かつて「山城新伍」が宣った名言
「狂気を演じられるのは理性だけ」
これを理解できる者のみ「ジャック・ケッチャム」の小説を傑作と断じられよう。
真のホラー長編小説も鬼気迫る劇場映画も、理性なくして創造できる筈はないのだ。
かのホラーの帝王「スティーブン・キング」より1歳年上で、「ディーン・クーンツ」よりも1歳年下の「ジャック・ケッチャム」は、大学を卒業後に英語の教師、セールスマン、パートタイマーの俳優、出版エージエントなどの経歴を持ち、前2人の巨匠と同じように50年代のアメリカン・ポップカルチャーにどっぷりつかった少年時代を過ごしたせいか、どこか郷愁に満ちたアメリカの田舎の情景描写や目線が似ていると感じる。
とても清々しく、みずみずしい自然・人物は、あるところからどうしようもない腐臭と腐肉の充満する血まみれの世界に変貌する。
人は善でも悪でもなく灰色で、あるきっかけ・運命 ? 自らの心の闇 ? 諦め ? で、落ちていき ? 解放され ? 残虐になり、他者を責め ? 貶め ? 辱しめ ? 傷つけ ? 冒涜し ? 情慾し ? 死に至らしめる。
何も悪いことはしていないのに・・・
真面目でいい人なのに・・・
そんな人があっけなく、あるいは無惨に、命を落とし、死をもたらした者が生き延び、富を得たりと、とかく世の中は不公平で不条理な事件・事故・災いが蔓延している。
理由なんてないのだ、理屈ではないのだ、税金と死はどこまでも付きまとうのだ。
正義は、愛は、勝つ !! なんてファンタジーで逃げているマヌケが極悪非道を行うことになる世の中で、理性を保つことは容易ならざることだと「ジャック・ケッチャム」の登場人物は体現する。
理性的でない気の弱い人は、ファンタジーを夢見る人は、絶対に「ジャック・ケッチャム」を読んではいけないと断言する。
「オフシーズン」は1981年に発表された「ジャック・ケッチャム」の長編第1作。
そのあまりの過激さ残虐さゆえに、出版社から削除・訂正を強いられ刊行されたが、それでも「良心的な」読者や批評家からの非難にビビった出版社が即品切れにしてしまい、長らく入手困難だった幻の「カンニバル・ホラー」の傑作が、削除・訂正される前のオリジナル原稿に近い形で刊行されたのがこの日本語版だ。
オリジナル版を読んでいた「スティーブン・キング」が「オフシーズン」を復活させるために骨を折ったことに謝辞を述べる文章が冒頭にあるが、この小説を気分の悪くなる愚劣なポルノまがいの鬼畜小説と安く見る人は、やはり理性的ではない。
だが、「ジョージ・A・ロメロ」の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」や「松村克弥」の「オールナイトロング」を理性的に楽しめる人は、ぜひこの小説を読んだほうがいい、まちがいなく傑作だ。
その後の粗製乱造のゾンビものでキャーキャーいってるミーハーは、反省の意味をこめて本書と上記2本も観るがよい。
ただし、「オールナイトロング」シリーズ1、2、3は未だにDVD化されていない。
邪推すると「ゆず」の「北川悠仁」が3で変態鬼畜な若者を演じている黒歴史? を隠したいためともとれるが、日本の大人の事情ってのも相変わらず理性的でないし、「ゆず」ファンのミーハーは観たら卒倒するかもしれんので注意。
そんなこんなで理性的に物事が見れるようになれば、「隣の家の少女」も読むのだ。
こちらもやるせなく、救いのない、見事な鬼畜ぶりのアメリカ人が描かれている。
娘を持つ親は読むのに辛いかもしれない。
「隣の家の少女」は映画化されDVDにもなっているが、やはり小説とはインパクトが違う。
DVDで堪えられなかったら小説は読むべからず。
「ジャック・ケッチャム」恐るべし、こうなったら「オフシーズン」の続編「襲撃者の夜( Offspring)」も読まにゃ気がすまん目真っ赤ちんなのである。
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