クララ紀

せとうち育ちの ゆるいあれこれ
ただいま北関東の田舎に居住中
季節についての記事多め

二つの情景

2016-11-07 06:00:00 | 2016 夏の思い出

 1つ。ある海岸を歩いたこと。

 そこは廃校になった小学校の目の前にある。波音が心を撫でる音量で砕け、大きな空を見渡せる広さだった。

 波打ち際を歩いた。海を右手に歩いた。その浜辺の一区切りのところに青いガラス片を見つけた。海に揉まれて角の削れた、なめらかなガラスだった。透き通って、青緑の、瀬戸内海の色をしたガラス。一人、浜辺でそのガラスを手に取り、よくよく見つめた。

 ベージュ色の砂浜が広がり、遠くに白い校舎とヤシの木が見える。海には本土と島をつなぐフェリーが、何往復かの一回の存在をそこにあらわしていた。土曜の午後、七月の後半。島には観光客がごった返している。ここへ来る道にも洒落たカップルや家族連れを多く見かけた。ここは数々のロケ地で有名な名所だ。なのに嘘のように今、誰もいない。午後の諦めを含んだあっけらかんとした光と風景がそこにある。誰もいない、私だけの浜辺だった。そこで私は打ち上げられたガラスを手にしていた。浜辺には誰もいない。それを誰も知らない。知っているのは私だけだった。

 裸足になって足を波に浸した。潮風の中深呼吸をして、砂に埋まっていく足の、布団のように柔らかい感触を心で受け入れる。波の音を耳に満たす。

 往復で引き返し、海を左手に歩いた。海は金属ような鈍い青色をしていた。きっと、いろいろな表情をするのだろう。場所も然り。


 2つ目。ドライブでの帰り道、黒崎という所にさしかかったときだ。海に面した綺麗な家々が前から後ろへ流れていった。海に両手を広げる出窓のある家もあった。海には小島の影が近いところで点在している。良い風景だ。

 運転中だけれど、思わず真右を向いてしまった光景に出会う。あの瞬間、私は正面の状況を一切みていなかった。危ないことだった。しかし、それで目に焼き付けた光景は素晴らしいものだった。

 堤防に腰掛けた四人の学生のような男女が、顔を見合わせて歓談していた。男の一人はアコースティックギターをかかえていた。若い四人が一つになって音楽を作っていた。明るい空の下で、広がる海の風を受けて。

 喉から手が出るほど羨ましい光景だった。一歩間違えれば憎らしいほどの。その、羨ましいという気持ちが、実際はむくわれなかった私の、せめてその光景を垣間でも見たいという行動の原動力になっている

 

 

ーー

 日記にメモするように書いた、二つの情景です。


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