ノーベル賞受賞者。「ブリキの太鼓」は、非常に具体的なところが印象的で、
タイトルとして昔から記憶にはあった。今回初めて読んだ。
うん。面白く読めた。純文学にしては。
何よりも文体が平易なところが勝因だろう。平易とまではいえないのか。
しかし「永遠の三歳児」(物語の後半では成長するが)の語りなので、
――なので、とも言い難いがそこまで抽象には走らない。
登場人物の具体的な行動、一文が短いので読みやすい。
一文が短いのって大事ですよねー。著者並びに訳者:池内紀のお手柄。
内容は、ノーベル賞受賞の時に評されたらしい「陽気で不吉な寓話」という言い方が
合うと思う。内容はかなりブラック、時々グロテスク、しかし語り口はユーモラス。
一人称の文体。というより語り物に近いか。回想だから語り物になるか。
主人公は精神病院に入院している、30歳くらいの男性。
3歳の時に地下室に落下したことが原因で、背が伸びなくなっている。
その落下も、本人が(当時3歳の)それ以上の成長を止めるためにわざと行なったことに
なっており、それ以降、精神は年齢相応以上に成長していたのにも関わらず、
20歳くらいまでは3歳児のふりをして生きてきた。
その主人公がユーモラスに、ブラックに語り続ける周囲の人々のエピソード。
おばあさんのことから始まるのよ。ジャガイモ畑でジャガイモ色のスカートを
4枚重ねたおばあさん。通りがかりの放火犯であるおじいさんをそのスカートの下に
かくまい、そこから娘=主人公の母が生まれる。
母は父と結婚し、しかし従兄?と不倫しており、主人公は従兄を推定父と考える。
父への軽蔑と疎ましさ。推定父への軽蔑。母への愛着と憐み。
家族以外のご近所さんとか、知り合いとか、友人とかだんだん登場人物が増え、
(そしてまた、主人公がユーモラスに、ブラックに語り続けるエピソード。)
母が死に、推定父が死に。
3歳児に擬態して生きていた主人公が少し年上の少女と交わり、生まれた子ども。
しかしその少女は、やもめになった父と結婚して義理の母になり、子どもは弟になる。
ブリキの太鼓は、3歳の時に母から与えられたお気に入りのおもちゃ。
主人公は太鼓をたたき続ける。叩き続けては壊し、叩き続けては壊す。
主人公には特殊技能があり、声でガラスを自由自在に割れること。
ひ弱な3歳児として生きる上で、この声と太鼓は武器だった。
「陽気で不吉な寓話」のまま、30歳までの人生を丹念に語る物語。
シュールにフェイドアウトするエンディングなので、特に結末がついた気がしない。
一人称を「ぼく」と「オスカル」をずいぶん混ぜて使うことにはどんな意味を込めたのかな。
一人称自体は相当回数多く使われている。「ぼく」だけだとあまりに頻繁過ぎたのか。
やはり「オスカル」の距離を取った目線も欲しかったのか。
ラス2の章だけ、他人の一人称なんだよね。
これまで長い話を饒舌に喋ってきた主人公なのに。
その他人は裁判の陳述として主人公のことを証言するんだけど、
出てきたばかりの、関係性の薄い登場人物だったので、それで饒舌に語られてもという
違和感がぬぐえなかった。どうしてこうしたのかな?グラスは。
物語が終わった時の主人公の人生は破滅してはいない。
死体遺棄かなんかで裁判を受けて、その後に精神病院に入れられ、そこから解放され、
さあどうする、と光が差した段階。光が差した?差しているけど、実際は?
破滅はほんの先にあるようにも思える。でも意外に牧歌的に生き続けられるかも。
今後、オスカルは同じように生きていくんだろう。
人気楽隊として。太鼓叩きとして。モデルとして。石工として。
歌いながら、消えていく。
まあどういう話だったかはあんまり分かりませんでしたね。
でも読んでる分には面白かった。50ページくらいは続けて読めたから。
ただもう一度同じ本を読めと言われたらごめん被る。
読むとしても10年くらいの間は置きたいよ。
タイトルとして昔から記憶にはあった。今回初めて読んだ。
うん。面白く読めた。純文学にしては。
何よりも文体が平易なところが勝因だろう。平易とまではいえないのか。
しかし「永遠の三歳児」(物語の後半では成長するが)の語りなので、
――なので、とも言い難いがそこまで抽象には走らない。
登場人物の具体的な行動、一文が短いので読みやすい。
一文が短いのって大事ですよねー。著者並びに訳者:池内紀のお手柄。
内容は、ノーベル賞受賞の時に評されたらしい「陽気で不吉な寓話」という言い方が
合うと思う。内容はかなりブラック、時々グロテスク、しかし語り口はユーモラス。
一人称の文体。というより語り物に近いか。回想だから語り物になるか。
主人公は精神病院に入院している、30歳くらいの男性。
3歳の時に地下室に落下したことが原因で、背が伸びなくなっている。
その落下も、本人が(当時3歳の)それ以上の成長を止めるためにわざと行なったことに
なっており、それ以降、精神は年齢相応以上に成長していたのにも関わらず、
20歳くらいまでは3歳児のふりをして生きてきた。
その主人公がユーモラスに、ブラックに語り続ける周囲の人々のエピソード。
おばあさんのことから始まるのよ。ジャガイモ畑でジャガイモ色のスカートを
4枚重ねたおばあさん。通りがかりの放火犯であるおじいさんをそのスカートの下に
かくまい、そこから娘=主人公の母が生まれる。
母は父と結婚し、しかし従兄?と不倫しており、主人公は従兄を推定父と考える。
父への軽蔑と疎ましさ。推定父への軽蔑。母への愛着と憐み。
家族以外のご近所さんとか、知り合いとか、友人とかだんだん登場人物が増え、
(そしてまた、主人公がユーモラスに、ブラックに語り続けるエピソード。)
母が死に、推定父が死に。
3歳児に擬態して生きていた主人公が少し年上の少女と交わり、生まれた子ども。
しかしその少女は、やもめになった父と結婚して義理の母になり、子どもは弟になる。
ブリキの太鼓は、3歳の時に母から与えられたお気に入りのおもちゃ。
主人公は太鼓をたたき続ける。叩き続けては壊し、叩き続けては壊す。
主人公には特殊技能があり、声でガラスを自由自在に割れること。
ひ弱な3歳児として生きる上で、この声と太鼓は武器だった。
「陽気で不吉な寓話」のまま、30歳までの人生を丹念に語る物語。
シュールにフェイドアウトするエンディングなので、特に結末がついた気がしない。
一人称を「ぼく」と「オスカル」をずいぶん混ぜて使うことにはどんな意味を込めたのかな。
一人称自体は相当回数多く使われている。「ぼく」だけだとあまりに頻繁過ぎたのか。
やはり「オスカル」の距離を取った目線も欲しかったのか。
ラス2の章だけ、他人の一人称なんだよね。
これまで長い話を饒舌に喋ってきた主人公なのに。
その他人は裁判の陳述として主人公のことを証言するんだけど、
出てきたばかりの、関係性の薄い登場人物だったので、それで饒舌に語られてもという
違和感がぬぐえなかった。どうしてこうしたのかな?グラスは。
物語が終わった時の主人公の人生は破滅してはいない。
死体遺棄かなんかで裁判を受けて、その後に精神病院に入れられ、そこから解放され、
さあどうする、と光が差した段階。光が差した?差しているけど、実際は?
破滅はほんの先にあるようにも思える。でも意外に牧歌的に生き続けられるかも。
今後、オスカルは同じように生きていくんだろう。
人気楽隊として。太鼓叩きとして。モデルとして。石工として。
歌いながら、消えていく。
まあどういう話だったかはあんまり分かりませんでしたね。
でも読んでる分には面白かった。50ページくらいは続けて読めたから。
ただもう一度同じ本を読めと言われたらごめん被る。
読むとしても10年くらいの間は置きたいよ。
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