私の足跡と今後について

辻栄 克則(つじえ かつのり)の公式ブログです。

私と統合失調症〜その1

2021年11月17日 | 回想
本ブログでも度々ご紹介しましたように、私は、統合失調症という精神疾患を抱えていた時期が10年間、ありました。
その疾患がなくなってから12年が経過しました。
私がどのように統合失調症に対応してきたのか、関心をお持ちの方も多いのではないかと思います。
 
そこで、その10年間について著述し連載することにしました。統合失調症に関する知識として役立ててもらえるものと考えています。
 
 
 

 
1999年4月(28才)、この3か月の間にも、大学構内で、差別落書きの発見が相次いだ。その都度、立会、確認会、担当委員との個別交渉を続けた。「秘密警察のようだ」と実行者が驚くほど、私は学内で地道な働きかけをしてきた。通常の政治活動、深夜勤務、党務も怠っていない。新規会員の獲得に希望を託し、大学門前での演説も増やす反面、疲労感も隠せないほどになってきた。
 
異変を最初に自覚したのは、1年半前から始めた仕事の勤務中だった。職場は500平米の屋内作業場で、10人。積まれた50リットルプラスチックケースに入っている物を各自が持ち出し検品整理する作業をしていた。5メートル離れた他のスタッフが空にしてケースを床に置く際に発生する音を、私を強迫するために発せられていると幻惑せずにはいられなくなってしまった。作業を止めることはなかったが、時には真に受けて怒りの態度を示してしまうこともあった。それまで経験していなかった錯乱と、それを抑えるための疲労に悩む日々が始まった。
異変はまもなく、職場以外にいる時にも広がった。
大学で活動している時も、日常生活で歩行している時も、他者とすれ違いそうになるたび、私を暴行もしくは侮辱しようとしているとのではないかと妄想せずにはいられなくなり、ここでもその錯乱を抑えるため、呼吸を止めて落ち着きを戻すのを待つという作法を、限りなく繰り返していた。同年代の女性とすれ違う際には、頭の中は真っ白になっていた。
 
 

 

1999年初夏の頃(28才)の平常の生活スタイル

21:30~6:00 国の庁舎にて軽作業の勤務(週4日程度)  
7:30~8:00  食事
8:30~9:30  大学にて宣伝、作業(週3日程度)
12:00~13:00 大学にて宣伝(週4日程度)
13:00~13:30 食事
18:00~18:30 食事
18:30~21:00 ビラ作成、看板作成、左京区内にて戸別訪問
居住地は大学の学生寮、その一室を執務室兼寝室として他の党員とシェアしていた。
睡眠時間は覚えていない。

★精神障害の発症を判断するにあたって、労災申請を受けての審査基準が参考になる。

厚生労働省労働基準局では、「労災認定の対象となりうる精神疾患であること」「発病前の6か月間に業務による強い心理的負荷が認められること」「個人的な問題で発病したと認められないこと」とし、長時間労働、異常な出来事などの心理的負荷となる要因を、検討することにしている。

 


 
 
 
この異変について他者に打ち明けたのは、党の特別対策チームの会議の場の一度きりだった。この特別チームは、私の参加がなければ成立しないものだった。以降、私の異変について議題にのぼることはなかった。
私は、精神障害に該当しているのではないかと疑い、辞書で調べてみたりした。しかしそれだけでは判断できず、そのままの成り行きに耐えた。
 
やがて、隣の席に他者が座る際にも、妄想は始まるようになった。自分が出す何気ない音が逆に、自身の感情を露出するものになっているのではないかと想像するようになった。周囲で話し声がすると、私に関する噂をしていると妄想が始まった。電車やコンビニのようなスペースにいる時は、誰かが私を注視しているという妄想がよぎり、呼吸を抑えた。
デモに参加しても声を出せなくなり、闘争パフォーマンスができなくなった。
党員の間での私の孤立ぶりは、寮内に知れ渡った。
 
00年(29才)、 党での配置替えが決定した。執務室兼寝室は同じ寮内だが、党務は大幅に減った。

 



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