昨日は保険の手続き書類を書き ( 入院することになった病名は鬱血性腎不全とのこと )、今後のスケジュールを担当医から聞き、最後のレントゲンを撮り、何だか忙しく暮れた。
15階の窓から見る景色もこれで最後。
気持ちは暗澹としたものがあったが、今まで入院した病院で一番快適で清潔でナースの対応も笑顔も良かったのが救いだった。
最後の晩餐にでたポーク・ソテーは赤ちゃんの拳よりも目薬の容器よりも小さく味もなくため息がでたが、それも仕方がないし
今後自宅でも蛋白質の量は1日40gを守って工夫していかなきゃ地獄へまっしぐらだ。
改造手術が行われるまでは身体障害者認定はされないので、今のところ無傷で穴も空いてないが、点滴で腫れて鬱血した両腕はクリームを塗ってだいぶ目立たなくなったものの、夏だったらジャンキーと勘違いされて巡査に職質されてもおかしくない。
最後の夜くらいは一度も起きずに朝までぐっすり寝たかったが、午前3時のナースの巡回でパッチリ目が覚めてしまいそれから眠れず、radikoで「走れ歌謡曲」なんぞ聞きながら夜明けには窓辺でストレッチ。
体重は見事に52.4㎏で史上最低、なのに退院日だというのに血圧は上170でした102と上がっちまった!(◎_◎;)
もう一度測り直して上下とも10低くなったが、退院だからまっいっかってことでナースもウインク。
毎朝ワンパターンのモソモソの低蛋白パンを頑張って頬張り、伸びたヒゲを整え歯を磨いて着替え、荷物をまとめさっさと病室を後にして談話室で退院の時間を待った。
自宅でのむ薬をもらい説明をナースから聞くと、ロボコップを思い出してしまうチョー不味いゼリーはなくなり、毎食直後にのむ「沈降炭酸カルシウム錠」と朝食後にのむ薬だけとなりかなりラク。
10時少し前にかあちゃんが来て手荷物を分散し、担当医から女子医大の紹介状をもらい、入院中腕につけていたバーコードのついたリストバンドを切ってもらって退院準備完了。
ナースに見送られエレベーターで1階に下り、いざお会計💰
晴れて⁉ ご退院😀
シャバの空気はさしてうまいもんじゃないが、つかの間の自由に駅までルンルン。
昭和通りを渡りヨドバシアキバの周りを歩いて、日比谷線で北千住へ戻った。
シャバに出てまずなにが飲みたかったというと、ウイスキー💕・・・じゃなくて、ちゃんとしたマグカップに入ったフーフーして飲む熱いコーヒー。
駅前でそれをちょこと飲み、病院を紹介してもらった医院に退院の挨拶に行き、そして家路にゆっくりと歩いて帰った。
病院にいるときは暖かで風を感じなかったが、シャバはちょっと肌寒く、町には色々な匂いが漂いホコリっぽく、鼻がグスグスしてくしゃみが立て続けにでた。
食べ物の美味そうな匂いを嗅いでも、今はまだぜんぜん誘惑されないがそのうちジワジワくるだろう。
だがとにかく何があっても、半年は耐えて忍ばねばならぬ💪
我が家の前で立ち止まり見上げ、ガンをつけてきた野良猫にガンを返し、17日ぶりの我が家に入りため息をついた。
ホッとする間も無く昼がきて、茹でこぼした野菜の酢の物や出汁煮などでごはん茶碗に1/3くらい軽くよそった普通の白米を、丁寧に美味しく食べた。
薬をのみ血圧を測り何やかや片付け、郵便局へ保険の手続きに行き、5年前に買いあさり読みあさった腎臓病関係・循環器関係・食品成分表などなどの本を書棚から引っ張り出していま必要なものを振り分け、とりあえず斜め読みしたらもう夕方だ。
う~ん、夜はカレーにしよう🥄
何でもかあちゃん任せじゃ大変だけど、親子3人分の材料を茹でたらほんの少しを取り分けて、オヤジのだけごく薄味に自分で仕上げればいいのだ。
いちいち軽量しなくたって三食じゃなく一日二食で考えて、蛋白・塩分・カリウム・リンを加減すればそれほど面倒でもなくいろいろ食べられると、5年前に考えていたのだ。
その戒めが時間が経つうちに薄れ、忘れ、ときどき調子こいてしまった結果が今日に至ったというお粗末・・・。
今回こそは悔い改め、命をかけて守らねばならない。
いやホント、大げさでなく、死んじゃうかどうかって瀬戸際なら、誰でもやるでしょ・・・、やらないかね❓
というわけで、我が家へ戻った最初の夕食はごくごく薄~い味のカレーでございます。
普通に大口開けて食べりゃほんの4口のカレーを、ゆっくり大事に食べた。
明日は女子医大を受診して、今後の予定がある程度立てられれば良いのだが・・・。
今週はまだ店を開けられない、材料もみんな処分してしまったし、一から仕入れ仕込み、体調とペースをつかまないことにはとてもできないだろう。
どうなることやらΣ(・□・;)
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