猫と共に余生を穏やかに過ごす

猫との生活記録が主です。
サブでヘルニア闘病記事も有りますが、徐々に趣味の記事へと移っていきます。

ほぼほぼ愚痴である

2022-03-31 04:06:46 | 日記

つばさ日記0331早朝「ほぼほぼ愚痴である」

31日は午前107に目覚め、即座に起床した。完全に首が座っている。ここまで劇的に良くなるのには理由があるはずだ。恐らく、散歩などの日常習慣の改善、ながらストレッチの継続が大きいのだろう。

寝る際は服を大量に椅子の上に置いている。起きたらその服をベッドの上にドサッと放り投げるのだが、放り投げてからその先につばさが居るのに気付く。ごめんをしてなでる。眠いようだ。訳の分からない時刻に寝て、起きる変な相棒で申し訳なく思う。

残念ながら、東の空は今日も曇りである。室温19度だが、つばさの体温が低い。暖房をつけ部屋を閉め切る。東のカーテンを全開にする。国立天文台サイトへ。チャンスは意外に短いようだ。午前五時で高度15度くらい。天文薄明などという言葉は知らなかった。それが四時半くらいのようで、今回のチャンスは逃したか。

やりたいことは無数にあるのだが、半分寝ているつばさに手を当てて体温を上げる。それくらいの余裕はあるだろう。明日からまた忙しくなる。だが、今日一日は特別な予定はない。仕事はあるが、ながらで出来ることばかりである。次の行動予定まで36時間を切っているが、多くの事ができるだろう。つばさに手を当てながら、体は自然に胎児の姿勢へ。サバーサナだったか。検索はしないでおく。間違っていたとしても構わない。それを含めて私の記憶なのだ。開き直っている。

アマゾンミュージックをタブレットからエコーへ切り替える。再生デバイスが一つだけなのが微妙に不便である。寝ている時のヴォリューム調整がエコーでは粗い。丁度良い小音量にならないのである。起きている時は声で操作できるエコーが便利である。ここ数日は中島みゆきばかり掛けている。シャッフルのリピートで寝ている間は掛けているのだが、エコーに移ると一曲目の「時代」のリメイクからで、設定はやり直しであった。便利ではあるが、まだまだ改善の余地がありそうだ。トイレ掃除。猫砂の状態が悪くなった。掃除が遅れたからだ。今日の日中は補完計画だ。陽は差すのだろうか。

三時前、つばさが元気になる。ちくわ半分。私はバナナ三本。外は異様に暖かく、星ひとつとして見えない。草テチかちゅ~はいつも通り。だが、こちらも負けてはいない。徐々に草の混ぜ込み方が上達していく。ここは残すだろうなという草を上手くちゅ~るにめり込ませるのである。

上記でも書いたが、起きてから快調である。右の肩甲骨に痺れを感じる。ここが痺れるのは珍しい。

ちょっと思い出したことを書く。車の運転シリーズでは確か4が飛んで5を書いたと思う。4の記事内容だが、運営からの返答ではサルベージ不可能とのことだった。それ以降は「投稿が完了しました」のメッセージを確認すると同時に管理ページで確認する、という二重のチェックの後でタブを閉じるようにしている。余計な手間と気遣いが必要である。なお、車の運転シリーズを書くモチベーションがどこかへ行ってしまったので、しばらく放置である。大変な長文が吹き飛んだのだ。

さて、これも以前の話だが、多くの者が漫然と車を運転しているのだ、という状況を二件ほど観察した。

ひとつはトレーラーが三台続けて左に出ようとし、一台が左から右折で入ろうとしている場面である。車間が十分に開いているのに、対向車線のトレーラーの右折を許さず、速度を落とさず、何も考えずに運転する者が多すぎる。呆れる。その中には、地元有名企業の車もあり、私が道端でタバコを吸いながらガンを飛ばすと「しまった」という顔をしていた。会社の看板を背負って運転しているという意識が無さすぎる。結局、これら4台のトレーラーが道路を出入りできたのは、走行中の別の大型車が譲ったからであった。その譲ってくれた大型の社名はガン見で暗記、リスペクトである。まあ、普通車を運転している者の意識なんてこんなものである。だから逆に、私にコーヒーを差し入れてくれたりする訳である。

もう一つは老人の運転する普通車が、老人の運転する自転車を全く追い抜けないという場面である。これも対向車線の普通車は全く譲らず、漫然と運転していた。左に寄せて減速すらもできないとは情けない。自転車渋滞の発生である。渋滞後尾に大型が付いた。この場面で譲ったのはまたもや大型だった。重体は解消、自転車も安全に走行を続けた。両方の例から判るが、緊張感がない。察知力もない。免許はご返納いただきたい。事故が絶えないのも当然な訳である。基本的にこのような運転手ばかりだという認識で運転するのが良いだろう。

午前四時ちょっと前、やはり雲は切れないようだ。つばさは床で寝始めた。


携帯本体の軽い故障

2022-03-30 08:51:23 | 日記

つばさ日記0330午前早く「携帯本体の軽い故障」

さて、ようやく家事などが落ち着いたが、携帯の充電がおかしい。タブレットと充電器を交換しても接触が悪い。充電中に携帯を触ると充電が止まる。触らなくても止まる。この携帯でしか適用されない割引プランがあるので、この端末を失う訳にはいかない。655、ラジオの時間である。天気予報からニュースである。エコーを止める。相変わらず非常に便利である。午前の散歩まで色々する予定である。更に今日は食糧不足のため、買い物である。20日、30日5%オッフ、である。寒の戻りか。どうにか携帯の充電の角度が決まった。これは難易度が高い。

猫砂の状態を確認してみる。可もなく不可もなくである。今日の日中に一時間も天日に晒せば一気に改善するだろう。出来るだけ今の大きなトイレで快適に過ごしてもらいたい。いまはキャットタワー上で周囲を警戒中である。私はすべきことをして、天地礼拝の動画を観直す。プロは凄い。完全にアスリートである、というのは以前書いた通りだ。草テチかちゅ~は相変わらずちゅ~るだけを上手に舐め取る。いつも根負けして、ちゅ~るを足してしまう。今朝は二回、ちゅ~るを足した。携帯の充電は電源を入れている限り、普通の充電することが判った。非常に不便である。充電器を元に元に戻してみても同じで、端末本体に問題がありそうだ。いま97%なので電源を落としてみる。これでフル充電されたとしたら、充電ランプの故障、9796になっていたら充電機構そのものの故障となる。しばらく時間が経ち、つけて見ると100%だった。前者で決定である。

8時になりようやく用事から解放された。9時前には午前の散歩に出よう。思い出したことがあった。帯は見つかった。しかし、分厚いズボンは相変わらず行方不明である。あと、トイレに井戸水を流すのは良くないという情報を耳にした。たまには貯水槽の水を流すことにする。とりあえず、散歩時のタバコを巻く。タバコの記事もいい加減にそろそろ書かないと、紙がどんどんなくなっていく。写真に撮れなくなっていく。


中神社での作法が決まった

2022-03-30 06:50:48 | 日記

★写真を入れるのを忘れていました。これから入れます。この最中、トイレ。つばさはすっかりご機嫌になりました。

つばさ日記0330朝「中神社での作法が決まった」

エコーの音量を下げ、いつもより早い中神社。幼鳥は起きているだろうか。タバコを二本だけ巻いて出発。

ウチの裏の土地は元は畑で今は空き地である、そこで水仙だろうか、花が一輪だけ咲いていた。バックは花をつけていないサルスベリ。

中神社参道を昇る寸前にまたもや水が降りてきているのを見つけた。いつまで流れ続けるのだろうか。昨日と違って、溝まで達していない。

参道を左右の足で交互に登るのは前記の通り。二か所ある踊り場で天地礼拝。東を向きたいが参道の造りに合わせる。霧が見える。低い高度の星が見えるはずがない。鳥居に近づきつつ状態反らしはいつもの事。同時に首を左右に振る。鳥居真下で鳥居を見上げる。体は目覚めた。目がしょぼしょぼするが。相変わらず、最高の景色である。

これをタイプしている時にコーヒーを沸かす。つばさは動いていないので、指を指し出す。何故か嬉しそうに鳴く。大きく口を開ける。口の両脇が相変わらず黒い。いつか取ってやりたいが微妙な所なので慎重に行いたい。

中神社の記述に戻る。鳥居で一本目のタバコが尽きる。袋にしまい、耳を澄ます。少なくとも五種類の鳥が鳴いている。注目しているのは拝殿左手の幼鳥の鳴き声である。徐々に拝殿に近づく。拝殿では小銭が切れていることに気付いた。天地礼拝は行わず、自然な姿勢を繰り返す。祈りを忘れていた。バチが当たらなければよいのだが。振りむき拝殿から出てから二本目のタバコに火を点ける。しばらく左手の樹木に注目する。幼鳥はまだ寝ているようだ。六時前は早すぎたようだ。来た道を戻る。鳥居を観察していると、体側を伸ばしていない事に気づく。それをしながら角度を変えて鳥居を観察する。この神社はどうやら昔ある時に一気に改築したようだ。当時はピカピカで美しい神社であっただろう。しかし、時の経過によっての美しさもある。わびさびとはちょっと違うのだろうか。神社に大量に何かが落ちていた。これはなんなんだろうか。松ぼっくりの子供だろうか。部屋に戻った後で、写真を撮ろうとしたら、照明のリモコンが消えている。当たりをつけて探す。竹ハウスの裏に何故かあった。これでようやく写真が撮れる。撮った後は照明をあえて消す。自然に明るくなっていく朝の部屋の中が好きだ。

中神社からの帰り、散歩の人を一人だけ遠くに見かける。ご近所さんのある方は620に、別のある方は640に車を出して出勤である。その時間にはまだ早い。そのまま帰宅。部屋へ戻り、天気予報を見る。タバコの手入れ。これは別記事にしたい。天気は大丈夫なので猫類補完計画を開始する。一番濡れている藁草履はもう中神社から使用を開始している。生乾きだが、まあ、十分だろう。つばさは起きている。ちくわを食べるかと尋ねる。当然答えない。そこでいつもの小皿を見せる。飛んできた。ちくわを用意する。少しためらったが食べ始める。試みに六つ入った小皿を一気に上げてみる。あっという間に平らげた。やはり一個ずつ挙げた方が胃腸に良さそうである。早食いは良くない。

切りが良いのでここで投稿する。


【超短文】3/30の観測も失敗か

2022-03-30 04:39:38 | 趣味・興味

30日、午前一時半、左足が重くて起きる。ふと見ると、つばさが布団の上から私の左足に乗っていた。寒いので暖房をつける。寝ぼけていて、タブレットを操作できない。エコーに中島みゆきを掛けるように言う。音量が大きすぎるので少々、下げた。つばさはまだ掛布団の上に居る。色々したはいいものの、眠くて再び横になる。

午前四時半、ストーブの3時間警告音で再び目を覚ます。エコーはそれなりの音量でみゆきさんを流し続けていた。夜中にしては轟音である。子守歌になっていたということだ。つばさはいまだ、掛布団の上。とてもではないが、外に出られる体の状態ではない。窓から東南東を見る。雲ばかりで星一つとして見えない。今朝も無理か。もう少し粘ってみよう。少し目が覚め、外の大バケツの水をバケツで汲む。その際、観測ポイントに移動、やはり雲ばかり。だが、もう少し粘ってみる。この時間に起きたいのは常日頃から思っていたが、まさか本当に起きれるとは。起きているのだから、観測を続ける。

4:50、コーヒーを沸かしながら、部屋の照明を消し、外を見る。一瞬、星が一つだけ見えた。だがすぐに消えた。しばらくはPCモニターの灯りだけにし、暗さに出来るだけ目を慣れさせる。その後も、ちらちらと明るめの星が見えては消え、を繰り返す。ただし、三惑星は見えず、一つだけである。ちょっと姿勢が変だが、窓を開け、窓の下枠を手で持ち、天地礼拝を行う。すこしずつ体がマシになっていく。やはり部屋から見るのが高さもあり、観測に一番良い。昨朝、風情がないとかどうたらと言っていたが、それより体の状態である。今の状態で荷物を持って昨朝の観測地点に向かうのは危険すぎる。

5:03、状況は変わらず。窓枠を利用したら、車のポーズに近い姿勢が取れた。天地礼拝と合わせ、体中がポキポキ鳴りまくる。意外にこの姿勢はいいかもしれない。ただ、足元がつばさのマットなので転落の恐れがある。これだけは注意したい。

5:07、PCモニターに小さな虫が集ってくる。春が来たことをこんなことでも実感する。以前、ブログに挙げた青村幸希の鼻はクロッカスというらしい。サルスベリは花をつける。つけない個体もあるが、なかなか巨大な花をつける。

5:09、ついに雲に切れ目が。星が一つだけ見える。双眼鏡。肉眼では微かに見えるが、双眼鏡では位置が上手く捉えられない。要するに、使い方が下手で、練習をしたことがないのである。

5:14、どんどん空はしらんでゆく。肉眼で一つだけみれたので満足するべきか。

5:17、天地礼拝の邪魔になるので、首から下げていた巨大な双眼鏡を床に置く。竹ハウスの目の前だ。つばさは掛布団上から動こうとしない。窓からの飛び出しもないだろう。窓から身を乗り出さずに行う姿勢だけに変更。安全第一である。ちらちら見えていた一つだけの星すらも見えなくなった。天候はしょうがない。空は明るさを増し、雲の分厚さも徐々に見えてくる。

5:21、時間も時間である。そろそろ諦めようか。脊椎近辺は半分以上は日中の状態に近づいたが、活発に動ける状態にはいまだ至っていない。

5:25、東窓のカーテンがだらしなく垂れ下がっているのを完全にまとめる。他ふたつの窓もカーテンを開ける。今朝も敗北を認めざるを得ない。

5:30、真っ暗な中で徐々に外が明るくなるのを眺めるのもまた風情がある。またもや枕草子な気分である。やはり、早起きは良い。双眼鏡を丁寧に仕舞う。何かの電源コードを足に引っかける。暗闇での行動は慎重に。藁草履なので、なにかに足が引っかかる時も判りやすい。ゆっくり動けばコードなどに足を当てることはあっても、つよく引っ張ってしまう事はない。本記事の追記を終了する。


きまぐれキャット、タイトルに偽りありのような、ないような

2022-03-29 20:47:59 | 日記

つばさ日記0329夜「きまぐれキャット、タイトルに偽りありのような、ないような」

とりあえず、前回、お風呂の時に使う袋の事に少し触れた。ウチでは風呂へ向かう時に袋に物を色々入れたり、手に持って行く。体重計、パック飲み物、アマゾンミュージック用のタブレット、タバコ2~3本、ライター、メイン部屋から持ち出す洗濯物、冬はゆたんぽ、今は持てるだけの衣類(ヨガ・コレクション部屋から衣類を徐々に移動させている。)、これくらいだろうか。ちょっとしたお出かけである。長湯は完全に習慣になっている。体が必要としているストレッチを自動的にするようになっている。

29日朝、中神社へ。参道を進む際は、段差の奥行が微妙なため、意識して右から登ったら次は左、と足を変えながらである。鳥居についているしめ縄の一端が外れている。風が強い日があった。天日干し中の猫砂容器が丸ごとひっくり返ったことも二度あった。同じ風の仕業だろう。参道に山から水が降りてきている。いつの雨の分なのか、判らない。山の保水力を感じる。拝殿へ。鳥の鳴く声しか聞こえない。俗から切り離されているかのよう。この日二度目の天地礼拝の基本形を行う。もちろん、一日の幸運を祈りながらである。我ながら殊勝な心掛けである。礼拝を終えると、左の樹木から幼鳥の声が聞こえた。まだ巣立っていなかった。ただ、声が大きく、野太くなっている。姿は見えないが成長している。天敵も多いだろうから、成鳥になれるか少し心配する。余計なお世話である。人間はまず人間を大事にすべきだ、というのが私の持論でもある。帰りにご近所さんとヨガの話をした。

左手の甲小指と薬指の付け根の骨の部分にあざが出来た。素人なのにサンドバッグを叩いたせいだ。揺れるサンドバッグを殴るのは結構難しい。一方、蹴りは左右とも意外に上手い。自分で言うのも変だが。軸がぶれず、振り足が鞭のようにしなり、サンドバッグがいい音を鳴らす。ちゃんと準備体操をしたら、顔の高さ位には足が上がるだろう。この件について、詳報が書ければいいのだが。現在、審議中である。サンドバッグを支える人はかなり重要だと身に染みて判った。

井戸水の汲み上げ時に重石が落ち、以前から破損していたタッパー容器が全損、完全に機能を失った。それにしても、見事に重石が命中したものである。大バケツの中に藻が増えてきた。夏の日中は電圧が余裕なのでバケツ内丸洗いを実施予定である。

今気づいたが、まったくつばさ日記になっていない。今に始まった事ではないが。つばさは極度に水を飲まなくなった。トイレ小の量も明らかに減っていて大の湿り気も少ない。何かのサンプルで貰った保水用餌を使う。舐めてみたが、薄めたちゅ~るだった。自分でも作れそうである。水で薄め過ぎないようにしないといけない。ジャンプの回数が減っている。つばさ特別区から出ようとしない。寒いのか、鼻水が再び出て来た。気温変化に弱いようだ。春は不安定である。体温も低い。三日ほど前のある晩は私の顔右にくっついて寝た。しかし、それっきりである。意味がわからない。臆病な気まぐれキャットである。曇りでも猫砂が乾くスピードが速い。一方、藁草履はなかなか乾かない。

藁草履の作り方を教えてくれる方との接触に成功。練習に行ったならばここで報告したい。とあるネットで購入した物は長距離の高速歩行ができないが、こちらはそれが可能である。一足800円であるから、都市の感覚だと一時間で三足は作れないと労賃にもならない。片足分を10分で・・・。それはさすがに無理だろう。まずは見学、そして藁の触り方から始めることになるだろう。ただし、雨の日だけである。ロストテクノロジーにしないためにも、継承したい所だが、正直言って、全く自信がない。手先が器用かどうかを聞かれたが、それも全く自信がない。始める前から挫折する予感しかしない。

午前の散歩の前に、竹輪半分を椅子下に置いた。だが、つばさは気付かず。やや干からびて、風味が落ちたちくわは、つばさの気を引く事ができなかった。苦労して食べてもらった。そして最後には「もっとくれ」と言わんがばかリのご様子だった。草テチかちゅ~はペロリと平らげた。

その散歩では、顔見知りの近所の方と少し話をした。滅多に人を見ないので、見かけたら話をする、というのが習慣になっているようだ。小神社でも大神社でも順調に天地礼拝を行った。今回は信心深さの欠片もない礼拝だった。完全にストレッチであった。天地礼拝を誰かに見られたら怪訝な顔をされるだろう。少し迷っている。だが、効果は絶大である。心身のリラックス効果が物凄い。自然な流れで行うのがいいのだろう。また、それが可能な造りに神社はできているように思う。

洗濯物を干すのを忘れていた。間違いなく毎回忘れる。干すのはいつも夕方か夜である。干しに行く前に投稿する。