お父さんの百箇日法要。
卒哭忌
とも呼ばれ
遺族が泣き悲しむことから
卒業するという意味があるそう。
百箇日法要には行けない。
コロナもあるし、仕事もあるし。
そして、
言わせてもらうと
「泣き悲しむこと」から
全然卒業出来ないんだけど??
どんなに泣いても悲しんでも、
もう絶対に会えないってことは分かってる。
分かってるのだよ。
もう絶対に会えないってこと。
それが分かってるから、
悲しいんだよなー。
でもなぜか、
お父さんがいない気がしないというか、現実のことと思えない。
この期に及んで…
なんだけど(^_^;)