーラーが道路を出入りできたのは、走行中の別の大型車が譲ったからであった。その譲ってくれた大型の社名はガン見で暗記、リスペクトである。まあ、普通車を運転している者の意識なんてこんなものである。だから逆に、私にコーヒーを差し入れてくれたりする訳である。
もう一つは老人の運転する普通車が、老人の運転する自転車を全く追い抜けないという場面である。これも対向車線の普通車は全く譲らず、漫然と運転していた。左に寄せて減速すらもできないとは情けない。自転車渋滞の発生である。渋滞後尾に大型が付いた。この場面で譲ったのはまたもや大型だった。重体は解消、自転車も安全に走行を続けた。両方の例から判るが、緊張感がない。察知力もない。免許はご返納いただきたい。事故が絶えないのも当然な訳である。基本的にこのような運転手ばかりだという認識で運転するのが良いだろう。
午前四時ちょっと前、やはり雲は切れないようだ。つばさは床で寝始めた。