2003年(33才)、京都市に転居した。復職する狙いが失敗し、ハローワークでの求職活動を再開した。自殺衝動が起こるのを紛らわすために、自転車を用いて完全出来高給のポスティング作業をした。
転居の5週間後、フルタイムでの就職が決まった。24時間受付のホテルで、夜間の清掃を担当することになった。身体を機敏に動かす、黙々と作業に没頭できる、週6日出勤できるという、健康回復のためにとても適した職場だった。上司からもよい評価が得られ、購買などの他の仕事も任されるようになった。
04年(33才)には、生活意欲が顕著に回復した。雑誌購読、職能セミナー、証券取引、ブログ投稿、野球観戦など、自身の幸福のために行動できるようになった。テレパシーによりプライバシーを晒される覚悟をして生きるが故の孤独、向上心を受け入れ、霊的存在との共存を図るようになった。
05年(34才)、再び北海道に戻る決意をした。会社に突然の離職届をし、札幌市に転居した。求職活動は難航した。過大な自信を持ってしまったと思い知らされた。
インターネットで氏名を公表しての情報発信を始めた。弁護士に相談し、債務整理をした。9か月後にフルタイムの請負業務を得て、家計を立て直した。
07年(36才)、雇用保険により初めて保険給付を受けた。今後は農業の仕事を始めると決意した。
08年(37才)、伊達市の製造業での採用通知を受けた後、室蘭市に転居した。日本農業法人協会の社会人インターンシップに応募した。鹿児島市で有機栽培に取り組んでいる農業法人が、私の受け入れを決めた。09年(38才)、1月から4週間の研修を通じて、栽培、出荷、集会など、豊かな経験を得られた。帰宅後、求職活動と自動車運転講習を開始した。4月、帯広市の人材派遣会社で初めて報酬を得ての農作業に就いた。5月から長沼町の農業法人、7月から当別町の農業法人へと、期間を定めながら転地転職を重ねた。
厳しい労働条件に思われる作業であっても、作物の生長に合わせながら農場を駆け回る日々を送るにつれて、自身の苦悩が軽くなっている自覚ができた。かつて大阪府の診療所の医師が話していた「10年」にあたる時を経過しているのも、意識した。そして改めて、医師がどのような診察をしていたのだろうか確認してみたくなった。
10月、室蘭市に帰宅後、登別市の病院の医師から預ったまま保存していた封書を開けてみた。統合失調症の診断だった。