新型コロナの影響もあり、最近はめっきり鉄道旅に行く機会が減ってしまいました。
それでもブログで紹介していない過去の記録は沢山ありますので、これも良い機会です
少しずつでもまとめていきたいと思います。
今回の記事もかれこれ11年前の函館運輸所の転車台が主役になります。(脇役も出ます)
現在は姿が変わってしまっているかもしれませんので、あしからずご了承下さい。
はい、1枚目から全部鬼籍と思われる車両達に囲まれている写真です。
あらためて車両のライフサイクルは短いなあと思いました。(車両の中では長老達だけど)
その一方で転車台などの地上設備は比較的長いこと使用されるので久々に訪問した土地でも残っていたりすると安心感があります。もちろん、撤去されてしまった時の悲壮感も大きいですけどね。
この転車台は20m級3点支持型の上路式(でて20-1)です。
たしか初めから電動で設計された国鉄型の転車台はこいつのみだったはず(前にも同じこと書いたような)
桁の側面に記されたHA KO DA TE の表記が異国情緒漂う街らしさを醸し出しています。
牽引車もとい操作室をアップで。銘板によると昭和33年製造のようです。
でて20-1は尺取虫が標準装備だったと思いますが、SL亡き今は撤去されてしまった場所の方が多いです。
桁が共通型式でもピットはその土地の地盤や地形に合わせた形態になりますので、深さや円周軌条の配置、排水設備の作りなどが異なることが殆どです。
キャットウォークの手すりは持ち手の部分のみトラ柄になっていますが、視認性は微妙な感じ。
SL函館大沼号が運行していた頃はC11の返却の際などに使用していたようです。
その他、気動車の転向で時折使用されているようですが、いまだ稼働するところは見られず…
その代わり、でて20-1とC11の組み合わせは下今市で定期的に見ることが出来ます。
現在は分かりませんがホームからも桁の姿が良く見えました。
この柵越しの転車台、見覚えあるなあと思って探したら金沢がそっくりな配置でした。
手前に駐車場、左側に事務所、奥に高架橋があるところまで一緒でした。こちらは北陸本線の車窓ですが、現在は手前の駐車場に建屋が建設されてしまったため、拝むことは出来なくなっています。
2010年当時は五稜郭にも転車台が現存していました。私が見たのはこの時が最後です。
現在は道路が敷かれ跡形もないですが、GoogleMAPで丸い輪郭が表示されるのはその痕跡になります。
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