タイトルを変更した理由を考えてみると、おそらく「男子」と「女子」を想定した「僕」「私」をなくそうとしたことでしょう。いわゆるLGBTQと呼ばれる性的少数者への配慮や、一人称に女子なら「私」、男子なら「僕」を使うものだと決め付けるのは良くないと考えからでしょう。
子どもは男子は「僕」で女子は「私」を使うけど、大人になれば男女とも「私」を使う(辞書で「僕」を引くと「親しい人や目下の人に対して使う」と説明されていることが多いので、大人の場合「僕」を使うのはくだけた場面に限られる)ものだとイメージしていました。しかし、実際には大人の男性でも(敬語を使う時も)「僕」を使う人は多い。特にテレビに出る芸能人やスポーツ選手にはその傾向が強いようで、ほとんどの人が(目上の人と話す時や改まった会見の場でも)「僕」を使っています。
琉球新報の児童生徒からの投稿欄(旧「僕の主張私の意見」、現「子どもたちの意見」)での一人称の使用状況を見ると、最近の高校では男女とも「私」を使うことを推奨しているのか、高校生からの投稿では男子でも「私」を使っていることが多い。中学生、小学生男子からの投稿では「僕」を使っていることが多いが、男子で「私」を使っているのも時々見かけます(ちなみに、少ない例だと思うが、ジェンダーフリーの観点から小学校や中学校で男子も「私」を使うように指導している事例もあるということを13年程前にインターネットで見たことがあります)。
これを考えると、今の高校生が社会人になったころには「僕」ではなく「私」を使う男性が増えるんじゃないかしら、2030年ごろには「私」を主に使う男性が多いんじゃないかしら、という予感もします。
「僕」という字は「しもべ」とも読むため、「僕」を使うと誰かのしもべになっているような感じがして、男性だけが「僕」を使うとしたら男性が誰かのしもべになることを要求されているようにも感じるので、あまり好きな言葉ではない。そういった点でも、私の願望としては、新聞の投稿欄での高校生男子の一人称の使用状況から予測した通り、「僕」よりも「私」を主に使う男性が多くなる方向に向かってほしいです。2030年までに達成することを目指すSDGsの目標の一つに「ジェンダー平等」もあるので、そうなることを祈りたい。
また、最近新聞で「子どもが意見を言うこと」に関する話題が取り上げられることが多く、日本では子どもが意見を言うとわがままだと思われる風潮があるなどといった課題点も指摘されている。「子どもたちの意見」というタイトルにしたのは、子どもたちが意見を言いやすい社会作りを目指そうというねらいもあるかもしれませんね。
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