言葉というのは記号だから、文章を書くという事は、単純に考えて、言葉を組み合わせるだけの事なのかもしれない。
そうすると、その組み合わせの塊をひとつ頭に入れておけば、その組み合わせを組み合わせる事で、コラージュのようにまた違う表現ができるようになる。
組み合わせの組み合わせを「枠」や「型」というんだろう。
それは物語になったり、日々の記録になったり、あるテーマの考察になったり、論文や報告書になったりする。
コラージュと言葉が違うのは、組み合わせの内部を一から細やかにアレンジできるところにある。
単語という部品をとりかえて効果を試し、違えば簡単に他の部品を付け替えてみれるところにある。
ここまで書いておきながらなんだが、私はそれを念頭に置いて文章を書いてはいない。
ただ、文章作成の全体的なイメージは、そんな風にも考えられるという一つの例を挙げてみた。
このように文章に対するイメージを別のものに見立てるのが、最近の(あまり用をなさない)お気に入りなのである。
では実際はどうなのか。