どうろくじん の季節ですね。
どうろくじん…
どんど焼き、道祖神、などとも
呼ばれる、小正月に行われる火祭り。
成人の日が、
小正月でなくなってしまったので、
どうろくじん も 早めにやるところが
多いですね。
umeは
長野県の北の山村雪国で育ったので
子どものころの どうろくじん には
昔の名残りがありました。
大人に手伝ってもらいながら
子どもたちが
秋のうちに
柱になる木やカヤを切り出しておき
どうろくじん の前日に
地域をまわって、お正月飾りや豆がら
ワラ、ダルマなどを集めてまわり
雪を踏み固めた田んぼの真ん中に
6メートルを超える円錐形の
どうろくじん を作り上げます。
柱を組んで立て、その周りにカヤなどを
巻き付けていくのは、息を合わせて
やらねばならない結構な大仕事です。
当日の夜は
火付け役の大人と
消し役の子どもの間で激しいバトルが
繰り広げられます。
子どもたちは
ワラでたたいたり、雪をおしつけたり
雪玉を投げつけたりして
火消しをしてまわったり
火付け役の邪魔したり、と
走り回り…。
大概、大人たちは酔っぱらってるので
すばやい子どもたちが優勢(^_^)
わたしが6年生のときは、
子どもたちの結束力がかたくて
火がつかなすぎ
待ってる大人や、見に来た大人たちも
待ちきれなくなって
火付けにまわってしまい
ついに付けられてしまった記憶が
あります。
なつかしいなぁ。
火がついたら
書き初めを燃やし、
ものづくりのもちを焼きました。
書き初めは
高く上がっていくと字が上手になると
いわれ…
おもちは、食べると風邪をひかないと
いわれ…
ものづくり といわれる おもち は
ウチでは作らなかったのですが
姉の幼なじみの家に
わたしまでよんでもらって
いっしょに作らせてもらったのが
お正月の楽しみだったなぁ
そのおウチは、
家の中に小川が通っていて、水車が回り
だんごを作る米の粉をひいたりもしていました。
庭には、大きな だんごの木があって
もちを飾るのに ほどよい枝ぶりの木を
あれこれ言いながら
切り出してもらうのも
楽しみのひとつ(^^)
ずっと、だんごの木とよんでたけど
だんごの木、水木というらしいですね。
色を入れてこねてもらった米の粉を
見よう見まねで
まゆ玉、綿の花、俵、ナス、きゅうり
豆、柿 などに作ります。
ナスのヘタを、糸切りバサミで
ちょんちょんと切り出す工夫が
びっくりで、やらせてもらったり、、
オリジナルに好きなものも作らせてもらったり。
一番年下で不器用なので
みんなに「なにそれ?」といわれること
しばし(⌒-⌒; )
色とりどり、形さまざま な
見るも愉快な おだんご。
蒸して枝に刺すとき、だんごが
大きすぎて枝がしなってしまったりして
もう笑いっとおし。
おもちを蒸してる間には
みんなでそり遊びに出掛けたり
双六したり、トランプしたり
楽しかったなあ。
今思うと
貴重な体験をさせてもらいました。
父の時代には…
どうろくじん を作る前に
さえのかみ の くわぁんじん♪
♪こめ いっしょ に まめ ごんごう
(塞の神の勧進 米一升に豆五合)
と、
唄って各戸をめぐったらしい。
父が覚えているのは集めたところまで。
豆ごはんむすびにして、
配られたりしたらしいですね。
火付けも、各地域対抗で
作ってから本番まで
夜番もして、他地域の人に燃やされないようにしたらしい。
母は、昼のうちに燃やされてしまった
どうろくじんを見たことがあるそう。
その地域はどうしたんでしょうね。
もう一回作ったんでしょうか。
さらに
亡くなった祖母は隣の市の出身でしたが
その祖母の時代には…
祖母から聞いた話では
どうろくじん のあった日の
真夜中過ぎから翌早朝の間に
♪どうろくじんさん、どうろくじんさん
どうろくじん というひとは♪
♪みちの はたに ねてた~♪
あずきのしる かけられて~♪
♪ふぎゃーふぎゃーとないた
と、年男の人たちが唄いながら
どうろくじん の燃えつきた柱を
引いてあるき
初めての男の子が産まれた家のかどに
こっそり置いていったそうな。
時代、地域によって様々ですね。
今は子どもも減り
火を使う行事は大変ですが
なるべく昔の形が残るといいなぁ