猫と共に余生を穏やかに過ごす

猫との生活記録が主です。
サブでヘルニア闘病記事も有りますが、徐々に趣味の記事へと移っていきます。

学生時代+αについて

2022-02-28 20:33:33 | 日記

★更に更に追記をしましたが、表示は辞めにしました。見ている人が少ないから、不要と判断しました。

★さらに追記を行いました。前半三分の一くらいのところの「★~ ~★」の部分です。

★投稿日の夕方~夜に少しだけ追記を行いました。一番下の★です。内容も真ん中やや下の「★~ ~★」の部分を追記しました。

 

とあるライングループへの投稿の転載(一部削除済み)です。ついつい、ブログの下書きを、いつものように、みんなにうっとおしく思われながらもライングループへ送信し、毎回のことながら、この場を借りて謝罪いたします。って、誰も見ねーよ、これ以上の事が書いてるんだからw と思ったらついつい書き足してしまった事も多いです。訂正いたします。

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DJは小学校卒業時に私がなりたかった職業です。

ラジオは元々大好きで、Wデッキの「QT-Y5」というラジカセを買ってもらった時はよく覚えていて、凄くうれしかったです。よくテレビに近づけて、「ザ・ベストテン」とかを録音していました。こうして自然と、とある同居親族のレコード達(触る時は割らないように、傷つけないように、びびってました。クイーンとかザ・ポリースとかKISSとかケイトブッシュとかカーペンターズとかロキシー・ミュージックとかよく知らないアーティストとか、それはもう超優良企業に勤める親族の財力で膨大なレコードがありました。このブログを見たその親族からは、あれは超優良企業だったのかって返事が来て面白かったです。当時は20万もしたシステムコンポも触らせてもらえて、多くのレコードをカセットに録音しましたし、もちろん雑誌のロッキングオンも毎月、読ませてもらってました。「陽一さんのもしもし編集室」は必読でした)が大好きになったマセガキでした。古本屋で、はした金でとある漫画のセットを引き取ってもらい、その後、「馬鹿だな」との趣旨の言葉を言われました。ついでに「小遣い位、あげるのに」とも。貰えませんでしたけど。

たかじんや深夜ラジオを聴いてたのもこの時代の前後です。ハローナショナルショールームというラジオ番組で、とあるバンド(エコーズですね)のボーカルを𠮟りつけ、生放送中に泰葉一人になって、観客が「おー!、ざわざわざわ」っなってたのをラジオでドキドキしながら聴いていました。楽屋でたかじんが椅子を蹴り飛ばす音も聞こえたような気がします。そのボーカルの人は、いまやすっかり作家の先生(辻仁成氏です。「辻仁成、たかじん」で検索したらこの事件とその後が出てきます)です。たかじんの葬儀では感謝の意を示し涙したと聞いています(ちょっと記憶違いもありました)。いい話ですので、詳しくは泰葉のようつべチャンネルへどうぞです。上記の検索もよろしければ。若い時のたかじんは、尖っていたなぁと懐かしいです。

幼稚園保育園の時は、よく園長先生の膝の上に居ました。心地よい日差しの下で、ちょうどいい大きな岩の上に座る園長先生の膝はみんなで取り合いです。初恋の人の名前は書きません。よく覚えていますが、その子の家で、姉の物だという凄く大きな琴の弦を切ってしまい、オロオロしてたのが懐かしいです。当時の私の手の指が異常にやわらかくて、指の付け根の間という信じがたい位置に擦り傷を負いました。秘密基地の周辺の藪を走っていて、口の中に蜘蛛が入ったのでそのまま食べました。多くの人が当時を振り返って、「あの頃は金髪ぽくって可愛かったのに」と小学生以降、頻繁に言われるようになりました。こうして、徐々にひねくれていきました。

小学生の時は司法試験を意識しててウチにある六法全書を読んでいました。公認会計士も少しは気にしたのですが、弁護士の方がよりバトルっぽかったからです。早くも中二病全開です。以前書いた通り、低学年で将棋の奨励会を諦めました。こっちのバトルには早々に敗北しました。自分でも驚くほどあっさり諦めました。ヘルニアの兆候はこの時代からありました。姿勢が良すぎる、と素人目で言われたものです。本当はクッションの利かない悪い姿勢だったと判明するのは数十年後の話です。一度だけ、急性の症状に見舞われました。小二か小三でした。これも前に書いたと思います。下校時はいつも走って帰りました。決まった場所で走り幅跳びをして、距離が延びるのが面白かったです。★~読むことは好きで何でも読みました。スポンジのように、例えば薬の効能書きなんかも訳も分からずに読むのが好きでした。一方、~★作文は嫌いでしたが、小二の時に何かに出品しました。先生の添削で原型を留めないほどに変化させられ、大人の世界を垣間見ました。「くろべのつんこぎつね」の感想文でした。どんどんひねくれていきました。

中学時代は通信添削を始め(正確には小六の終わりからで、「子供料金で電車に乗れるのは最後だ、今、一人でどこかに出かけろ!」という煽り記事が印象深いです。行きませんでしたが。)、かつバトル傾向が変な方向に出て、少年工科学校志望(現高等工科学校です。結局、親に止められました)という謎スタンス、更なるバトル傾向により、ボドゲと宇宙とSFとミリオタとパズルに目覚め、SFマガジンとコンバットマガジンとタクティクス誌とニコリを愛読するという度し難いガキでした。小遣いはすべて雑誌と本とレコードとカセットテープとプラモに消えました。お菓子なんぞ一切買えませんし、友達とのお金のかかる付き合いもできませんでした。まあ、おごってもらいましたが。塗料は高すぎて親におねだりでした。完全にバトルな自分が形成された時期でした。その道に進めば、空自の一佐(大佐)にまではなったのになぁ。ポストに空きが出て、部下の不祥事が無く、衆議院議員二人の推薦で准将、更に空将になってたかもですね(まあ無理ですが)。仮にそうなりゃ悠々自適です。まあ、今もそれなりに悠々自適ですけど。この推薦制度は、豆知識です。こうゆう点にシビリアンコントロールを利かすシステムがあるのです。ひねくれ具合も中々のものになっていきました。

高校時代は塾にも行かず、上のバトル趣味が大加速、テストは毎回一夜漬けの日々でした。ボドゲ部の先輩が留年して同学年になっちゃいました。異常に短距離走が早く、50mを6.9秒で走っていて、走り幅跳びはふざけて飛んで4.5mを超えていました。タイムを基準に体育大会では短距離走に選出されるも、運動は一切してませんでした。まあ、通学時に普通は15分かかる自転車をタイムアタックしていたくらいです。7分を切った、とか言って、一人で何かと戦っていました。速く走れば車に轢かれない理論を謎に組上げていたのもこの時期です。で、体育大会では見事に途中でこけました。頭のイメージに足が追いつかなかったのです。高1から鍛えて、スパイク履いたら、100m12秒台は余裕で行ったはずです。持久走は苦手で大嫌いでした。高2の冬山登山は仮病で欠席しました。高校時代、唯一の欠席がこれです。後で友達に仮病とバレて、じゃれる程度に殴られました。これに参加してたら、食堂の無料うどん県、じゃなくてうどん券がもらえたのは惜しい事をした、と思いました。ただ、みんな泥だらけになって楽しかったそうです(棒)。私は嫌です。人生最大のモテ期でした。成績は上位2割くらいには食い込みましたが、たった一回だけある高3の実力テストだけは不思議と2位でした。1位は知らない女子でした。当時は堂々と結果が廊下に貼られていて、例の級友にカンニングしただろと軽く殴られました。少額のお金をかけてカブを教室でしてたら、例の友達にもうやめよう、と言われるくらい熱中しました。麻雀カードは他教師からのタレコミがあって、突然乱入してきた担任に一部を取り上げられ、プレイ不能に追い込まれました。捨てられたのか、返ってきませんでした。タバコは吸いませんでしたが、友人の中では原付が流行っていました。ひねくれ度合いが頂点に達しました。

現状は、プロフの通りですが、補足すると、超の付く合理主義者かつ科学技術至上主義者で情報が古いです。★~結果よりも過程を重視する姿勢です。事象を戦略、作戦、戦術の各レベルに細分化して考える癖があります。情報統合はやや苦手な分野ですが、分析と統合は重要な道具ではあります。平和と人命に勝るものは無い、という価値観を持っています。~★ マルキストではありません。暴力と差別に反対、不服従、民族自決、反新自由主義、反個人責任論、国民による国家権力監視不足による結果は国民が甘受せねばならないと考えます。ガンジー派の変形で、ヨガとは一切関係ありません。フェスは好きで、ヒッピーの友人も居ます。つばさがいるので、もう二泊か三泊が限界ですが。徴兵制には興味がありません。今の日本では、軍事的に言って不必要で議論する必要すらありません。簡単に言うと、日本は相対的に人口が多すぎ、かつ今の陸軍兵士は高度な兵器オペレーターでないといけないからです。ここ何十年かの人民解放軍陸軍のリストラぶりを見てください。ざっくり半分になっちゃいましたよ(今回の事態で、ロシア地上軍の常備兵力が19万、総兵力が90万とおおきく報道されました。これの意味するところは、地上軍は少なくてよく、支援の軍が非常に多い。その支援軍は専門職集団である、という事実です。)。人民解放軍空海軍の増強はとてつもない脅威に将来なります。是非は置くとして、陸空軍主体の地続き国家イスラエルとは状況が全く違います。まあ、これは非なんですけど。今の自民党の改憲案には反対で、改憲には「憲法改正の限界」という自己言及のパラドックスがあると見ています。「私は嘘を言っています」と同じ構造です。でも、可能な改憲の一部には賛成です。自衛隊は容認派です。ただし条件付きで、防大でのイジメ自殺とか許せませんし、縦社会の体育会構造は大嫌いです。筋肉脳の方は、こっちからお断りです。防大卒と四大卒の隊内差別も、呆れてものも言えません。米軍基地にはさっさと出ていってもらいたいです。原発は国民責任です。

 

で、DJの話に戻りますが、家の三件となりの女の子、幼馴染で同じ小学校三年〇組の●●〇〇ちゃんがカタカナで「ディスクジョッキーになりたい」って書いてたので、対抗意識から私はアルファベットで書いたら、Jの字を逆に曲げてしまって、半泣きで先生に修正液を借りました。何かの寄せ書きみたいなやつで、原稿がボールペン書きだったのです。修正液という物を初めて見ました。存在は知ってたのですが。

〇〇ちゃんには、よく長い爪で引っ掻かれたものです。たいてい、私のいたずらが原因です。何故か同じ班で、よく掃除の仕方が下手だと叱られました。「掃除のときはどこ見るか知ってる?」とか遠回しに言われて、まるでお姉さん気取りです。名前に「美」の字が欲しかったって言ってたので、「〇美」でいいやん、と密かに思っていました。ネコ目の子でした。

 

DJも、オンラインヨガのインストも、ユーチューバーも声質は重要ですね。

ソエルを始めて、インストの声質の重要さを感じました。

つばさは日光浴と同時にストーブに当たれる絶妙な位置に座っています。

さっき、第三モニター裏を経由して、南窓に移動したので、部屋を締め切り、午後早くで暖かいですが過保護にも弱い暖房を入れました。

これらは一部を削除した上で、ブログに転載します。というか、途中から完全に意識的にブログの下書きとして書いちゃったw

★ふと思ったのですが、「物心ついてから高校卒業まで+現時点だけの自分のまとめ」は、なかなか良いかもしれません。重要な過程である高校卒業以降をあえて飛ばしていますが、高校までの過程がどう今の自分に影響しているかを、各個人が振り返るのも一興かと思います。「結論よりも過程を重視する」という姿勢を書き忘れていましたけど、これの追記もしようかな(しました)。もしよろしければ、「まとめ」を試していただいて、直接送っていただければ、こちらに掲載いたしますので、リア友の方々、よろしくお願いします。その際、個人情報保護の観点から伏字にさせて頂くこともありますので、あらかじめご了承ください。リア友でない方はコメント欄に長大な文章を載せて頂ければと思います。まあ、なかなかやりにくい事だとは思います。突然、宇国では最悪な状況が始まりましたので別記の予定です。

そこそこの反応を頂いております。有難いことです。誰か、原稿、送ってきてちょうだいー♪

★私とロシアの関係、というほどでもないのですが、少し触れておきます。単なる昔語りです。

園児の頃、世界には米ソという二大大国があり、双方ともに同盟を組んで対立している事を知りました。親からは「どっちもどっちだ」としか聞かず、あまり関心はありませんでした。

小学生になってかなり文字が読めるようになると、なんでもかんでも読みましたが、その中のムック本に(KKワールドフォトプレス社のものです)、米ソの核対立についての記述があって、恐ろしいと思いました。この頃は強くないと国際社会で生き残れないから自衛隊を強くしたらいいと単純に思っていました。日米安保なんて理解できていませんでした。このムック本には、かなり細かい所まで載っていて、隅々まで読みました。今でも一部を覚えています。主に核戦力の現状を分析・紹介した、分厚くて、写真のたくさん載ったムック本でした。戦時に米大統領が移動するシェルターの推測などまで載っていました。

その本に注目すべき記述があり、一気にソ連が気になり始めました。概ね「第二次世界大戦でソ連は人口の一割を遥かに越える二千万から二千五百万の死者を出し、ナチスドイツ敗戦の大きな力となり、戦後、国連安保理の常任理事国となった」というものです。この数字には子供でも驚きました。ちょっと検索してみます。今のwikipeの死亡者の数字は「千八百万から二千四百万」とあり、記憶の数字は少しだけ多かったようです。ですが、全人口の13.6~14.2%が死亡したというのは異常です。この衝撃に小学生の私はかなり驚き、どうゆうことをしたら、こうなるのか、と疑問を持ちました。年齢が上がると共に、徐々にその理由が判ってきました。並行して、ロシアの文化や言葉、色々な民族などに興味を持ち始め、逆にソ連政府とロシア政府は酷い事ばかりすることに憤りを感じていました。

数年前に上坂すみれ氏を知り、同じような人もいるんだなあ、と思いました。

その二、三年後くらいにプーケットに一か月滞在しました。もう何年の出来事かばれちゃいますが、中国人がツアーに来なかった年です。プーケット沖合でその原因となった船が見えました。引っ張られて行くシーンも見たような気がします。写真もあるはずですので、あったら後で追加します。その年は自由旅行をする中国人は居ましたが、大群でいたのはロシア人だけでした。彼らはたいてい、陽に弱い肌をさらけ出し過ぎて、火傷している者もちょくちょく見かけました。一か月も居たのでなじみになったロシア人もいましたが、すぐに居なくなりました。そんなに長居はしないのです。長くて一週間くらいでしょうか。自由旅行の人は世界各国から来ていましたが、圧倒的な数を誇るのがロシアからの集団のツアー客でした。私はロシア人の海を掻い潜って、毎日海に行っていました。ややこしい表現です。ただし、晴れの日の昼前後は行きませんでした。日差しが危険でしたので。朝と夕方が多かったです。そして、ふと、例の死者数を海の上で浮きながら思い出しました。ロシア人が狭い街の歩道ですれ違う時に何故、道の譲り合いをしないのかと考えていた時でした。いま、プーケットでバカンスを楽しんでいるロシア人は、あの時に死ななかった生き残りの子孫だって気づきました。祖先や親類に必ず死者は居たでしょう。地域によっては酷い事になっていたと思います。その根絶やしにされなかったロシア人等たくさんの民族の子孫には、祖先から伝わっているはずです。「危険な時は、自分だけを大事にして、とにかく逃げろ」と。映画のシーンのような光景が頭をよぎります。逃げるための最後の貨車のもうないスペースの中に、人を押しのけてでも乗り込もうとする人たちの姿を。逃げなかった人は全員死んでいて、子孫をのこせなかったのではないでしょうか。同様に、苛烈な歴史を経た国は枚挙にいとまがありません。

その一つが中国です。戦争があって、革命があって、文化大革命でとどめをされました。中国人とロシア人はなんとなく似ていると感じます。私が文化や言語、民族などに興味を持ち、政府は両方とも酷いと評価しているのも共通しています。中国には通算三か月滞在しました。台湾には通算一か月滞在しました。中台の違いは歴然としています。台湾人民は大きく三つに分けられ、元々居た人たち、16世紀以降に来た漢族、1949年頃に来た漢族の三つです。同じ漢族(ハンズー)でも、大陸と台湾では全然違います。当時は服装の色合いからして違いました。いまの中国は街こそ綺麗になっていますが、民族性はそれなりにしか変化していないようです。意識高い系の人の発信をたまに見かけるようになりました。旅のエピソードは別記事で時間のある時に書きたいです。写真も膨大にありますので。


『ツタ、侵入』がぴったり当てはまる

2022-02-28 19:25:48 | 日記

つばさ日記0228夜「『ツタ、侵入』がぴったり当てはまる」

27日夜、早寝のつもりが普通の時間に消灯。つばさが膝上から離れるのを拒否したためだ。結局長時間、手で暖めて続けていた。降ろそうとしても爪でズボンを持ち、拒否する。姿勢を低くして諦めるのを待った。しばらくで諦めたが、すっかり拗ねてしまった。暖房が自動消火。だが、今夜はかけたまま寝ることはしない。私は横になりたいのだが、まだ椅子の下に居るつばさを桃ハウスへ誘うも、明確に拒否される。小さい手で私の手を優しく押しとどめたのだ。拒否の意思表示をはっきりするのはいい事だ。自分の居場所がここだと認識していることの裏返しなのだから。結局、少し早い程度の消灯となる。寝ているうちに諦めて、桃ハウスに戻ったようだが判らなかった。寝る前からトイレ跡があったが、掃除を忘れて寝てしまった。

 

28日朝、やや早く起床。タバコで喉が痛い。睡眠スコア90が出て驚く。異常に高い。ほぼ同時、少しだけ遅れてつばさも起床、早速サブ水に。体温は回復。やはり昨日の日中は寒さに震えていたのか。夕方以降は温かい所に居れば良いのに。水補充。カリカリへ突進。早速膝上。手で温めは要らない体温だ。しかし、内臓に当たるようにお腹部分を温める。やはり、つばさは大人しい。私にとっても幸せを分けてもらえる貴重な時間である。強力な暖房により室温が急上昇していくが、しばらくはつばさを温める。太ももからも暖かいのではないか。少しずつ指先によるマッサージとブラッシングに移る。暖房が燃料切れを知らせてくる。つばさを降ろす。あっさり降りたので、一気に用事を片付ける。早朝の庭は気持ちが良い。見回すと東の空に月と水星らしき明るい天体がある。国立天文台を眺めてみると驚いた。今の時刻は東の空低くに「月、火星、金星、水星、土星」が同時に見えるという。曇りなので、月とその天頂方向にある金星しか見えない。慌てて、東の窓だけカーテンを開け、キープしておいた資料をトイレに取りに行く。置いている場所が何だが、ちゃんとクリアファイルに分類して仕分けしている。資料によると3/2829、および4/254/28に大きな天体ショーがある。これは別記する。

 

例によって朝食のウインナーを分ける。二欠片。豆腐にかつおぶしをたしたので、ついでに少しあげる。単体では食べにくそうなのだが、あっさり食べた。さらに草テチかちゅ~、前回書いた通り、かつをぶしは後乗せサクサクで行く。トイレをしていたので、直後に少しトイレから離れた位置に置く。上々の食べっぷりである。サブ水を又もや補充、又もやガブ飲み。早くトイレ掃除をしないと。結果は、夜の物は小が大量、完璧な一塊、今さっきの物は大が普通量、良い状態のものである。

つばさはサブ机ギリギリ端でこちらを見ている。ベッド端へ。枕をタオルで高くしているのは、まだ首を低くして寝るのが怖いからである。

この後、同じ場所で丸くなる。

用事を済ませ部屋に戻ると、桃ハウスから電気あんかを蹴りだしている。オフにしておいて正解だった。

以後、一切動きがないまま夜になる。トイレすらない。仕事でついつい大声で長時間の電話をしてしまったのが、余計につばさを萎縮させたのかもしれない。過去に怒鳴られた経験があるとかで。

猫類補完計画は昼過ぎに一旦完了、二つの予備トイレが空になった。天日干しを終えた全ての猫砂を、今のトイレに補充した。

補完計画に使っていた牛乳パックにテントウムシ二匹を捕まえて部屋に。春の気配である。だが逃亡された。昼に外で再び別の二匹を捕まえ、部屋に。今も居るので写真を撮って、外に放す事にする。そのはずだったが一匹、居なくなっていた。見えている板が、別のヘルニア闘病記シリーズで紹介した、少し高価な三段ボックスの仕切り板で、ストレッチ板兼つばさの体重測定時の土台に使用している物である。

お隣さんと少し話をして、メイン部屋の窓を開ける。ついでに真下の一階の窓を開けてみると、網戸の内側からツタが侵入していて、反射的に引きちぎってしまった。次の写真は、引きちぎった残りをワザとひっぱり、さっきと似たようにした偽写真である。概ね似ている。

これを、『ツタ、侵入』と言わずして、何と言うか。

ちなみに今日は朝早くから多数の電話に次々と拘束され、解放されたのが午後六時前であった。何が、悠々自適だか。まったくもって忙しい。


ソエル三分の一の時点でのまとめ:2/27夕方~2/28朝(姿勢矯正、腰と背中その36)

2022-02-28 08:17:57 | 健康

27日夕方に、ちょっとソエルでのレッスン全体を振り返ってみました。戦略判断は後回しですが、100円期間で辞めるかもしれません。理由は後日書きます。

作戦面としては、2/19(土)から始めたので100円期間の1/3弱、一週間強で15レッスンを受けました。ペースを考えると一か月で40レッスン行くかどうか、といったところです。宣伝ではないのですが、思い立ったら気軽に参加できて、5分前(これは比喩ではなくて、5分前から先生が来て音声チェックとかをするのです)に椅子から立ち上がれば丁度良い、という手軽さは、通いでヨガ教室に行くのとは雲泥の差があります。ライブとレコードの違いみたいな感じです。毎日、ライブハウスやコンサートに行くわけにはいきませんし、それが好きなアーティストとも限りませんよね。

戦術面に移ります。ソエルはヨガ以外もやっており、各種の有酸素運動もレッスンに有ります。今のところヨガとストレッチだけに参加しています。効果は絶大です。プロに習うのが近道だと、どの分野でも、いつもそう思います。素人は玄人に教えを乞うのが一番です。内容はとてもではありませんが書ききれませんし、断片情報に留まっています。

男女比は、リアルの教室よりも男性が少なくて、一割をかなり大きく切っています。まあ、顔も服装も見えず、声だけなのですが。かつてのジムではお仲間の定年済のオジサン軍団が居たのですが、ソエルでは会ったことがありません。彼らはコミュニケーションの場としてもジムを利用しているからです。私も良くしていただきました。ジムでの流儀とかについてです。ちょっと若めのお兄さんが三人くらいでしょうか、15レッスンで遭遇したのは。同じ人かもしれません。ライブのポーズチェック枠じゃない見学枠で男性は参加するのが多いかもしれません。女性より恥ずかしがり屋が多いですから。

骨格の違いが男女で大きいです。筋肉というより、骨組み自体が違います。一例だけ挙げます。足首から膝、股関節にかけて、女性はO脚が多く、男性はガニ股が多いです。私はそれはそれは見事なガニ股です。両足の平同士を完全にくっつけて、かかとを思いっきり引き寄せ、浮いた膝を床へ沈める、というストレッチの動作があります。この動作で私は膝が床にぺったりとくっついて余裕があります。先生も床から膝が浮いているみたいです。しょうがないので私は一度膝を引き上げて、沈めている振りをします。たいてい最期の方には、面倒になって床に膝を置いて静止状態になりますが。これは硬いとか柔らかいとかの次元の話ではなくて、足というパーツの取り付け位置が異なっています。ガニ股の男性の方は上の動作をやってみてくださったら、これはストレッチにはならん、ってご理解いただけると思います。

28日、朝からつばさを手の平と太ももで温めながら脊椎を真っすぐにし、その状態で首を少しずつ動かしていきます。非常に繊細な動作でです。首の筋肉は小さいので他の隣接部位の影響を受けやすく、かつ脆いのです。ソエルの先生の言う通りにすると、効果が凄いです。自己流は時間がもったいないですね。効果が出るのに時間がかかり過ぎますので。姿勢は徐々に、自然と背面伸ばしに変わります。逆の軽い反る姿勢でのが緊張解除も忘れません。この際の、脊椎の後ろの骨間隔を零にしないというのも難しいですが、どうにか成功しました。こうやって詳細に見ていくと、ようやく、腰左の張りに気づきました。確認作業でこれだけ時間がかかるとは大変です。今後、徐々にでも短くなるのでしょうか。


本当の手当て

2022-02-27 21:46:30 | 日記

つばさ日記0227夜「本当の手当て」

午後帰宅し、一階で荷物整理をしている音を聞いていたのか、つばさはメイン部屋の開け放たれた扉の出口に小さく座っていた。私が帰ってから何故、カリカリを食べるのだろうか。補充が来るから、備蓄分を安心して食べているのだろうか。今日は非常に暖かい。こうゆう日の冷え込みは気をつけないといけないのだが、-3度まで明朝は冷え込むらしい。凍結ギリギリセーフの値である。そしてトイレ。抱っこする暇を与えないスタイルか。減ったサブ水の前で待っているので、継ぎ足す。飲みまくる。更に水補充。カリカリもまだあるが、私からのアピールとして補充する。間隔22hだが、割り引いて見る。南窓で暑くなり過ぎたようで、第三モニター裏に隠れる。私はレッスンである。

夕方、レッスンを終え、そのまま夕食準備等。出入りが多く、つばさも位置を刻々と変える。南窓、カリカリ、最期は桃ハウスでゴロリ。トイレ跡もあり、小がやや少量。我慢していないので良い傾向だ。

夜、草テチかちゅ~を出したのだが、少し閃いた。かつおぶしは最後に振りかける方が、風味が出て良い、という事である。名称変更はもうしない。私の中でこの名称が定着してしまった。桃ハウスから出て、モシャモシャと食べている。きっとトイレ大に効いているはずである。くしゃみや鼻水が気になる。今日は暖かかったし、暖房も付け足し、電気あんかはフルパワーだ。体温は何故か低い。これが反射というやつか。悪い反射だから、逆反射って感じか。食べ終わったので、小皿を整備する。ここでは書けないような甘やかした言葉をつばさに掛けながら。趣旨としては、明日もお通じが良くなるであろう、という言葉である。しばらくで、寝る前にブラッシングをと思ったが、少しで逃げられる。椅子の方に逃げたので座り直すが動かない。抱っこOKのようなので膝上へ。ふと思い付き、ブラッシングを止め、両手の平でつばさの胴体を温める。私の手の平は人よりかなり温かいのである。効果はすぐに出て、体温は上昇し、つばさのくしゃみと鼻水が収まり、しかも爪を立てず、非常に大人しくなった。私も足が暖かい。両手でタイピングすると体温が落ちていたので、片手タイピングで打っている。左手だけなのに、はっきりとつばさの体温が上がる。これがシェルターの方の言う「手当て」ということか。中指の先の方にタバコの跡が見えると思う。

つばさの口が臭い。自分の手も老いたものだ。


人体の神様なんて、おりまへん:2/26夜~2/27夕方(姿勢矯正、腰と背中その35)

2022-02-27 18:25:48 | 健康

26日夜は、早寝し、27日はまあまあの睡眠時間で自然に起きました。起きたてなのに、非常に体が軽いです。寝る前の15分間のストレッチ、やっておいて助かりました。左の僧帽筋が僅かに張っています。腰回りは軽いチェック程度では感知できません。本格的にチェックするか、ソエルに早朝から参加するか、ブログ更新を続けるか、考えます。結果として、ソエルの朝のレッスンを久しぶりに予約しました。

参加前、スピーカーが上手く繋がりませんでした。原因は、ケーブル先端または受け側に貯まったホコリだと思います。レッスン後に「ふーっ」ってしておきました。開始時に大迷惑をかけてしまいました。参加中は、またもや自分の手足、肩、股関節を見失いました。どこに有るのかが判らないので大きな鏡が欲しいです。姿勢で判らない点も多く、あれこれと迷いながらでした。特に肩と足首で後背全体を浮かせる姿勢は、無理でした。元々筋力不足なのと昨日の大食いが祟ったのでしょう。しかし、全体に見ると非常にスッキリしましたし、まあまあだったと思います。課題は上記の通り多いですが、何よりも今、これをタイピングしている時の楽さが全然さっきまでと違います。やれば効果があると、はっきり分かったレッスンでした。

朝の用事では姿勢と呼吸に気をつけて、裸足でスタスタと歩いていきました。速足で歩くのがこんなに気持ちがいいとは思いませんでした。斜面に立つことも楽になりましたし、地域の見聞を深めることもできました。

用事から午後に帰宅し、レッスンを探します。もちろん、星1&星1限定です。今度はアマゾンミュージックでスピーカーテストもして、準備は万端です。南窓のつばさに、一緒にヨガをしよう、と言っても無視されました。ドリンクを作ります。撫でても無視です。鳴き声一つ返ってきません。帰ってきた時は喜んでいたような気がするのですが。

レッスンは非常に中身が濃かったです。時間が経つのが非常に早く感じました。内容で感じたことを書き切ることが出来ません。思うままに書いてみます。まず、ヨガは安全に行わねばならないことの徹底です。「痛い」のと「痛気持ちいい」は異なる事。痛いポーズからはすぐに離れる事。止めることも勇気である事。これらはヨガの教科書の1ページ目にある内容だとのこと。逆に言うと、ヨガは適当にやると危険だという意味。左右差はあって当然。理由は、左右の筋力バランスや内臓の配置の違い。鼻の穴の左右差は個人によって1~3時間で周期的に入れ替わるのが謎。内臓の柔軟性が低いと筋肉を内側から圧迫し、張りの原因になるのは初耳。内臓のストレッチも初耳。肩や背面の筋肉が繋がるキーポイントが多分腰骨辺りの体側にあり、これを伸ばす必要がある事。これくらいでしょうか。ちなみにレッスン中は右の鼻の穴が詰まり気味だったのが、今は左に変わりました。謎です。校正中に両方スースーと通りました。更に謎です。

しかしながら、私のスタンスに変わりはありません。ヨガと解剖学に基づく現代ストレッチ理論と中医学・東洋医学をすべて包括する「大統一理論」を、ほんの僅かでいいから垣間見たい、のままです。ヨガはその重要な一翼を担っている、という見方です。人体の神様、チラ見でいいから見せてください、と信じてもいない事を書いてみたりしてみます。