先月、私の行政書士業務の範囲が拡張され、行政不服申立て手続代理も行えるようになりました。
行政庁が許可・認可・確認・登録の処分、もしくは拒否の処分を行った際に、審査請求など行政権内部での不服申立てを希望する方に、代理人として協力できるようになります。
細かく述べると例外はあるのですが、個別にお答えしますので、ご相談ください。
先月、私の行政書士業務の範囲が拡張され、行政不服申立て手続代理も行えるようになりました。
行政庁が許可・認可・確認・登録の処分、もしくは拒否の処分を行った際に、審査請求など行政権内部での不服申立てを希望する方に、代理人として協力できるようになります。
細かく述べると例外はあるのですが、個別にお答えしますので、ご相談ください。
今日、室蘭市で期日前投票をしました。
選挙区は、立憲民主党公認の山岡氏に、比例区は、れいわ新選組に入れました。
最高裁判所裁判官国民審査では、深山氏、林氏 、岡村氏、長嶺氏に、罷免票を入れました。
3月20日、札幌市内で開催された集会に参加しました。北海道知事選挙に挑む、元衆議院議員の石川知裕氏への応援です。
集会は、札幌市長を12年間務めた上田文雄氏、北海道知事を12年間務めた横路孝弘氏のあいさつから始まりました。上田前市長は、石川候補の北海道政策を推進するための応援団を結成した報告、JR札幌駅の地下に道内178市町村のために設置した「チカホ」というスペースをもっと積極的に活用してほしいという訴えをしました。横路元知事は、大日本帝国憲法のもとでの官選だった北海道庁長官の統治のあり方と、その下での北海道出身の戦死者の異常な多さを振り返り、自公政権が擁立した候補と対決して勝つことの意義を訴えました。両氏とも、とても力のこもったアピールでした。
続いて、石川候補が決意表明をしました。北海道独立宣言を掲げて出馬するに至った経緯、新エネルギー政策、カジノ誘致反対、JR路線網維持・活用などの公約、十勝圏域で受けた応援など、興味を魅くアピールでした。
辺野古への米軍基地移設反対の県民の意思を示した沖縄県知事の玉城デニー氏は、北海道出身者を含む沖縄戦の犠牲者への追悼の思いや、小沢一郎議員との縁などを、語りました。
続いて、石川候補の家族が登壇しました。妻である石川香織衆議院議員があいさつしました。5歳と3歳のお子さんが元気よくはしゃぎ回り、私も感激しました。
私は、今回の統一地方選挙に際して、北海道議会議員に立候補する意思があることを示しました。そこへの転機となったのは、野党グループが、今年2月になって石川氏を知事候補に推挙したからです。
私にとって石川知裕氏は、心から応援することのできる唯一といっていいほどの政治家です。その石川氏に起こり得る可能性と試練を考えたとき、自分にできる支援のあり方としてまずは、この直接行動への表明を決意しました。あまりにも急な準備でした。
今日、北海道議会議員選挙の立候補予定者として参加しました。
室蘭市選挙区は、定数が2です。7期目をめざす結志会会派、2期目をめざす自民党会派の議員が今回も、立候補します。
自公政権に随行する現職1名と元職1名、野党超ベテラン議員1名の争いの中に割り込んで、理念のない金権主義に一石を投じるような選挙戦に挑めるかどうかがかかっています。
一昨日、札幌ドームでセ・リーグのスワローズとのオープン戦をみました。結果は、3対1で勝ちでした。
先発ピッチャーは、25歳の加藤貴之さんで、70球1失点に抑え、勝ちゲームの流れを作りました。ベネズエラから入団した26歳のオズワルドアルシアさんが、初ホームランを打ちました。1番バッターの25歳の西川遥輝さん、3番バッターの24歳の近藤健介さんが、いいヒットを打ちました。二人とも、また活躍しそうです。ドームには、西川選手と並んで、選手会長で27歳の中島卓也さんのポスターがたくさん貼ってありました。ショートを守り、ヒットを2本、打ちました。
球場での観戦は、やはりとても楽しいです。
球団は、5年後をめざして大がかりな球場移転の準備を進めています。私個人にとっても、重要な5年です。
1月20日、登別市教育委員会が主催する同講座に参加しました。
北海道大学准教授の谷本晃久氏が、「アイヌ史と日本史、アイヌ文化と和風文化」と題して講演を行いました。
これまでのアイヌ史の時代区分をめぐって、零落する「アイヌ文化」と、「日本文化」への同化という叙述により、問題のある観点が蔓延してきたことを解説しました。
一つは、1970年代まで支配的であった社会進化論・発展段階論の視点です。福沢諭吉と河野広道の叙述から、残存するアイヌ文化に対する優勝劣敗の理論を読み解きます。
もう一つは、現在通説的な、縄文文化とアイヌ文化の対置により時代を分断させる視点です。こちらは、中学教科書から読み解きます。そしてこの弊害として、「縄文文化は日本文化ではない」「アイヌは13世紀に出現した」というような議論が浮上してきたと指摘します。
その中で今、講師たちが、通史的な「アイヌ史」の叙述という、新しい構想を進めていることが紹介されました。
〈アイヌ史的古代=3~13世紀〉〈アイヌ史的中世=14~18世紀〉〈アイヌ史的近世=17世紀~1875年〉〈アイヌ史的現代1868年~〉
日本史の時代区分に連動しないアイヌ史自身の時代区分を設定し、日本史叙述とアイヌ史叙述のフラットな関係性を展望しているということです。
さらに、登別出身の知里幸恵と知里真志保による、近代化と固有文化伝承双方の問題提起に学ぶことの大切さを再確認しました。
私は、アイヌ史観が昭和の頃から改善してきたことを、ともに振り返りながら、講師たちが、アイヌ史の研究を今後もさらに深く細かく進めてほしいと思いました。
講演の中では、近世19世紀のアイヌ社会の様相が、3地方でくっきりと異なっていたことに触れていました。北海道では江戸幕府の直轄が始まったが、千島では江戸幕府との交易遮断とキリスト教の浸透が進み、樺太では清の政治的影響が強かったということです。日本との依存にないアイヌの活発な姿が、掘り起こされるのならば、私もさらに、それを取り入れていきたいと思います。