メーメーおばさんのひとり言

おこしやす
チクチク大好きおばさんです

疲れた~

2006年10月03日 11時46分46秒 | ひとり言
「突然の訃報」と言う言葉を耳にすることはよくあるが・・・『突然』ではないことなんて余り無いと思うことに 改めて気づき 考えさせられてしまった。
今時は核家族なんて当たり前なのかもしれないが これがとんでもない大変な時の流れを作り出している事に気づいた。
義理の兄の、つまり姉のお姑さんが 突然亡くなってしまった、お舅さんは何年か前にお亡くなりになったので 其の後お姑さんは一人暮らし。一緒に住もうと話してみても「長い間暮らした土地から離れることを善し」としなかったので 結局一人暮らしだった。
そこで、何もかもが止まってしまった。
義兄は三人兄弟であるが 卒業してから三人とも家を離れ その後結婚してみな 核家族とやらになってしまった。其の中で義兄が距離的に一番遠くに家を構えている。あとの二人も少なからず毎日顔をあわせるという距離にはいない。
そこで 時間を止めてゆっくり調べ始めることが許されるはずもなく 通夜葬儀告別式 次々としなければならない事が 押し迫ってくる。
五十を過ぎた大人が 何にも解からない、仕方の無いことで 全てを母親が行ってきたのであろうが このあとどうなるのか・・・

よく、葬儀だけは自分たちで行うものではなくご近所さんや 其の家族の知り合いや・・・でやっていただくもの、手伝っていただくもの と言うが、其のつながりがどうしても見つからない。子供たちがみな家を出てしまっている以上仕方の無いことで 幼いころの知り合いまでも遠くに就職したり 嫁に行ったりで 回りに知った人がいない。
姉は長男の嫁という立場ではあっても その当の長男が解からないことばかりなので 当然姉は何もやりようが無い・・・
其の上 お寺のこととなると 宗派の違いもあって 周りに親戚が顔を合わせても解かる人が限られてしまう。ちなみにあとの二人のうちの宗派は違っていた。もう何にも見当が付かない事の連続であった。
そこへ私たちが顔を突っ込むわけにも行かず・・・どうしたら良いものか・・・・
『子供の世話にならないように・・・』とか「してやりたくても出来ない」とか
言い訳はいつでも出来る、ようは 『子供の世話にならない事は無い』「出来る限りの事で良い」やっぱり 親子のつながりだけじゃなく 人としてのお付き合いのこんなにも大切だと言うことを 改めて考えさせられた二日間だった。