私の足跡と今後について

辻栄 克則(つじえ かつのり)の公式ブログです。

アイヌ文化講座

2018年02月21日 | 日記

 1月20日、登別市教育委員会が主催する同講座に参加しました。

 北海道大学准教授の谷本晃久氏が、「アイヌ史と日本史、アイヌ文化と和風文化」と題して講演を行いました。

 これまでのアイヌ史の時代区分をめぐって、零落する「アイヌ文化」と、「日本文化」への同化という叙述により、問題のある観点が蔓延してきたことを解説しました。

 一つは、1970年代まで支配的であった社会進化論・発展段階論の視点です。福沢諭吉と河野広道の叙述から、残存するアイヌ文化に対する優勝劣敗の理論を読み解きます。

 もう一つは、現在通説的な、縄文文化とアイヌ文化の対置により時代を分断させる視点です。こちらは、中学教科書から読み解きます。そしてこの弊害として、「縄文文化は日本文化ではない」「アイヌは13世紀に出現した」というような議論が浮上してきたと指摘します。

 その中で今、講師たちが、通史的な「アイヌ史」の叙述という、新しい構想を進めていることが紹介されました。

〈アイヌ史的古代=3~13世紀〉〈アイヌ史的中世=14~18世紀〉〈アイヌ史的近世=17世紀~1875年〉〈アイヌ史的現代1868年~〉

日本史の時代区分に連動しないアイヌ史自身の時代区分を設定し、日本史叙述とアイヌ史叙述のフラットな関係性を展望しているということです。

 さらに、登別出身の知里幸恵と知里真志保による、近代化と固有文化伝承双方の問題提起に学ぶことの大切さを再確認しました。

 

 私は、アイヌ史観が昭和の頃から改善してきたことを、ともに振り返りながら、講師たちが、アイヌ史の研究を今後もさらに深く細かく進めてほしいと思いました。

 講演の中では、近世19世紀のアイヌ社会の様相が、3地方でくっきりと異なっていたことに触れていました。北海道では江戸幕府の直轄が始まったが、千島では江戸幕府との交易遮断とキリスト教の浸透が進み、樺太では清の政治的影響が強かったということです。日本との依存にないアイヌの活発な姿が、掘り起こされるのならば、私もさらに、それを取り入れていきたいと思います。