最近よく耳にする『SDGs(持続可能な開発目標)』
「持続することができる社会(サステナブルな社会)」を目指すための目標設定のことなんだとか。
全部で17の大きな目標があるというので検索してみたのが、サムネイルに書かれていることです。
中身はというとカタカナばかりで頭が追いつかず断念。
なんとなくですが、経済成長を止めることなく地球のため、環境のため、平和かつ平等に生き物が生き続けられるためにそれぞれが責任ある行動をしましょう、的なもののように理解してみましたが間違っていたらすみません。
一見すると平和なようで平和じゃない世界。
悲鳴を上げる地球。
刻一刻と環境が変わり自然災害になすすべも無く立ち尽くす人々。
地球温暖化や原子力問題、紛争や貧困、差別や格差などずっと問題になっているにも拘わらず、結局どこか画面の向こうの出来事のように過ごしてきてしまっているのはどうしてなのでしょう。
かく言う私もその中の一人です。
何かしなくてはいけないという思いはあっても何ができるのかも、何をしたらいいのかもわからない。
ただ与えられるものを受け取るばかり。
先日祖母の四十九日で数年ぶりに福島へ行ってきました。
南相馬市です。
10年前の東日本大震災では津波は逃れられたものの原発事故によって避難を余儀無くされた地域でした。
道中、何台もの除染の土を積んだ車とすれ違いました。
10年経った今でも作業は続けられています。
そして人がいなくなり、かつて畑だった場所が一面ソーラーパネルで覆われていました。
その光景に何とも言えない気持ちが沸き立ちました。
なかなか言葉では表現し難い複雑な感情です。
数日後テレビで、その周辺の川に住む魚が汚染されているというニュースを見ました。
放射性物質を吸収してしまった山の木々は体内に溜め込んでしまうため、それが少しずつ土壌に流れ出て、雨の水と共に川に流れ込み、魚が取り込んでしまう。
10年経ってもそのサイクルは変わらない。
一度失ったものは簡単には元通りにならない。
わかっていたつもりでしたが衝撃でした。
後何年したら元に戻るのだろう。
本当に戻るのだろうか?
これは地球や人間が抱える問題のほんの一部です。
一部ですが、とても大きな問題です。
小さなことの積み重ねが結局自分たちの首を絞める結果になり得る。
じゃあ自分には何が出来る?
何をしている?
なんて考えたところで正直、個人にできることなんかほとんどないのかもしれません。
でも「持続可能な社会」として考えた時、〝選択〟という選択肢があることに気がつきました。
具体的に何かできなくても〝選択〟することは誰にでもできる。
ゴミを出さない選択。
環境に優しいものの選択。
再利用する選択。
これならば自分にも出来るかもしれない。
小さなことの積み重ねが自分たちの首を絞める結果になり得るなら、小さなことの積み重ねで自分たちが笑顔になることも可能なはず。
将来的にはその選択肢の1つになれるような活動が自分でもできたらと思います。
まずはすぐにでも取り組める〝選択〟から、はじめてみたいと思いました。