私の足跡と今後について

辻栄 克則(つじえ かつのり)の公式ブログです。

私と統合失調症〜その3

2021年12月11日 | 回想

2001年(31才)、初めて精神科で診察を受けた。以前にアルバイトをしていた医療法人の大阪府の診療所だった。うつの症状があるとして、内服薬を処方された。医師から説明を受けたが、「10年かかる」という言葉だけがかすかに記憶に残った。薬を全て服用したが副作用が続くのをおそれ、まもなく通院を絶った。
02年、パソコンを譲り受けた。初めてインターネットを利用し感動した。

職場以外への外出が減った。妄想が生じないようにするため、他者に接していた時の心の持ちようを反省し矯正するメンタルトレーニングを常にしていた。

03年(32才)、国の庁舎での勤務を退職した。労働組合分会が送別会をしてくれた。

登別市で母と17年ぶりに同居を始めた。ハローワークに通い、雇用保険の手続きをしないまま仕事の紹介と面接を重ねた。求職活動の指導や訓練は受けなかった。自身が保険給付を受けられるとは、想像していなかった。

最寄りの病院で診察を受けた。医師は私の担当を別の医師に代えたい様子だったが、私はその理由を理解できず、当該医師の診察続行を要請した。

医師から、保健所が運営するサークルへの参加を勧められた。同年代の患者が多くいた。スポーツやカラオケをしながら、お互いが他者との交流を探っていた。私もその場に馴染んだが、自身は何者なのか心の整理がつけられず、交流が続かなかった。

内服薬を処方されていたが、定められた量の半分程度しか服用していなかった。私が治療に求めていたのは、現在の安静ではなく、数年後には回復するという保障だった。余暇時間が無為に過ぎていくという焦りの中で、母に生計を依存している状態、病状が回復しない現実、京都で作った経歴への不満が募り、実家での生活を続行するのは、非常に耐えきれなかった。

4か月後(33才)、京都市の賃貸アパートに転居した。この決定を医師に伝える際に、医師は急いで封書を作成し密封し、「京都の医師にこれを持参して引き継いでください」と告げられた。

 


雇用されている障害者の社会保険・労働保険

社会保険(健康保険と厚生年金保険)・労働保険(労災保険と雇用保険)は、障害を持つ者も、持たない者と同等に、保険料を負担している。(労災保険は同等に、負担がない)

少人員、農林水産業などの個人事業主に勤務する者を除いて、1〜4月以上の期間を定めて週20〜30時間以上、労働する者は全て、4保険に加入する。

健常者が厚生年金保険・労災保険に加入している期間に負傷・発病し、その初診日の1年6月後に、政府から障害を認定されると、障害年金などの保険給付が受けられる。労災保険は、業務災害か通勤災害が原因でなければ認定されないが、厚生年金保険は、原因を問わず認定される。

雇用保険は、障害者であれば、就職困難者であるとして、基本手当の給付日数が長く認められる可能性はある。健康保険には、障害を要件とする給付はない。

障害を持つ者が就職したからという理由で、それまで受給していた年金の額が増えることはない。逆に、停止したり減ったりすることもない。国民年金(基礎年金の受給)には、例外がある。