=写真お借りしました=
今日は山鉾巡行ですね
でも、京都は38度らしいですよ
熱中症患者が心配!
四条河原町の辻回しが済めば、お囃子は戻り囃子に♪
ゆっくりしたお囃子から速いテンポのお囃子に変わります♪
軽快なリズムに乗って鉾々独特の音色で心も浮き浮き???
京都の童歌???にもあるように「すはまのおちごんさん、鉾から落ちて指一本な~くした」
なんて大きな事故も無く巡行が楽しめますように😊
=写真お借りしました=
今日は山鉾巡行ですね
でも、京都は38度らしいですよ
熱中症患者が心配!
四条河原町の辻回しが済めば、お囃子は戻り囃子に♪
ゆっくりしたお囃子から速いテンポのお囃子に変わります♪
軽快なリズムに乗って鉾々独特の音色で心も浮き浮き???
京都の童歌???にもあるように「すはまのおちごんさん、鉾から落ちて指一本な~くした」
なんて大きな事故も無く巡行が楽しめますように😊
京都駅、八条口のタクシー乗り場が・・・
って、先の記事に書きましたが
夕方のニュースで・・・
びっくりしました!
すでに情報は拡散されたのか
長い行列ができていました😆
記事は乗り遅れ???
=写真はお借りしました=
京都の繁華街と言えば四条通
その地下に道があるのを知っていますか?
今回、ここを活用するため学生にアイデアを募集しているとか。
私が結婚前後に住んでいた郊外から
勤務していた京都高島屋には阪急電車で通っていました。
遅番でちょくちょく大丸に寄って道草をする。
その後は、この地下道を利用して高島屋まで一直線。
上の道、四条通を使うことは殆どありませんでした。
四条通の商店は今ほど整っていませんでしたから・・・
休みの日だって、買い物は目的のお店を目指すだけです。
よく行っていたのは「たち吉」「野村テーラー」くらいだったと思います。
この地下道は急いでいる人の為にあるような閑散とした道で
観光客など殆どいませんでした。
いままで、何度か活用を考えられましたが
まず、道以外に広げられない!
京都市も又々募集をしています。
『 四条通地下道は、1963年(昭和38年)に阪急京都線が河原町駅まで延伸する際に設けられ、その後京都市が整備した通路(約90メートル)を含め全長約1,100メートルに及ぶ地下通路です。
ポルタやゼストなどのいわゆる「地下街」は、商業空間であり様々なショップで構成されていて、通路も華やかな雰囲気が醸成されています。他方、四条通地下道は、文字通り「地下道」であり、一部でショウウィンドウや広告看板を掲出していますが、それ以外に施設等はありません。
全体がまるで「真っ白なキャンバス」の状態ともいえる、可能性を秘めた地下空間を活かして、学生の若い視点、アートな視点、デザインな視点で、この界隈への入洛客や地元の人にとって歩いて楽しめるような空間の創出を期待しています。』
生まれ育った京都が大好き♪
姉たちもまだ健在だし・・・
いとこ達も!
それぞれが世帯を持って大半は洛中から離れたけど・・・
まだ、母の実家はいとこが引き継いで同じ場所に・・・
ゆっくり歩いても二条城から東へ5分、御所から南へ10分。
逗子の細い道はいつも水が撒いてあって情緒たっぷりだ。
龍安寺にくっついて家を建てた叔父ちゃんは素人なのに自分で建築した!
子供の頃遊びに行くには四条大宮から嵐電に乗ってのどかな田舎に・・・。
それも今は大きく変わって観光化されて・・・全く面影はない。
かく言う私めも一時期父親の商売の都合で大阪へ。
中学生の3年間は見事京女の私を大阪女とのミックス女に変えた!
ちょっとイケズやけどアッケラカンとして陽陽陽女😁
高校進学と同時に又京都に戻ったけれど住む場所が問題だった。
一之舟入(木屋町押小路)、他府県の人から見れば羨ましい場所なのだが
十代半ばの私には刺激がありすぎた😝
歩いて数分の所に京都最大の繁華街が!
不良娘に変身するのに時間は掛からなかった😅
と、この話は又にして・・・。
高齢者と言われる年齢に達した今は、帰りたい。
京都に戻りたい。
初就職も京都だし、京都からは離れられない。
♪ かなら~ず、京都へ~戻ってくると~ ♪
(宇宙戦艦ヤマト風に・・・😁)
「志津屋」の玉子サンドと、カツサンドでおまっ!
「4月下旬、京都市右京区のパン製造販売「志津屋」の自販機が、市営地下鉄の京都駅と四条駅のホームで稼働した。」
だって~!
これ京都新聞の記事。
私は新聞とってないし、ネットニュースで!
はいはい、京都人は凄くパン好きなんでおまっ!
子供のころから、どす?
昭和20年代後半😜幼稚園行く前の朝食は
「食パンに、キャベツのお味噌汁…と、1品」
高校時代になったら、どうかしたら夕食は「お肉屋さんのコロッケとコッペパン」
なんせ、早く喫茶店のバイト行きたいし…
行く道で素敵な野球青年と会いたし…
彼はかの有名な平安高校野球部エースなんです~😆
なんやかんや、楽しいこといっぱいの青春時代…
もっぱら主食はパン、パン、パン…でした!
因みに京都人は「おまっ!」とは使いまへんどすえ~
「どす」もそうそう普段使いまへんどすえ~😛
あと1週間もすれば心ワクワク、クリスマス♪
ワクワク?・・・なんて待ち遠しかったのは数十年前!
クリスマスプレゼントを〇〇君に渡したの時のときめきは今いずこ😜
一之舟入に住んでいた頃は遊び三昧・・・不良娘真っただ中・・・
イブの深夜に河原町通りを北へ一路帰宅・・・
市電は大雪で走らない・・・と言うよりとっくに終電?
珍しく大雪が積もった四条通から押小路通まで
身体は寒いが心はホカホカ・・・
頭に浮かぶのは山下達郎の「クリスマス・イブ」
と、言うのは嘘で・・・まだ発売どころか陰形も無い。
たぶん1963年のアダモの「雪が降る」だったかも😜
雪深い線路を滑らない様に京都ホテルまで・・・
あの頃は青春、青々・・・😁
みんなはどんなイブを過ごすのかな~!!
テレビは忠臣蔵一色???は一昔前の話。
今の若い子に訊いても「なんやねんそれ?」やろね~
物語では大石内蔵助が敵を欺くため毎晩お茶屋通い・・・
今も営業している花見小路の「一力」はんへ・・・
大石はんはその頃山科に住んだはりました。
そこから祇園へ!
タクシーがあるわけじゃないし、お歩き???
実際は歩くとどのくらいかかるのか?
幹線道路を使うと結構あるけど
裏の間の道を抜けると意外と近いのかも?
いや、実際その頃の道は知らんし
きっと田んぼや畑がチョロチョロあるド田舎!
提灯下げた下男をお供に行ったはったんやろね~
・・・知らんけど・・・
そうや~!
今、山科に住んだはる〇母さんに挑戦お願いしてみようかな~
きっと、きっと、超怒られるやろな~😆
おっ!
今、調べましたキョリ測で・・・一力から山科の街迄
お歩きで1時間前後!
えっ、意外と近いやん・・・歩けるやん!
なんてとりとめもないお話でした😜
おっと、京都の行事で大事なイベントを忘れるところでした😝
そう、地蔵盆の前にまだありました。
「大文字」です。
帰って来たはった精霊をお送りする行事です。
私の「大文字」最大の思い出と言えば・・・。
やはり3階の窓から2階の屋根に降りて高みの見物をしていたことです♪
そんなある時、口をきいたことも無い元同級生の男子が訪ねてきて・・・
もうもう、ビックラコン😅
その話は又今度にして・・・っと!
我が家のそばの二条大橋もご多分に漏れずラッシュ!
橋の上に押すな押すなの観光客が・・・
今年はどうでしょうね~?
もうすぐ行われる送り火が無事執行されることを願います😆
これは京都市の紋章です。
京都市の説明によると
「「京」の字を図案化したものに御所車を配し,
金色と古都を象徴する紫色の2色を用いています。」
らしいです。
なるほどね~、言われてみれば御所車だ!
そして京都市歌!
小学校で何かあるごとに
「君が代」「校歌」「京都市歌」の3セットを歌わされました😁
言葉の音だけで覚えて、意味はさっぱり分かりませんでした😅
君が代なんかは畏れ多いですが全歌詞の意味小学生には分かりません。
「千代に八千代に」 いまなら長い長い年月か~って理解できますが・・・。
「さざれ石」 なんじゃらほい?
大人になったから知っていますが・・・
校歌に至ってはチンプンカンプン!
「ちとせのぶんかあやなせる、みやこにそのないとしるき」
はぁ~、誰か教えてください😅
あっ、たった今見つけました。
お暇のある方は読んでください😁
私、昔から不思議な夢を見るんです
まっ、夢ってそうそう納得できる根拠はないものですが・・・
あっ、有名男優さんの夢は昔からよく見ます。
それはなぜかと言う理由はお話しできますが・・・。
今から、お話しする夢は自分でもなんで?と思っています。
不思議な家の話です。
子供の私が友達と遊んでいます
鬼ごっこかなんかしているようです
2階の部屋から逃げます
小さな戸を開けると、そこには階段があります
階段を足早に降りると廊下です。
廊下を曲がり少し走ると又階段が現れます。
その頃には友達と鬼ごっこをしていることなど忘れています。
階段を上がると小さな部屋があります。
入ると次の間に進めます
その先には大きな庭が出てきます。
もう、こうなってくると自分がどこにいるのか
どこへ行こうとしているのかさっぱり分からなくなっています。
幾つもの階段を上がったり下りたり・・・
部屋の中を突き抜けたり・・・
小部屋の隠し戸をくぐったリ???
元に戻ることもどこかに到達することもできず
ひたすら迷路を走り続けます。
ここで・・・
現実に戻った今の私がやっと夢の現場を分かったような気がしました。
それは二条陣屋にそっくりです。
もちろん現場に行ったことはありませんし
その頃に生きていたわけでもありません。
もし、そんな現場を知っているとしたら・・・
東映の時代劇?
それとも幼い頃の友達の家?
旗屋さんをしていた友達の家は大きくて不思議な階段がいくつかありました。
えっえっ?えええ~?
貴船神社に舞妓はんがお詣り?
あんまり見たことのない風景やな~?
・・・と、思ったら・・・
どうも素人さんの舞妓変身の撮影みたい?
最後の写真、よう見ておくりゃす・・・脚!
舞妓はんがこんな立ち方しはらへんしぃ😒
京都以外のお人は本物やと思うたはるんやろか~?
本物の撮影は、もっと本格的やしぃ~
しかし、写真暗いな~
ちゃんと画像処理せんと・・・😁
柚子屋旅館て知ったはりますか?
わたしはこの時期でも行きたいお店です😋
宿泊せぇへんかてお食事だけでもできますし
なにより可愛い15皿が目もお腹も楽しませてくりゃはります🤩
八坂さんの隣にあって京都人でも遊びたい場所やし・・・
機会があったら行っとうくりゃす♪ (あっ、回しもん違いますえ😁)
因みに大分前に「長門裕之、津川雅彦」さんご兄弟が行ったはりました。
津川さんが「ぜひ、兄貴を招待したい店」と言うことで
「柚子風呂」入ったはったりでテレビに映ったはりました♪
もうすぐ初夏なのかな~?
ん?まだ早い?
って、言うか・・・今日は「立夏」なんだって!
祇園祭の準備だね♪
7月に入ると本格的だけど鉾町の大人は下下下?準備?
私は子供だったから良くは覚えていないけど父親や兄は町内の大人と打ち合わせ!
トップの写真は京都駅向かいの
だけど・・・伊勢丹へ買い物に行った折にはチョクチョク利用・・・
季節のお料理メニューに祇園祭が上がるのはもうすぐ?私は、これにお造りをチョイス♪
母の実家(本家)にちょんまげ帯刀の写真が掲げてある
御所からは南に歩いて10分のところにある
勿論今も現存だ。
私が子供のころには週に2~3回は遊びに行っていた。
生家からは子供でも15分ほどで行けるので一人でも出かけた。
「おじいさんは、侍やったし・・・
おばあさんは御所に上がったはって立派な駕籠に乗って家に帰って来はったんえ」
なんとなく聞き流していたが・・・今大人になって思うには・・・
おじいさんはどこの侍?
二条城勤め?
御所勤め?
それとも???
侍を辞めたのちは染物屋になって、子、孫、代々親族が継いでいる
話しはそれるが・・・
本家の向かいに祖父の弟夫婦が住んでいた
後に、とても悲しい出来事が襲うとは誰しも想像しなかった
この出来事は次回にでも書きますが・・・。