兄の「火の車、国道を走る」事件が大きく新聞に載った数日後・・・
二人の女性が我が家を訪ねてきた。
一人は40歳前くらい、もう一人は20歳前くらい・・・
父を見るなり
「おっちゃん、お久しぶりです」
開口一番、嬉しそうに声を弾ませた
父も一目見るなり
「おお~、〇〇ちゃんやないか!」
私もかすかに覚えがある
そうだ~、〇〇さんだ!
母親らしき彼女は義兄???のお嫁さんだ
義兄と言うのは父親の一番目の奥さんの連れ子だ
父の姉に養子としてもらわれた子だ
私の実兄、実姉とは父親違いの血の繋がった兄だ
私には、この父親も母親も違う兄と、腹違いの実兄と実姉・・・
そして私と同じ父母の子である姉・・・
そしてお妾さんの子、腹違いの弟がいる
義兄のお嫁さんが訪ねてきたのは十数年ぶりだった
新聞記事を見て「あっ!」と思って訪ねてきたと言う
我が家の姓は結構珍しく、その頃は電話帳に数軒しかないほどだったからすぐ分かったらしい
半泣きになりながら父親に訴えるかのように彼女は話し始めた
横に座っている女の子は子供のできない夫婦が養女にもらった子だと言う
その後まもなくして義兄は家を出て行ったと
今も消息不明らしい
養女にもらった女の子は今は美容師をしていること
娘と自分とのふたり暮らしだと言う事
取りあえずはパートをしながら親子でなんとか幸せに暮らしていること
積もる話をした後、夕食を共にして満足そうな顔で帰って行った
義理の兄は元々働くことが嫌いなぐうたらな男性であった
結婚してもきちんとした職に就かずブラブラしていたのを見かねて
父親は自分の会社に引き入れた
一応、いやいやながらも毎日出社してきていたが
いつの間にか全く来なくなった
父親は義兄のお嫁さんと心当たりなど探してみたが見つけることはできなかった
それから数年後に「西成のあいりん地区」で見かけたと言う噂が入ってきた
捜しに行ったが無駄だった
その地区に足を踏み入れる事さえ憚れる情勢だったことも有ってそれきりになってしまった
血のつながった兄姉は元より血のつながりもない私たち妹もなんだか悲しかった
そして、時々義兄は元気で生きているのだろうかと心が沈んだ
あれからもう何十年もなる
父も母も亡くなり腹違いの実兄も亡くなり時は流れていく
義兄もこの世にはもういないだろう
残った私たち女三姉妹は陰口をたたきながらも相変わらず姦しく生きている
父親を語る時まだまだ記事を書けそうな波乱万丈な人生であった
今、私の中にあるそんな父親は大好きである!