その原因をじい~~~~~~~~っくり考えて、納得したかんそうのはんせいなのだ。
大会前夜、通天閣の近くで290円の一番搾りを飲んで、串カツを食べたことが敗因ではないのだ。
それまでの日々、そこそこ節制していたし、体重も57kgまで落とし、190kmほど走っていたし、その夜は11時にはベッドに入り、朝5時まで1度も起きずに寝たのだから、睡眠時間もバッチリで体調は良かったのだ。
スタート会場の大阪城公園まで、ランナーで満員の電車に揺られ、ながーいトイレの列に並び、遠くの荷物預かりのトラックまで移動し、さらに遠くのスタート位置について待っていると、オヤジの背中に取り付けた風車の棒が危険かもしれないと、係りの人から云われたのだ。
危険だと判断されたら、ただちに取り外すようにとクギをさされ、トバッチリのように師匠「auちゃんパパ」のかぶっていた「通天閣、じゃなくてスカイツリー」も、長いからと危険視されてしまったのだ。
走る前からケチがついたが、いざスタートするとその判断はあながち誤っていないことがわかったのだ
走ると背中の風車が右に左に揺れ、進路変更するたびに激しく回転する羽が、ギロチンのように付近のランナーに当たりそうだと、「auちゃんパパ」から教えられ、両手で取り付けのハーネスを押さえて、揺れないように走らざるを得なかったのだ
それに、軽量化をはかったがおよそ10kgも重量があるうえ、風の抵抗をものすごくうけることが明らかになったのだ
号砲が鳴ってからおよそ20分ほどで、ようやくスタート地点を通過、前の方に並んだランナーより、この時点で2kmは余計に走り・歩いたことになるのだ。
それでもまだまだ元気で、沿道の声援にこたえ、浴衣の女性ランナーに声をかけたり、師匠と共に順調に走ったのだ。
すると3km辺りで、前方に「橋下府知事(現時点では)」が取り巻きに囲まれて走っているのを発見、近づき声をかけ、握手を交わしたのだ。
しめしめ、知事がオヤジの風車と師匠の「東京タワー、じゃなくてスカイツリー」を認めたのだから、これでもう既成事実ができたのだ
が、知事が認めたとしても、天と状況が更なる試練を我と背中の風車に与えたのだ
千日前から御堂筋に入る6km辺りで、低空でホバリングするヘリの風圧で、風車の6枚の羽のうちの1枚か2枚が吹っ飛んでしまったのだ。
羽が揃っているからこそうまく風車は回り、風は後方に逃げてゆくのに、1枚か2枚欠けた途端に抵抗が増し、ハーネスを押さえる手にもっと力を込めなくてはならなくなったのだ
御堂筋を淀屋橋で右折、天神橋の辺りで「秋野暢子」と握手を交わして追い抜き、TVクルーに囲まれている「たむけん」らしきランナーも見かけ、再び御堂筋に戻り、千日前通りを京セラドームへ向かい、折り返して大正橋の手前で沿道に小僧を発見、後続の「ハマちゃん」やかあちゃん、マグロを頭に乗せた「サバ兄」ともすれ違ったのだ。
しかしこの時点で、風車の羽はさらに取れて、残り3枚になって無残な状態なのだ。
23km付近で師匠がトイレに行くというので、そのすきにハーネスを外して、みすぼらしくなってしまった風車を分解してしまおうと考えたのだ。
道路の端で、固定しているガムテープを剥がそうと格闘するも、ガッチリくっ付いていて剥がれなかったのであきらめたのだ。
そのうえ帽子に取り付けたオンボードカメラのバッテリーが、ここで切れてしまった
そうこうしていると、「ホリちゃん」が追いつき追い越していったのだ。
今回彼が一番、いい走りをみせたのだ。
トイレの順番待ちは長く、オヤジはすっかり身体が冷えてしまい、先に行くと師匠に電話しようとしたところに、彼が戻ってきたのだ。
およそ15分のロスを取り返すべく、ハーネスのベルトをギュッと締め、通天閣を目指し、師匠によるとキロ5分30秒ぐらいで走っていたというから、オヤジの実力ではそれはそうとう調子コキなのだったのだ。
だから、29㎞辺で右腿がビキッときて、32㎞の辺でつってしまいもうどうにも足が上がらなくなって、師匠に先に行ってくろさいといったのだ。
師匠は初フルマラソンの「ホリちゃん」をサポートするべく、「エッフェル塔をなびかせ、じゃなくて、スカイツリー」をそそり立て先に行ったのだ。
もうここまで来たら、走ろうが歩こうが完走は間違いないのだが、天草マラソンの4時間24分は諦るしかなく、4時間内にゴールすることも怪しくなってきたのだ。
どこで取れたか知らないが、風車の羽はもうたった2枚しかなく、逆にクルクルと勢い良く回っているので、痛む足をひきづりながら前へ前へと立ち止まらずに進んだのだ。
面白いことに、沿道の声援が通天閣の近くから大国町や花園、住之江の辺りになると、それまでとは違ってベタベタの濃い関西弁になってきたことが疲れた身にもわかるのだ。
ええやんか、ええやんか、走らなあかんでオッちゃん、なのだ。
沿道のエイドに、コロッケやらいなり寿司やら、饅頭やどら焼きなどもあったが、ひたすら水だけを欲し、歩いたり走ったりして、それでも一度も立ち止まらず先へ先へと進んだのだ。
もはや4時間どころではなく、5時間に突入しても仕方ないぐらいのペースで、かっこ悪く風車は進むのだ。
やがて最後の難関の南港大橋があらわれ、歯を食いしばり腕を勢いよく振って上りつめ、下りの勢いで走ったのだ。
ゴールのインデックス大阪に近づいてくると、沿道の応援がグッと増えてきて、不様に歩いている場合じゃないと己にムチ打ち、最後の2㎞を全力で走ってゴールしたのだ。
結果は、号砲がなってからのスプリットタイムが5時間14分50秒、スタートラインを通過してからのネットタイムで4時間58分49秒、順位は15474位、完走者が26175人だから、オヤジの後ろにまだ1万人もの人がいたのだ。
チームモグランポの着順は、1,2着が「ホリちゃん」と師匠「auちゃんパパ」で、スプリットタイムが5時間2分58秒、3着がオヤジ、4着が「ハマちゃん」の5時間36分38秒、5着がなんとかあちゃんで、6時間25分20秒、そしてお約束のどん尻「サバ兄」が6時間34分39秒だったのだ。
自分のペースや力量を考えずに42.195㎞を走ることが、どんな結果になるかということをイヤというほど知った大会だったのだ。
天草の時より50分も遅かったのに、両脚の筋肉痛が半端じゃなく、大会から4日経ってもまだ治らなかったが、こういう時ほどゆっくりでもいいから走れという師匠「auちゃんパパ」の教えを実行して、土手を7㎞ほど走ったのだ。
走ったら、走れてしまったのだ。
来週から2週間は、もうほんとマジなはなし、かつてないほどキビシク鍛え直すのだ。
最初で最後の「ふじのくに新東名マラソン」のナンバーカードが送付されてきたのだ。
3度目の正直で、4時間切りを目指すのだ。
オフザケはなし、
なのだ!!
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