セロリにピーナッツバター❓❓
何を隠そうこのオヤジは、ピーナッツバターがわりと好き。
数年に一度くらい無性に食べたくなって買ってきて、トーストに塗って食べるものの、全部は使い切れずにダメにしてしまうパターンだった。
そうか、セロリにピーナッツバターか!(◎_◎;) さっそくやってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/3b/8d016bd3bb7163296697fcdd930def05.jpg)
ん😒セロリのクセが緩和され、なかなかうまいぞ👍
買ってきたピーナッツバターは荒く練られてツブツブが残っているもので、それがセロリの食感と相まってパリポリといい感じだ。
これは癖になるかもしれない・・・。
と、そんな話しを昨夜、月曜日の男こと「オジゾウ」くんに話したのだが、はて❓セロリっちゅうヤツはどこが原産で季節はいつなのか❓
う~ん、「オジゾウ」くんとかあちゃんと共に首をひねった。
そんなこと今まで考えたことがなかったのだ。
すると「オジゾウ」くんがGoogleせんせいにすがってわかったことは、セロリは別名「オランダミツバ、清正人参(きよまさにんじん)、セルリー、セレリィ、塘蒿」とも呼ばれていて、原産は「ヨーロッパ・中近東の広い地域にわたる冷涼な高地の湿原」だそうで、「加藤清正が文禄・慶長の役の際に日本に持ち帰ったという説」もあるとのこと。
しかしあの香りの強さは当時の日本人には受け入れ難かったのだろう、普及しだしたのは戦後で、昭和の良い子がセロリをはじめてかじったのは二十歳を過ぎてからだ。
むかし薄っぺたい居酒屋で、メニューに「セルリー」とあったのを覚えている。
まあそんな話しをしながら、大分一芋くさいと売り文句の「常蔵」を「オジゾウ」くんは空にしてしまった。
ごめんね、愛媛の「ヤマちゃん」🙇 次回の焼酎をお楽しみに。
「オジゾウ」くんがいつものようにヘロヘロになってお帰りになったあと、なぜかかあちゃんと霞が関ビルの話しになった。
かあちゃんは修学旅行で東京に来て、霞が関ビルに行ったということだが、オヤジは昭和48年(1968年)に霞が関ビルが竣工してまもなく、親戚のおじさんに連れられて見学の列に並んだことがあった。
戦後のこの国には「百尺規制」という高さ制限があって、地上31メートルまでの建物しか建築できなかったのだが、時は
高度経済成長期、都市計画法が改正されて高さ147メートル36階の今でも堂々の超高層ビルができて、昭和の良い子はぶっ飛んだのだった。
だいたい昭和の良い子はでっかいものが好きだ。
東京タワーしかり、大鵬しかり、ジャイアント馬場しかり、ゴジラしかり、そして霞が関ビル。
その「東洋の摩天楼」36階のビルの上にペントハウスがあって、そこに女にモテモテで腕っ節も強い小説家でありながら趣味で探偵までやっているという男が住んでいて、難事件を快刀乱麻で解決してしまう「36階の男」というテレビドラマがあった。
「マツダ・コスモスポーツ」をカッチョ良く乗りこなす主人公役を誰がやっていたか❓、話しをしている途中なのに思い出せないということがよくある今日この頃・・・。
はて❓ ニューロンが繋がらない😮アルツの里が呼んでいる😨このままではボケ老人になってしまう・・・どうしても自力で思い出せねばならない。
さ・・・あ・・・し・・・💡し、シゲル❓
自宅へ帰るまでに思い出そうとあーでもない、こーでもないと、つぶやきながら歩く姿は徘徊老人・・・。
あーダメだ、一杯飲めば思い出すかもしれないとジャックダニエルをキュキュッとやると、💡 あ、「中川信夫」監督の「東海道四谷怪談」で「民谷伊右衛門」をやったひと、あ、シゲル・・あ、「天知茂」さんだ‼️
ニヒルといえばこのひと「天知茂」の右に出るものがなく、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d2/59cb51fd23be1d50eaeb95bffa5711af.jpg)
そうか、やっぱりねと、安心してググってみると、
!(◎_◎;)
ぜんぜん間違ってるやんか~!!!
1968年(昭和43年)日テレの日曜夜に放映された「37階の男」の主演は「中丸忠雄」さんじゃないか‼️
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/48/da57ca2fc25c343f6224c889a7a70404.jpg)
どうして間違えちまったのか、ニューロンが混線状態だ。
「中丸忠雄」さんといえば「ゴジラの逆襲」や「地球防衛軍」や「電送人間」など、東宝特撮でもおなじみの俳優さんだったのに、なぜこんがらっちまったのか😨
「中丸忠雄」さんお許しくださいとお詫び申し上げようにも、2009年4月23日残念ながら惜しまれつつ76歳でご逝去されていた。
そして「天知茂」さんも1985年(昭和60年)に54歳の若さでお亡くなりになっていた。
あんなニヒルな顔の役者さんはもう出てこないのではないか。
お二人の名優にご冥福を捧げつつ、生半可な知識と記憶を深く反省いたします🙇