プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

< 舞台 テンペスト>(テレビ視聴)

2012年01月23日 | その他映像関連。
池上永一原作の(つまりシェイクスピアではなく)「テンペスト」の舞台を、
以前に録画していたものを今日見た。なんだかややこしいですね。
「テンペスト」は小説があって、この舞台があって、NHKが10回のドラマでやって、
そして今度は映画になるからなあ。


堤幸彦演出。
……それがわたしにとってプラスに働くのかどうかよくわからないが、
3時間の録画を見て、

舞台としては大変面白かった。飽きずに見られたし、役者も良かった。
しかし「テンペスト」の舞台化としては微妙にいまいち……

という感想。こういう場合、何と言えばいいんでしょうね?


まああの原作を舞台に上げるってことからして、大変な挑戦だというか、
無理だから止めとけというか……無謀ですよ。
それが予想よりもまとまっていただけでもスゴイことなのかもしれない。
NHKのドラマが原作路線をかなり忠実に作っていたのに対して、
舞台はかなりいじっていた。いじらなければ不可能ですが。
基本、文字作品と映像作品は別物になることはしょうがないし、
変更の大部分も納得出来るものではあったのだけど……

ただ、終盤部がね。
もう収束がつかなくなって、力技でゴールになだれ込んだというのがアリアリ。
うーん。やっぱりラストが決まらないと良作とは言いかねる。
原作でもイロイロ無理を重ねてるので、舞台を責めるのも気の毒だが。

喜舎場朝薫がなあ……。
あれは全く別物になりましたね。イイ役ではなくなって、お笑い担当。
ただ単に戦友という立場になったことはそれはそれでいいが、
だったらあそこであんな風に死なれると納得出来ない。
そこが一番ひっかかるかな。

次にひっかかるのは、ラストシーンの「この花がまた咲く時まで待っています」
は?って感じだった。浅倉雅博がさんざん待ったことに対して今度は自分が待つ番だというのは
わかるが、……どんだけおあずけ。1年後かい。不自然すぎる。
ここは白けたなー。

浅倉雅博がそこまで琉球に肩入れする心情も十分に描けていた気はしないがどうだろう。
「たった一人の友との約束も守れなかった」と連呼するから飽きる。
オマエは他に友達がいないんかい!と言いたくなるし。

他にもうっすらとした不満が随所に。これはもう仕方ないだろうとは思うんだけどね。


だが、ドラマと比べて良かった点も多々あった。

わたしは孫嗣勇の使い方が、舞台の方が格段に良かったと思った。
ああいう立ち位置なら存在が活きて来る。舞台では朝薫に代わって、イイ役になりましたな。
オカマとして笑いを取りつつ、実は野心を秘めている。
最後、死ぬところは引っ張り過ぎですが、他は良い。
福士誠治は好きなので、そのオカマ演技に対しても、なかなか。と言いたい。

それから、生瀬勝久。そうですか、聞得大君に持ってきますか……。
これはキャスティングがすごいなー。オテガラですね。
下手に女っぽくしようとしてないところも奏功なんだろうな。
それにしても立ち回りで普通に強すぎて、おい(~_~;)と思ったが、まあね。
スクリーンで顔をアップにするという手法も面白かった。ここも生瀬が活きたね。

西岡徳馬が便利に使われてたなー。
お父さんと尚育王と徐丁垓とペリー?この4役を兼ねる必然性って何(~_~;)、と言いたくなるほどだ。
みんな西岡徳馬なんだけど、それでも演じ分けが出来ていたせいで、
4役が全く違和感がなかったんだからエライ。
ただ徐丁垓はGACKTがあれだけハマってしまったので……

山本耕史は好きな役者。でもそんなにちゃんと見たことがないのがイタイ。
「陽炎の辻」、最初から見ておけばよかったなあ。
ドラマの谷原章介とは全く違う人物造型で、おっと、と思ったが、
薩摩武士だから、本来これくらい豪快でもいいと思うんだよねー。
とにかく谷原章介は優男過ぎた。いや、薩摩にも優男はいただろうが。
それから、琉歌?がアカペラでちゃんと歌になっていたことに感心した。
わりと難しいと思います。
ただ、最初豪快に始まったわりには、最後は単なる紳士になって終わってしまって、それもちょっとね。
まあ悲恋部分のシーンは、けっこうきましたけど。


主演の仲間由紀恵。
いいとも悪いとも……。とにかく「女は化粧で別人だなあ」と思っていた。
舞台化粧のせいか、普段の仲間さんに見えなかった。
蒼井優と若村真由美を足して2で割ったような人に見えていた。
琉球舞踊は良かったね。美しかった。

あの話で早変りを全く売りにしない演出は意外。一応1ヶ所はあるのか。
本当は演出側は、もっと観客に笑って欲しかったと思うんだけどなあ。
基本、コメディだったと思うんだけど。あんまりお客さんは笑ってなかったよね。
でもテレビ放映の時に笑声をカットしたりしたのか?


だらだらな感想になりましたが。

映画はなー。
ごめん、池上永一。多分見に行かないと思う。3D料金を払ってまで見たい気がしない。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突然ですが。

2011年11月04日 | その他映像関連。
いい曲だと思う。 アンテナ「さよならの代わり」Musicvideo
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

< メンフィス >(舞台・テレビ視聴)

2011年09月06日 | その他映像関連。
ミュージカルにはストーリーメインのものと、音楽メインのものがある。
ミュージカルとは、と考えれば音楽主体であるべきかなとも思うが、
わたしとしてはどちらかというとストーリーメインのものの方が好き。
ストーリーがしっかりしていて、そこに名曲がついているものが最強。
「サウンド・オブ・ミュージック」とか。「ジーザス・クライスト・スーパースター」とか。

……と書いてからwikiを見たら、ちゃんとジャンルに名前がついているんですね。
ストーリーメインのもの=ブックミュージカル
代表作→「マイ・フェア・レディ」「屋根の上のヴァイオリン弾き」「サウンド・オブ・ミュージック」
音楽主体のもの=ブックレスミュージカル
代表作→「CATS」「コーラスライン」
そして台詞部分も音楽で、ということになるとポップオペラというジャンルになり、
代表作→「ジーザス・クライスト・スーパースター」「オペラ座の怪人」
となるそうだ。


「メンフィス」は最初、典型的なブックレス・ミュージカルだと思ったが。
後半に行くに従って話が濃くなっていく。それでもやはりあくまで音楽がメインだろうね。
わたしはR&BのRって何だっけ、というほど音楽には疎いので
こういう“音楽の素晴らしさ”というテーマを前面に出されると、若干距離を感じるのだが、
でもわりと集中して見られました。……主役のダルダルさにも関わらず。

メンフィス。まだ人種差別真っただ中で、
白人の水飲み場で黒人が水を飲むと私刑に遭うような時代。
黒人街の地下酒場ではパンチのあるR&Bが歌われているのに、
ラジオ番組の主流は、お上品で健康的な○○(詳しくないので音楽のジャンルがわからない……
ま、古き良きアメリカっぽい音楽を想像して下さい)を流している時代。

地下酒場に場違いな白人が紛れ込む。
聞こえてきた音楽に惹かれて、危険を承知で入って来たと。
一触即発の状態だったが、音楽という共通言語を持つ者同士、次第に打ち解けていく。
白人の男はヒューイ。まるで酔っ払いのようなグダグダしたダメ男で、
酒場で歌っていた黒人歌手のフェリシアとその音楽に惚れる。
彼はひょんなことからラジオDJになり、フェリシアの歌――まだ市民権を得ていなかった
黒人音楽を世に出していく。

ヒューイとフェリシアは愛し合っているが、ヒューイが人気DJになるに従い、
黒人と付き合っていることへの風当たりは強くなる。襲撃され、大怪我をするフェリシア。
ヒューイはラジオからメンフィスのテレビ番組の司会となり、アメリカン・サクセスを手に入れる。
その一方、フェリシアに大手レコード会社からのオファーが。
ニューヨークへ来れば売りだしてやると言われる。
「テネシー州法では黒人と白人は結婚出来ないけれど、北部へ行けば」とフェリシアは言う。
一緒にニューヨークへ。ヒューイにもオファー……というほどじゃないが、
ニューヨークで使ってみてやろうというプロデューサーも現れた。
一度はニューヨーク行きを承知するヒューイ。
――しかし彼は“我が街”から離れることは出来なかった。

フェリシアはニューヨークへ。ヒューイはメンフィスへ残る。
数年後、昔の人気は衰え、今は小さなラジオ局のDJを細々とやっているヒューイの元へ
フェリシアが訪ねて来る。人気歌手になった彼女は、コンサートのためにメンフィスを訪れたのだ。
今夜のコンサートへ来て欲しい、というフェリシア。ヒューイは謝絶する。
去るフェリシア。そして幕。

――という話になるはずなんだけど、結局最後は舞台そのものをコンサートの舞台に見立てて、
ヒューイも現れて歌い踊る。
いやー、それは無理。いくらデビューのきっかけを作ってくれた恩人だからといって、
舞台に上げるか、普通。……と言いたいところだが、まあミュージカルのラストシーンとしては、
そうしないと収束しない。ので、仕方がない。




ヒューイがメンフィスから出て行けなかったのは、メンフィスへの愛というよりは
臆病さのように見えてしまった。落ちぶれたわけだから、そういうことでいいんだろう。
アメリカはアメリカン・ドリームの国だから、ほいほいニューヨークへ行って
ハッピーエンドかなと思ったのだが。

2人の別離からエンディングまでが短いので、ちょっとお手軽感が漂う。
ストーリー上のクリシェ。ならハッピーエンドの方が良かったかもね。
そうすれば最後の舞台が「ドリームズ・カム・トゥルーだぜ!YEAH!」みたいな
大変能天気なノリで派手にスカッと終わらせられたのに。



※※※※※※※※※※※※


1950年代が舞台なんだって。
とても戦後の話とは思えない。その頃まで「黒人と白人は結婚出来ない」という州法があったのか。
まあアメリカは時々、禁酒法のように、ヒステリックとしか言いようがない
極端なことをするけどねえ。

人種差別とは現代のアメリカにおいても、やはり厳然としてある問題なのかなあ。
現状を知らないわたしは、このミュージカルの冒頭シーンを見て、
「この期に及んでむし返さなくても……。それともこういうミュージカルを
作ることが出来るほど、人種問題は安定したのか?」と思った。
こういうことは、ついつい歴史上の、すでに過ぎ去ったことだと思ってしまう――
思いたいと思ってしまう。

素直なエンターテインメントとして見られるのならば、それにこしたことはないんだけどね。
制作者の意識は、観客の意識はどうなんだろう。
そういう余計なことが考えなければならないので、基本的に人種問題とか戦争がテーマの
ミュージカルはキライ。「ミス・サイゴン」も見ていない。
なんも難しいことを考えたくないからミュージカルが好きなんだっちゅうねん。

いや、この作品は楽しめましたけどね。



Memphis: A New Musical
Memphis: A New Musical
posted with amazlet at 11.08.17
Memphis: a New Musical Rhino / Wea (2010-03-30)売り上げランキング: 24923







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

< ヴィクター/ヴィクトリア ミュージカル >(テレビ視聴)

2011年07月03日 | その他映像関連。
NHKで再放送?していたものを録画して、それを1年近く経ってから見た。


面白かった!!


テレビで見てここまで面白いなら、舞台で見たらどれだけ面白かっただろう。
映像的にはおそらく1995年かと思われる。
ジュリー・アンドリュースが見事でねえ。(多分当時60歳くらいで)体はがんがん動くし、
まだ手術前で声も美しく、脚のラインもピシッとしてて。
私は彼女が好きなので、溜息をついて見ていた。


キャストもストーリーもセットも言うことなし!


オペラにおいてはさらに顕著だが、舞台ってどうしてもビジュアルが若干犠牲にされがち。
それは、生で演じられる能力がある人間の数に限りがあるってことを表してますが。
でも舞台は実は、観客はけっこう遠くで見ているから、それなりに誤魔化すことは可能。

しかし舞台中継をテレビで放映すると、この辺の弊害が目立つ。
舞台の距離感では誤魔化せても、テレビはそれを至近距離で映すわけだからビジュアル丸映りでしょ。
そしてこの話では、キングがかっこよくないと全く話が成立しないのだ!
一目惚れの説得力を出さないとね。――そしてこのミュージカルでは、
キングのキャスティングに成功している。かっこいいもの。

トディーも良かった。品があったのが成功。そして用心棒も良かった。
男三人のキャスティング、三者三様でなかなか魅力的でしたよ。
ノーマは……ああいうイライラさせるキャラで、実際見ててイライラしたんだから成功でしょう。

ストーリーは、女性が女装の男性としてパフォーマーになる、というその基本設定がおテガラで、
あとはミュージカル向けに丁度いい感じのユルさ。
そして、ホテルのセット、あれが良かったなー。
1階と2階に部屋があるスイート。しかも隣室とドアで通じる。(これは普通ないやろ)
その構造を上手く使ったワンシーンもあって、コミカルな一場になっていた。

曲としては……この一曲が魅力的、とまで言えるものはなかったと思う。
みんな良かったけどね。でもスタンダードとして残るというほどではない。
名ミュージカルに名曲あり。ということは、名ミュージカルとまでは言えんかな。


生の舞台をずっと見てないなあ。
一応丁度1年前のシルク・ドゥ・ソレイユのコルテオ……他に、オペラや雑技団は見たけど、
ミュージカルを見てない。多分4、5年前の「メアリー・ポピンズ」が最後だ。
時々劇団四季も来るんだけどなー。行こうかどうしようか、迷っているうちに終わってしまう。
まー、たまには見てもいいかもしれないよねー。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

< 椿姫 >(舞台視聴)

2010年12月03日 | その他映像関連。
せっかくだからフェニーチェ劇場、とも思ったが、(わかりにくい)ホームページを
見た限りにおいては食指が動く演目ではなかった。
その代わり、ひょんなことから「椿姫」。場所はスクオーラ・グランデ・ディ・サン・テオドーロ、
ちょっと内装の豪華な市民会館といった雰囲気。

チケットの値段が安かったから、どういったものを見せられるものか、
実際に行くまで予想が出来なかった。
行ってみると劇場ではなく、広間に小さな舞台を作って観客の椅子を並べた実にささやかな会場。
それでも人はずいぶん入っており、さほど不安感はない。
ま、ハコ自体は小さいし、だいたいが観光客だろうが。
ヴェネツィアに来て、オペラでも……という俗心がある人が多いということだね。


主役の人は、最初はどこのおばさんが出て来たのか、と思ったがだんだん惹きこまれた。
オペラの声を好きになるのは、少なくてもわたしには若干難しいのだが、聞きごたえのある声だった。
ジェルモンとのシーンは泣いてしまったよ。

実はワタシ、なぜか妙に「椿姫」にはヨワくて……
小説でも映画でも号泣。前世はアルフレードだったのかもしれない。

だがその肝心のアルフレードが……。体型がおっさんすぎ……。
ずんぐりむっくりの頭デカ、ころっとして手足が短い。ついでにひげもじゃ。40代くらいだろう。
雰囲気は、アメリカの田舎の雑貨屋主人かガソリンスタンド店主。人柄は良さそう。
外見で判断してはいけない、という鉄則もあるのかもしれないが、
役柄が何しろ、若い純朴なおぼっちゃんのアルフレードですからねえ。ツライ。

しかも外見の違和感を解消できる演技力がなく、大変大根に見えた。
ヴィオレッタまでが引きずられて、彼とからむとやはりただのおばさんに見えてしまう。
アルフレード、声は別に悪くはなかったと思うのだが、正直うへーという感じでした。

ジェルモンが良かったなあ。彼も外見的には若干そぐわないんだけどね。
ジェルモンは本来、絵に描いたような郷士であろうし、育ちの良さと良識を備えるべき人として
表されている。今回の歌い手は大変目つきが悪く、一見、悪の組織の参謀のような……
でも演技力があったのだろう、ジェルモンという役そのものもけっこう難しい立ち位置だが、
ちゃんとこなしていた。

ヴィオレッタに多少は憐れを覚えつつも娘をダシにして息子との絶縁を迫る、というのは
ヴィオレッタに口先だけの慰めを与えているだけでは実にイヤな奴になってしまうし、
かといってあまりヴィオレッタに同情を表しすぎると行動との矛盾が気になってしまう。難しい。
オペラは何かと共感しにくい演技形態ではあるけれど、共感出来ないよりは
共感出来た方が成功するだろうから、このジェルモンの演技力は大事ですよね。

そしてアルフレードの難しい部分、ヴィオレッタに札束を投げつけるところ――は、
当然アルフレードの演技力が全く足りずに白々しいのでありました。
まあここは……しょうがないかな。誰がやっても難しいんだから。


ヴィオレッタ以外の女役(フローラと小間使いのアンニーナ)をやっていた人が美人だった。
イメージではこの人の方がヴィオレッタに近いのだが。ただメゾらしいので役柄的に無理なのか。
ちなみにヴィオレッタ役の人は映画の「ココ・アヴァン・シャネル」の
エマニュエル・ドゥヴォスという人に雰囲気がとても似ていた。本人じゃないかと思うくらいだ。
アンニーナ役の人が誰に似ているかというと、アングルの「泉」の女。
いや、もっと妖艶さがあるか。さらに似ているものがあったはずだな。なんだろう。
むしろ「グランド・オダリスク」の方に近いか?


外見についてのみ語っていますが、声とかはよくわからん。
しかし期待していたよりしっかりオペラだったので、満足でした。


あ!そうそう、こんな小さな会場のくせに、ちゃんと生演奏だったんですよ。
……だが、演奏の方はなんというかちょっと……もう少しがんばりましょう、ですね。
全部で何人かなあ。20人内外だろうか。
20人内外で「椿姫」を演奏するのもタイヘンだよなあ。一人しかいない楽器が多く、
フルートの一人っていうのはかわいそうだった。
クラリネットか何かだったかな、それは3人くらいいたんだけど、そのうちの一人が
時々音を外していた。ぴぃ、とか言って。「おい!」と内心で突っ込む。


みんな地元の演奏者であり歌手なんだろう。
いいよね、観光客相手とはいえ、地元に活躍の場があるっていうのは。
久々に生演奏を楽しめたし、値段も割安だし、大変満足だった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

< コルテオ シルク・ド・ソレイユ >

2010年05月31日 | その他映像関連。

流行りにのせられて?「コルテオ」見てきました。

「お金があるなら行った方がいい」という妙に説得力のある知り合いの言葉に後押しされて。
オカネないけど(-_-;)、行ってみた。行って良かった。
だがパフォーマンスをずらずらと説明するのはやめよう。
会場に一歩入った途端に連れて行かれる世界を、その時に体験する方が正しい。
ロンドンで見た「キャッツ」を思い出した。同じ360度の円形舞台のせいかもしれない。

没頭した。
もちろん最初から最後までずっと我を忘れていたわけではないけど、
目を瞠り、口を開けて、身動きも出来ずに舞台上を見ていた瞬間は確かにあった。
非常に質の良い映画を見た時と同じく、自分が消え、目だけになる。

最初の「シャンデリア」という演目で心を鷲づかまれ。
美しかった……。泣けた。
あ、でも最初という意味なら個人的には、――馬だな。ふと気づけばすぐ横にいてびっくり。
最も印象に残ったパフォーマンスであれば、「ヘリウム・ダンス」だ。


世の中のパフォーマンスには、面白いものも美しいものも、凄さに驚くものもある。
ただコルテオは、そういうものを全部煮溶かして複雑微妙な味わいに仕上げている。
うっとりする。夢心地になる。そこまで出来るパフォーマンスもなかなかないでしょう。
うん、やはり「キャッツ」を思い出すな。「キャッツ」も、ある意味人間技じゃなかった。
猫の動きの凄さが。鍛え抜かれた肉体の動きで、見ている者に魔法をかける。
あの時も恐らくは、没頭していたはず。

うーむ、なるほど、これはリピーターになるなあ……。
見てはいないが前回の「ドラリオン」と比べて、「コルテオ」はニュアンスのある、
大人な感じのパフォーマンスのようだ。わたしもそこに惹かれたしねー。
“死を迎えようとするピエロが見た夢”という設定と、
それがイタリアベースで作られていたことが成功している。
そこからもう、流れ出すものがある。
だってイタリアはニュアンスの国ですよ!(と、とりあえず断言してみる。)



ところで注文がいくつかある。

ベースにサーカス、アクロバットがあるわけだから仕方ないとはいえ、
逆にベースをストーリーにおいたものを見てみたい気もする。
わたしにとっては、現行の進行だと少々ストーリー部分が物足りない。
もっと話をしっかり見せたら、また別の面白さを生むのではないだろうか。
なかなか実現はしにくいだろうが。

シルク・ドゥ・ソレイユはカナダのパフォーマンス・チームだそうだが、
演出にイタリア人を据えてみるというのも手だったかもしれない。
もっと濃厚にニュアンスが醸し出されたかも。
……と思ったのだが、実は演出家はスイス?イタリア?少なくともヨーロッパ人のようだ。

話の始まりはわかりやすいんだけど、フィナーレがアクロバットで終わってしまうため、
話が完結しない。最初を物語として始めたんなら、最後も物語として締めて欲しいところだ。
まあ、最後のアクロバットが大きな道具を必要とするので、
そこから舞台を片付けて物語に戻すのは難しいのだが。

照明にもう少し改善の余地があると思った。スポットライトの数を増やすべきなんじゃないかな。
当て方自体も巧いとは言えなかったように思う。もう少し何とかなりそうだよ。

見せ場を分散していたのはわざとなのだろうか。
同時進行で色々なことをやっているから、一つ所を見ているうちに、別なところを
見逃している気がしてしょうがない。
それは反面、観客の目を別な所に惹きつけておいて、いつの間にか場面変換をしてしまう
技と同根だから、一概に改善すべきとも言えないけど。

でも見せ場をわかりやすくしていないせいで、観客はどこで拍手をすればいいか
若干迷っていた感じがした。少し盛り上がりには欠けたかもしれない。
まあノルのに時間がかかるのは仙台人の特性らしいけれども。



オカネは高かったけど(^_^;)、見て満足。見て良かった。
ただ、もう少し広告宣伝費を抑えて欲しいとは思うなー。あんまりがんがん宣伝されると
逆に逃げ腰になるわたしのようなのもいるんだし。
広告宣伝費を抑えてSS席を1万円にしてくれないものかと……ワタシのささやかな望み。




ちなみに、技術としてどちらが、ということであれば中国雑技団に軍配があがります。
それはそれで全然構わない。シルク・ドゥ・ソレイユはトータルで見てなんぼですから。
サーカスとはいえ、未就学児童にはちょっと勿体ないかな。
観賞力が必要なパフォーマンスだと思います。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

< 中国雑技団 雑技王 >(舞台視聴)

2010年05月14日 | その他映像関連。
テレビなどでおなじみの雑技団ですが、実際に見たことはなかった。今回初見参。

面白かったですよー。
予想通りの方向で、しかし予想よりも面白かった。ので、大変満足。
ところでいつも思うのですが「雑技」という言い方は何とかしないのかね?
どうしても「雑な技」と脳内翻訳されてしまい、イメージが悪い気がするのだが。
それよりは、「中国妙技団」とか「中国神技団」とか言ってみた方がいいのではないか。



それはともかく雑技団。演目も色々あるんですねえ。
オープニングは舞踊から始まった。中国風宝塚、というような華やかで多少ベタな舞踊。
でもそのいかにも、という感じも良かった。

2.マジック「マジカル・ボックス」
へー、雑技団、奇術もやるんだー。
内容は、お約束の美女消失。美女がちっちゃい箱に入って、一瞬で消え、箱は串刺しにされ……。
もう少し目新しいことをやって欲しい気はしつつ、しかしやっぱり不思議。
一瞬の消え具合が素晴らしかった。

3.バランス・アクロバット「グラス・タワー」
こういうのが、雑技団と言ってまず思い浮かぶ演目だな。
女の子が頭や足の裏に何かを載せながらバランス取るんだけど、それがU字。
接地面(というか、人の片足の上でのバランスなんだけど)はお腹のみ。
頭側も足側も、急角度で真上に上がっているから、まさに横から見ると半角英数の「U」である。
人間じゃないと思うのだが……。なんであんなことが出来るのかわからない。

4.掌上バレエ「月明かりのパ・ド・ドゥ」
男性が下で支え、女性がその上でバレエ。振付はスタンダードなバレエに近い。
ここでしっとりと正統派バレエを見せたので、次のコミカル・ショーがさらに可笑しかった。

5.コミカル・ショー「白鳥の湖」
白鳥の湖を太った男性プリマドンナが踊るの。さっきと同じように掌上バレエに挑戦するんだけど、
さすがに手で支えるのは無理(^_^;)。「無理無理」とパートナーが逃げ回る。
多少トロカデロ・モンテカルロバレエ団的テイスト。
でも意外に決めるべきところは決めていて、あんな太い人を持ち上げて逆立ちさせて支えてたよ。

6.スピニング・プレート「春の息吹」
あとは女性団体の皿回し。これも可愛かったなあ。
意外にこういう普通の演目が予想より良かった。衣裳は総じて、「もちょっと何とかしようか」
と思わないことはなかったが。

7.マジック「フライング・カード」
トランプカードを次から次へと取り出す……。
しかしこれは。舞台の上では映えない演目じゃないかね。舞台だって小規模ならいいけど、
1500人ホールでやるのはちとツライ。

8.ジャンピング・アクロバット「疾風迅雷」
すごかったんだけど、映像としては忘れてしまった……。
全体的に演技と演技の繋ぎもちゃんと考えられていて、素で舞台上にいることはない。
メインの演技以外の時も舞踊的な動きがきちんと与えられている。振付はベストとは言えないが。

9.ディアボロ「俏花旦」
ディアボロとは中国コマ。これもお嬢さんたちの群舞。これが好きだった。
歌付きだったかな。いかにも中国的。

以下第2部。

10.バイシクル・アート「七色のつばさ」
テレビでたまにやるのはこういう自転車ものの演目かも。最終的には2台の自転車を組み合わせて、
20人くらい乗ってたんじゃないかね。狭い舞台の上で、小さな円を回りながら
あんなに大勢乗るんじゃ大変だよ。

11.ステッキ・タワー「スカイ・ツリー」
金属棒を少しずつ継ぎ足していって、その頂上で器械体操的バランス。
多分最終的には5メートルくらいの高さまでいったんじゃないかなあ。
化け物みたいな筋力がないと出来ません。ただ、惜しむらくは命綱をつけたことで、
どうしても綱で上から吊るされている印象になってしまうの。
やっていることのすごさのわりに、見てくれはイマイチかも。

12.コミカル・ショー「ナイフ投げ」
パンフレットを見た時、ナイフ投げでコミカルになるのか?と思ったのだが……
これは内緒にしておきましょう。なるほど、こう来るのか……。
でもワタシは、ちゃんと出演者には事前に話がいっているんだと思いますよ。

13.ボール・ジャグリング「スプラッシュ」
タップダンスをしながらのジャグリング。
大ホールでやるには基本地味な演目なんだけど、衣裳や演技を工夫していて良かった。
ボール7個?で床に弾ませてジャグリングをしながら階段の上り下りをする(^_^;)。

14.リング・ダイビング「スワロー・セイリング」
輪くぐり。わたしはアクロバット系ではこれが一番好き。
2メートル以上の高さの輪を、3回くらい続けて跳んだりするんだよ。
あと、世界最高の3メートル10センチ?も跳んでたし。すごいー。

15.マジック「三変」
前2回はマジシャンぽい格好をしていたマジシャンが、今度は京劇のような衣裳で登場。
その京劇コスチュームには意味があって、一瞬で顔の化粧を、赤から黄色、黄色から緑、
緑から白……と変えていくという。衣裳も変わる。
ただ、取り出す時、扇のタネがちょっと見えた(-_-;)。

16.十三人頂碗「騰・韻」
食器を重ねたバランスとジャンプ。最終的にはジャンプで4人立ちました。
一番上の女の子なんか、舞台の天井に付きそうでした。

フィナーレは舞踊。演者紹介(映画でいえばクレジット)も兼ねて。


もう見ながら「あー!」「おおー」「すごーい」とかついつい言ってしまっていた。
うーん、やはり見てみるもんですね。かなり満足度が高かったのでした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

< マルタの猫 ~地中海・人とネコの不思議な物語~ >

2010年03月13日 | その他映像関連。
先日NHKハイビジョンで放映されたドキュメンタリーなのだが。
これを見て、あまりにも無神経な作りだと感じたのはわたしだけか?


映像は非常に良かったと思う。
猫はとても可愛く撮れていたし。空気感も美しかった。

だが、人間へのインタビュー部分がひどい。
最初からどことなく違和感を持っていたのだが、後半に行くに従って、正視出来ないほど
無神経に感じられた。インタビュアーが素人か?それともディレクターが不慣れなのか?
編集がひどいのか?



この番組は、猫との関係性を中心に据えて、そこから幾人もの人生を
少しずつ切り取って紹介する、というもの。
A.語り手を務めた、夫、13歳の娘と暮らす主婦。
B.捨て猫の世話を精力的に行う女性。
C.仕事も持たず生活費は家族からの仕送りに頼りながら、一日中猫へ餌をやり続ける青年。
D.1年前に難病の子供をなくした女性と、その恋人。
E.4人の子供を育てるシングルマザーとその息子。
F.マルタ猫協会の会長(たしか)。
他にもいたかもしれないけど、思い出せる分はこんなところ。


とにかく「なんて無神経な訊き方をするんだろう」と眉をひそめるようなインタビュー。
そんな質問が出来るほど、相手との間に深い信頼が育っているのか?

たとえば、Bに「猫を子供のように捉えていることはありますか?」と訊いたり。
(彼女は5回流産をして、最終的に出産を諦めた過去がある)
Cに「クリスマスはどうするの?」と訊いて、「何も。友達がいないからね」と答えさせたり、
(そんなことはそれまでの描写で推察出来ているのだ!)何度も亡くなった母親の話をさせたり。
Dに「亡くなった息子さんと猫の関係はどうでしたか」と訊いたり。

ほんと、文字で書くと伝わらないかもしれない。普通と言えば普通の質問に見えるし。
でもこういう内面に踏み込む質問って、それなりの信頼関係が築けた上で
初めて赦されるものである気がするのに、そういう部分が全く感じられない。
編集が悪いのかどうなのか、
「初めまして」→インタビュー開始→「亡くなった息子さんと猫との関係はどうでしたか」
という、恐ろしいばかりに無神経な流れになっているようにしか感じられなかった。

インタビュアーは、それぞれの人物の境遇に合わせていくつもの質問を用意しただろう。
もちろん仕事としてそれは当然のことだ。しかし、問うて聞くだけでいいのか。
インタビュアーならば、相手に語らせるべきではないのか。

机上で「ふんふん。この人はこういう境遇なのね。じゃあこういう質問をしてみましょう。
方向的にはこっちに持って行きたいんだから、この質問も必要ね。シメはこの質問にしようかな」
……こんな感じの段取りしか感じられない。
それは方法論として決して間違ってはいないし、不誠実なわけではないのだが、
相手の気持ちを忖度することなく、自分の頭の中だけで、自分たちの都合だけで
組立てた質問を単に順番に投げつけたようにしか見えなかった。
わたしが訊かれる方だったら
「あんたにそんなこと訊かれる筋合いはないわよ!!」と怒るよ。



質問をされたDの女性は一瞬黙った。そのほんのわずかな沈黙に耐えられず、
傍らにいた恋人の方が「sorry sorry,僕はこの(インタビューの)場にはいられない」と
大声で言ったじゃないか。

sorry sorry.
その切迫した言い方が、彼のいたたまれなさを表している。
大声で言ったことが、意識してにせよ無意識にせよ、その状況への抗議になっている。
彼は黙って席をはずすことだって出来たんだから。


こうなってしまったのは一体誰が悪かったんだ。
ディレクターか。初作品かなんかだったのか。詩情を醸し出そうとして、
人間ドラマを引っ張り出そうとして、未熟なままついやってしまった勇み足だったのか。
まあいずれにせよ、最終的に責任を持つべきはディレクターでしょうから、
視聴者が見てて辛い作りにしてしまったのは、ディレクターのせいですよ。
わたしは恥ずかしかった。マルタの人に、日本人ってこんなに無神経、と思われるんじゃないかと。

翻って、わたしはマルタの人の忍耐強さと穏やかさに感心した。
そういう意味ではこの番組にも収穫はあった。
小さな島国に暮らす彼らは、優しく優しくなることで、お互いの間に生じる
色々な軋轢を避けてきたのかもしれない。その恩恵を無神経な日本人も受けたのかも。
まあそれはわたしの美しい誤解である可能性はあるけれども。


あれ、そうなるといつかはマルタに行かなければならないのか?
うーん……。行くとなるとコトだなあ……。場所的に結構つらいものが。
シチリアとカップリングか?チュニジアとカップリングか?
3億円が当たれば、組み合わせに迷うことなく、シチリア・マルタ・チュニジア1ヶ月の旅、とか
かるーく出来るんですけどね。



※※※※※※※※※※※※



これに関連して思い出したが、はるか昔に井上章一という学者?が
大女優たちに一対一でインタビューする番組があった。NHKだった、たしか。

あ、多分これだな。
「いちばんきれいなとき 女優たち・美の自分史」。NHKBS2。
2000年の放送。「美人論」の出版とはちょっと時期がずれるが、
インタビュアーとしてここで彼が出てきたのはやはり「美人論」の著者としてだろう。


この番組の中で、彼は無理くり自分の望む答えを相手から得ようとしたんだよね。
質問も答えも実際何だったかは忘れてしまったけど、
「一番美しかった時はいつだったと思いますか」(すでにここから過去形……)というような質問で、
得たい答えは「外見的な美しさは若い頃が一番だけど、今は内面の美しさがある」とか、
紋切型なくだらない答えだったような気がする。

それを言わせようとしてしつこくしつこく誘導してさー。
わたしは画面に向かって「あんたは一体何をしたいのだ!」と怒っていた。
ほんと見てて腹立たしかった。

そうしたら――今でも強烈に覚えている――有馬稲子が怒って。
「あなたは私に何を言わせたいんですか」とびしっと叱り。
大女優の風格に井上章一はタジタジですよ。
ああもう、かっこよかった。有馬稲子。溜飲が下がった。

――ま、今から考えれば、何せ素人がインタビューしてるんだし、
彼は一応学者として(……正直わたしはこの人を学者とは言いたくない)、
「美人論」も出してしまったんだから、自分の論に引きつけたことを言わせたい気持ちは
わかるんだけどね。でも大変みっともなかったよ。



それに対して、あっさり誘導に乗ったのが岡田茉利子だったのは覚えている。
不甲斐なさを感じつつ、それがカワイさなのかもしれないと思った。
意外だったのは真っ先に怒りそうな加賀まりこが、はっきり不愉快な色を浮かべながらも
最後まで爆発はしなかったこと。あの高飛車なキャラは多少なりとも営業用か。
そういえば最近見ませんね。加賀まりこさん。










コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

< Rusalka ルサルカ >

2009年09月16日 | その他映像関連。
ドヴォルザークのオペラ。
タイトル初耳。というか、ドヴォルザークって「新世界より」しか知らん。

言葉がわからない上に、ストーリーの知識も皆無ではどうしようもないので、
事前にあらすじはチェックしていた。どんな話かというと、つまりは人魚姫。
これもそうだし、フーケーの「水妖記」もそうだけど、この話の大元はどこから来てるんだろうね。

水魔は人間からすれば異界の生物で、畏怖の存在であったはずだ。人知の及ばぬもの。
水に棲み、人を誘惑し水底へ引きずりこむ。いわば敵対関係であるべき水魔。
その側に立った「人魚姫」を初めとする物語は、自然発生というよりは、より創作の匂いがする。
どこでこの話が生まれたか知りたいものだ。


それはさておき。




第一幕。

冒頭、舞台は蒼い薄闇。
シルエットで大きい人物と小さい人物が現れ、ごくゆっくり歩を進めていく。
どのくらいのゆっくりさかというと、能の移動速度を思い出したくらい。
すれ違いざま、大きい人物は怒りを露わにし、片手を小さい人物に向けて相手を呪う仕草をする。
小さい人物はそれを受けて、後悔なのか苦悩なのか、頭をかきむしる。
彼らがどういう人物なのかは、シルエットでもあり、衣裳もマント様なので、
この時点では観客はわからない。

照明が入ると、水の精たちが楽しげに歌っている。
歌い手は第1から第3の水の精の3人。背後ではやはり水の精として10人程度のバレエ。
そこへ水の世界の王(ごとき存在)として威厳ある男性が現れる。
水の精たちは彼が結婚相手を探しているといい、「私たちの中から早く選びなさいよ」などと
からかって戯れる。

しかし彼の娘で、水の精の1人であるルサルカ――これは水の妖精の一般名詞であるので、
これが主人公の名前なのは妙な気がするのだが(でも「人魚姫」も人魚姫だしね)――が登場し、
人間の王子に恋をしてしまった、人間になりたいと切々と訴え始めると、
水界王は途端に苦悩に見舞われる。彼は言葉を尽くしてルサルカを翻意させようとするが、
彼女は拒絶する。水界王は最終的に、魔女イェジババへ相談するようルサルカに言わざるを得ない。


白いドレスに黄金の髪が美しいルサルカが、黒衣のイェジババへ会いに行く。
ルサルカがその願いを話すと、彼女は願いをかなえるという。
しかし愛する人の裏切りに遭えばその時は命はないと。
ルサルカはその条件を受け入れ、人間に姿を変えてもらう。

水のほとりに立つ、人間になったルサルカ。
そこへ狩人たちが近付いてくる。その中にはルサルカが恋する人間の王子もいた。
王子は神秘的なルサルカを一目見て恋に落ち、おそらく彼の唯一の(唯二くらいか)
見せ場であるアリアを歌って、城へ連れて帰る。



第2幕。

第1幕は水の精たちが棲んでいる森の中だったが、雰囲気ががらりと変わってお城の中。
宴会の準備が進められている。
登場するのは狩場管理人と料理人見習の少年。宴会の準備をしながらの彼らのやりとりで、
この日が王子とルサルカの結婚式だということがわかる。
しかし狩場管理人はルサルカに不審をもっており、
王子の結婚相手としてあの娘(=ルサルカ)が相応しいかどうか心配する。

ルサルカは見知らぬ人間の世界で孤立している。
口がきけない彼女は誰とも繋がりを作れず、頼みの綱の王子さえ彼女にもう興味をなくしている。
そこへ現れる異国のプリンセス。黒いドレスをまとった。
王子はプリンセスに惹かれる。彼らは踊り始める。
ルサルカはそれをただ見ていることしか出来ない。優雅に繰り広げられる群舞。

そんなルサルカを案じて、水界王が彼女に会いに来る。
もう王子への愛は望みがないことを断言し、ルサルカを連れ戻そうとする。彼女は取り乱す。
そしてその頃、黒いドレスのプリンセスは王子を誘惑し、王子は虜になり始めていた。
ルサルカはその場面を見てしまい、思わず王子に駆け寄ってすがるが拒絶される。
水界王はうちのめされたルサルカを連れて帰る。


第3幕。

水の世界に帰ったルサルカ。しかし彼女にはもう望みはなく、抜け殻のようになっている。
彼女は選ばなければならない。王子を殺して元のように暮らすか。あるいはこのまま死んでいくか。
だが彼女に王子は殺せない。
王子がルサルカに赦しを請うためにやってくる。2人は静かに死んでいく。



以上、ネット上のサイトと買ってきたCDの解説書をチラ見しつつ、
記憶(感知出来たもののみ)に基づいて書いたあらすじ。正確性は70%くらいだろうか。


※※※※※※※※※※※※


見ただけで如実にわかるように、後に行くに従って情報量が少なくなる。
……いや、駄目だったのだ。眠くて。最終的には早く終わらないかな、と願ってしまった。
もうちょっと眠くない時に行ければ良かったんだけど。


それに……歌い手のせいにするのもずるいかもしれないが、王子に迫力がなかった。
王子に迫力がなければ結末が締まらない。
ちなみに主要キャスティングは以下の通り。

ルサルカ     Maria Haan  
王子       Peter Berger
水界王      Stefan Kocan
イェジババ    Dagmar Peckova
異国のプリンセス 同上
(なお、第1の水の精として、Yukiko Srejmova Kinjoの名前あり)


一番印象に残ったのは水界王。体躯は堂々として、声は朗々として、
うんうん、これこれ。聴きに行って良かったと思えた。
ルサルカも美しい声だった。買ってきたCDよりも、舞台で見た方の声が甘くて叙情的。
多分本人の年齢もより若い。それゆえ雰囲気が出せたような気がする。
この2人は満足な感じ。

イェジババは、うーん、いまいち好きじゃなかったな。歌い方とか声質が。
何しろ魔法使いの役柄だから、気持ちいい旋律は歌わないだろうし、
そういう意味でも好きになれないのはしょうがないのかもしれないけど。
王子となると、上で言ったように、何だか迫力がないことおびただしい。
ルサルカと王子の力量が均衡してこそ最後が盛り上がるというものだろうが、
だいぶ差があったように感じられた。
ただ、難しいキャスティングではあるのかな。王子はそれほどいい役柄じゃないので、
いい歌い手を持ってくるのも難しかろう。


ところで、今回イェジババと異国のプリンセスを1人の歌い手がやっていた。
これは本来、イェジババがアルト、異国のプリンセスがメゾソプラノらしいので、
普通はそれぞれ1人ずつキャスティングをするはず。買ってきたCDでも別な歌い手。
今回、2役をさせたのは新機軸なのだろうと思う。

作品自体を理解しているとは到底言えないわたしが言うのもなんだが、
これはわりと成功しているのではないか。少なくとも一つの解釈ではあるよね。
複数のサイトであらすじを読んで思ったんだけど、この異国のプリンセスというのが、
どうも謎めいた存在で。というより、謎めいた存在なんだか、それとも単にエキゾチックな美女
というだけの存在なのか、はっきりしない。
オペラなんて、ストーリー的には無理がありまくるもので、この「ルサルカ」も、
そういう意味では脇が甘々なんだけど、その一端を解消しようという努力をしたのかな。

実は、冒頭すれ違う2人の人物は、大きい方が水界王、小さい方がイェジババでした。
人物のシルエットから判断するに。
そうすると……こういうことになるのかな?
イェジババは、ルサルカの願いをかなえてやっておきながら、王子を誘惑することによって
ルサルカを結果的に死なせることとなった。それを父である水界王は責め、
イェジババは良心の呵責に苦しむ。
……それはそれで無理のある流れのような気もするけど。でもまあオペラですから……。


オペラは総合芸術、とよく言われる。
普通オペラを考える場合、歌い手・舞台美術・オーケストラの3つを思い浮かべるが、
一般人にはあまり思い及ばない要素として、実はもう一つ大きなものがある。それは舞踊。
舞踊はアレンジの部分なので、長短伸縮自在。かなり融通がきき、独自性を出すことが出来る。
今回の舞台は現代舞踊としてのバレエの要素が強かったのではないか。

水の精とか。宴会の群舞とか。まあ王子のお供の狩人なんかも。
歌い手だけが舞台上にいるという時間はそれほど長くなかった。全体の半分以上は
舞踊が登場していたと思う。目を楽しませる要素も大事ですからね。
歌い手は、歌っている間は複雑な動きは出来ないし「なんとか動きを」と思って
演出家も苦心するんだろうが、身振り手振りもネタがつきてしまうしね。

だがしかし、あの男性ダンサーは一体なんなのか。

頭を剃り上げて。衣裳は(まるで小学校の体操着のような)白い短パン一丁の。
この男性ダンサーが相当に出てくる。群舞でも1人別な動きをして目を引いているし、
単独でもけっこう出てくる。
彼は何の意味を帯びているのだろう?意味なく出てるわけではないよね?
何の象徴なのかとか、全然思いつかなかった。「ダレ?」状態。
まあ鍛え上げられた肉体は見事で、ダンサーとしても上手そうだったからいいのだが。


舞台美術的には吊り物が素敵だった。それは例えば宴会のシャンデリアを象ったものだったり、
睡蓮をイメージしたものだったり。けっこう大きくて、物体としては縦横1メートル程度。
特に睡蓮は、舞台上でダンサーが踊っている時に、人数分が上からゆっくり下がってきて、
最終的には1人1つを手にして(←取り外せる)ダンスに取り込む、などをするので印象が強かった。

舞台上に池を作っていたところも少々驚いた。実際に水が張ってあり、その中を歩いたり
水をはねさせたりする。ごく浅いもので、せいぜい水深は5~10センチくらいだろう。
わたしは2階のセンターバルコニーに座っていたので、上からその池がよく見えたが、
平土間に座っていた人たちは多分見えないんだろうね。
水の精の一人がハープの音色に合わせて(つまり音楽的にはハープで水を表している)、
手で水を優雅にかき回し、水音をたてていたりした。これは微妙だと思っていた。
楽器で水を表現する部分があるんなら、実際の水音は蛇足というものだよ。
水の動きはきれいだったけど。

その他の舞台装置は抽象系。
長方体のような物体を、段差にも使えば宴会のテーブルにもするというような。
転用して色々に見立てさせる。
高低差と奥行きにずいぶん気を使っていたようには見えた。
だが、見立ての舞台装置にありがちな、多少間が抜けているようなところはあった。


以上、思ったことをとりとめなく書き連ねてみたが。

……結局、もう少し知っているオペラの方が楽しめただろうな。
まあシンプルな話なので、楽な方だったんだろうけど。
だが、字幕を読むのにも忙しく、その他に歌を聴き、ダンスを見、舞台装置をチェックし……
というような見方になってしまうので、要素が溶け合った1つの作品として楽しめたかというと、
そこまでではない。字幕が舞台のかなり上の方にあるので、字幕を読んでいると
舞台で進行していることを見逃すし。
それから、やっぱり眠くない時の方が良かった。


「フィガロの結婚」に行くことも出来たのだが。
でも、国民劇場でドヴォジャックの作品を聴くことは意味があったと思う。



ドヴォルザーク:歌劇「ルサルカ」 (2CD)  (RUSALKA)
ヤロスラウ・クロンプホルツ(指) プラハ国立歌劇場管弦楽団、合唱団/リュドミラ・チェルヴィンコヴァー(S ルサルカ)/ベーノ・ブラハト(T 王子) SUPRAPHON (2005-06-02)売り上げランキング: 288210



箱のデザインから判断するに、わたしが買ってきたのはまさにこのCD。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉加瀬太郎のコンサート。

2009年04月20日 | その他映像関連。

わたしは音については語るべきことを全く持たないので、今まで音楽関係のイベントを
ブログの記事にしたことはなかった。(と、思う。)
が、今回の葉加瀬太郎・古澤巌のコンサート、「THE VIOLIN BROTHERS」。
これは語らずにはいられない。



宣伝で「ブルース・ブラザーズ」のイメージでツアータイトルをつけたと言ってたから、
会場で、舞台の赤い紗の幕にグラサン&ダークスーツの彼らがプリントされてても
当然と言えば当然。全然驚かない。
紗の幕から透けて見える小道具が、アメリカンな交通標識というのも全然普通。
ま、ヴァイオリンコンサートっぽくはないが、今回はこういう路線で行くんだな、と頷く。
だが……

時間になっても始まらなかったから、観客は手拍子で催促。
それでバックバンドの演奏は開始したんだけど、主役2人がなかなか姿を現さない。
いい加減「まだかいな」と思い始めた頃、音がジャン!と止まり、
カッ!と照明が舞台後方から照らされ、男2人がポーズを決めたシルエットが浮かび上がる。
その時点で、客大ウケ。
その後、紗の幕が上がり、本人たちが姿を現すわけですが(当然衣裳はグラサンにダークスーツ)、
まずやったことと言えば、演奏でもなくMCでもなく、ダンス(?)ですから。


ブルース・ブラザーズの曲(だと思う)に合わせて、右に左にステップ。
曲は能天気に明るいし、本人たちは楽しそう。そのパフォーマンスが終わった時には盛大な拍手。
ってか、アンタ、まだ何にも弾いてないやん!
……上手いんだ、この辺が。まったく、ヤツは客をノセることにかけては日本一だよ。



※※※※※※※※※※※※



葉加瀬太郎のコンサートはとにかく楽しい。

まずMCがオカシイ。
ヴァイオリンのツマミとしてのMCではなくて、話もパフォーマンスだよ。
あの話芸はどこで修行したんだろうね。
やはり生来の関西人はそういう遺伝子を持っているのか?
古澤巌もかなりついていけている方だけど、この点、ハカセには負ける。

とはいえ、古澤巌もかなりヘンな人です。ハカセと並ぶとそのヘンさが相対的に薄れるだけで。
古澤は、まずその衣裳が……。ハカセもMCで、
「ところでアニキ……。そんな衣裳、どこで売ってるんですか」と言ってたくらいだし。
一枚一枚の洋服としては、ごく真っ当な製品なのかもしれないんだけどね。
古澤が1人分として組み合わせて着ると、何だか妙な雰囲気を醸し出す。

2人で何とかっていう超絶技巧曲を弾く時、
「難しい方は、当然アニキが弾きます。ぼくは伴奏を」
「……あんまり早く弾かないでね」
そんなことを言いつつお互いガシャガシャ弾きまくってるんだから面白い。
そんな間柄は楽しかろう。

彼らはとてもよく指が動く。見ているとどうしても笑ってしまうほど。
笑ってしまうほどの指さばき、というのは見たことない人には想像出来ないかもしれないが、
笑うしかないんだ!もう。
やっぱりああいうのを見ると、文句なくプロの技。



曲も、バラエティに富んだいい選曲だと思う。
オリジナルとかクラシックの編曲とか色々。
パンフレットがないので、タイトルとかはわからないんだけどね。

わたしは今まで3回か4回ハカセのコンサートに行っているけど、いつもお決まりで
演奏するのは「エトピリカ」「TO LOVE YOU MORE」「情熱大陸」。

第一部のラストは「情熱大陸」で一旦盛り上げまくって締めるのがお約束。
……って、別にステージが第一部、第二部と分かれているわけではないが、
単なるアンコールと呼ぶにはあまりにも力が入っている。ゆえにアンコール=第二部。
第二部が終わるまでずっとスタンディングで手拍子強制(?)なので、
全てが終わると手のひらがカユイ。体力も使います。


わたしは「エトピリカ」が一番好きかもしれない。
エトピリカは――


大きな黒い目をした野生の少年。
これから行く先の道をまっすぐに見つめている。
凛として生きること、進み続けること。
歩き続ける者のプライドと高揚。

   
――を感じる。

「TO LOVE YOU MORE」は、セリーヌ・ディオンが歌うのも好きだけど、
ヴァイオリンで弾かれると、心の裏側をマッサージされているような心地よさを感じるな。
きれいな旋律だ。

一緒にやっているバンドの人も好きだよ。
今回のチェロの柏木さんとギターのマサ君は、以前に聴きに行ったことがある。
その時聞いた話からすると、マサ君はまさにギターの求道者みたいな人らしく……
今回の、ウクレレみたいな楽器を弾いてた時かなあ?
「一体どんな指づかい?」と思うような超絶演奏だった気がする。
彼のことは応援したいな。


まー、一つ難を言えば、アンプが入る分、楽器としては……というか、
音としてはずいぶんアルファー波が減じる。
やっぱり音としてきれいなのは生音でしょうよ。
でもまあ、ハカセにオーケストラと一緒にヴァイオリン協奏曲なんか弾かせても
仕方ないだろうから、電気的な音になるのはしょうがないんだけど。


しかしさー。最後、アンコールのアンコールでは歌ってたよ。ヤツは。
「ALL NEEDS SOMEBODY TO LOVE」とかなんとかいうタイトルの歌。
アンタはヴァイオリニストじゃないのか!

歌にダンスとなったら、今後のコンサートはヴァイオリンというより、
ミュージカルになってしまうのではないか。
今だって「たしか今日はヴァイオリンコンサートだったはず……」と思うような、
パフォーマンス(多量のお笑い要素を含む)>音楽になっているのに……
今後ヤツは一体どこへ行こうというのだ。








わたしには、ハカセが時々――音楽の天使に見える。
あのむさくる……る、る、しくも福々しい顔が、満面の笑みを浮かべて幸せそうに演奏をしている。
その姿を見ると、もしかして音楽の天使は、とても天使には見えないような、
こんな顔でどこかの街角にいるのかもしれないと思ったりする。
……音楽の天使というより音楽のエビス様というような風貌だが。

幸せそうに弾いてる人を見て、わたしも幸せ。
ハカセのコンサートは、人を幸せにすると思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする