もう20年以上になりますかね、mixi(ミクシー)が出始めたのは。
今は毎日のように話題になるSNSです。
当時は《ソーシャルネットワーキングシステム》とフルで言ってました。
しかし、早口で言って舌を噛んで亡くなる人も出てきたので、短くしようって事で《SNS》と呼ぼう、になりました(ハイ、もちろん大嘘です)。
だけどmixiは会員の《招待》がないと参加できません。
新しいもの好きな私は、誰か招待してくれないかな、と密かに思ってました。
私より、さらに新しいもの好きの友人から。
最初は面白くて自分からメッセージを送ったりしました。
でも、そのうちに面倒くさくなりましたね。
「開封」したのになんで返事くれないの?・・みたいなのが増えて。
今のLINEはどうか知りませんが、mixiは送られてきたメッセージを読んだ(開封した)のが、送った相手に分かるシステムでした。
ああ、こりゃ自分には駄目だ。
こんなのに時間をとられてたまるか、って感じですね。
mixi撤退宣言をして、半年程度で終わり。
今は一応LINE、インスタ、Facebookなどアカウントを持っていますが、こちらから発信することはなく、情報を取りに行く時だけ使っています。
もちろん、全部の情報は信じません。
寧ろ疑うくらいです。
だからSNSの誹謗中傷による自殺なんてニュースを目にすると、何で途中でやめなかかったのか理解に苦しみます。
どこの馬の骨が発してるか分からないことに翻弄されるのは、ばかばかしい。
一般に流布されているSNS情報は、負け犬の遠吠えです。
正義中毒にかかった病人の投稿です。
SNSなどなくても何の不便も不利益もありません。
それどころか「百害あって一利なし」程度にしか思いません。
時々、ネットもつながらない様な千葉の内陸部の湖に行って半日過ごす事もあります。
スマホも楽天キャリアなので、いい具合に内陸部ではつながりません。
やることといえば、ぼーっとするだけ。
雲の動きを見てたり、目を閉じて風の音、鳥のさえずりを聞くこと位です。
なぜか頭の中がすっきりして、空っぽになりかけた気力がでできます。
こんな風に頻繁に充電が必要なのは、そういう年齢なのかな。
だけど、それが今皆が必要なんじゃないかと老爺心から思う次第です。