こんど、泊まりで出かけるのですが、その計画の中で車を停める場所の話を友人知人と行いました。ウチからは車で出かけるしか現実的な選択肢がないからです。それをきっかけに、「そもそも何故、車を停めるのにお金がかかるのか」という事に思い至りました。これは人類が過度に都市に集中しすぎているからです。歴史的に都市を持たない民族も居ましたが、ほとんどの民族は都市を形成し、生活を効率化していきました。一部の遊牧民ですら、小さな町を形成するほどでした。
私のいる中山間地はメガロポリスとは真逆の世界です。車ならば、近くに「小さな町」があります。以前の私なら上記の疑問など思い浮かべることはなかったでしょう。しかし、思い浮かべるのに数年かかったことも事実です。
都市が存在しないと人類の文化の重要な部分が発達しなかったでしょう。都市の存在自体を否定しているのではありません。これは上記の通り、歴史の必然です。私が言いたいのは、過度なのではないか、という事です。東京に滞在した時、安い所を探しても一か月で3万円以上かかりました。さすがにこれは異常ではないでしょうか。この駐車場は24時間ごとにお金を支払い、そのレシートをフロントガラス手前に置いておく形式の物です。ズルしようと思ったら可能です。ですが、素直に支払いました。さすがに一か月毎日支払い続けると確認に来る管理人の人とも顔見知りになり、監視カメラがダミーである事すら教えてもらいました。それでもお金は払い続けました。お互いを信頼しないとこういう展開にはならなかったでしょう。
都市以外に住んでいる人にとっても、いざという時、都市が無いと困ります。大病を患ったら地元の「小さな町」の医療機関では何もできません。他にもたくさんの事が絡みます。
人類は純粋に生物として見れば弱いですが、科学技術の力により、別の意味で最強の生物です。哺乳類で他を数において圧倒しています。もしよろしければ、他の哺乳類の総数を検索してみてください。人類の突出ぶりが判ると思います。私は人類は争いを辞め、宇宙に出るべきだと思います。ラグランジュ点も良いですが、究極的にはダイソン球です。何千年もかかる話ですが、もしかしたら技術の発達が想像を超え、オートマチックナノマシンにより何百年かで完成するかもしれません。過度な集中を避け、適度な都市を作り続けるにはこれしかないと思います。