真っ青な空が頭上に広がる。いつもの小さな公園に立っている大きなイチョウの木が金色の葉っぱを音もなく数枚散らした。平日のこの小さな公園に誰もいないことを確認しベンチに腰を下ろすと、犬の『ベン』のリードを外した。
ソラにとって、犬の散歩の時間がなによりも楽しい。歩くことが楽しいし犬を触ることも楽しい。その日の天気や風や自然に触れることが楽しい。
そして人知れずこっそりベンを自由に走らせてやったときの喜びに満ちて走り回る姿を見るのが何よりも嬉しい。
犬以外にも動物が自由にしている姿は、ソラにとって何よりも癒しであり思わず顔がほころんだ。だからソラは、動物が好きなのに動物園へもペットショップへも行かない。この犬も生まれたからどうぞと人から譲ってもらったのである。
考えてみると、小さな頃からずっと動物を飼ってきた。もちろん親が飼っていたわけなのだが、そのせいかソラも動物が好きな女性に育った。生まれた時には犬がいた。ソラが5歳の時にその犬が亡くなると、次はウサギを飼った。その次は猫で次は金魚、次はハムスターやリスを飼い、大人になった今はこうして再び犬を飼っている。
ソラは植物も好きで、美しい花はもちろんだが特に好きなのは大木だ。大木は何年も同じ場所にずっと生えている。そのことは少々飽きっぽいソラにとっては尊敬に値する。
小学校の写生大会などでも、人物や人工物はほとんど描かず植物ばかり描いていた。ある日偶然、美術の先生と同じところに座って隣でその先生の描き方を見てその場で真似し、金賞をとったことがある。それまで1等賞とか金賞とかに縁がなかったソラにとってそれは快挙だった。それから益々写生大会では植物たちを描くようになり、先生の描き方を思い出して描き金賞をとり続けた。
公園のベンチの傍らにある大木の金色の葉っぱたちを見上げれば真っ青な空も目に入る。「今日は天気がいいなぁ」ソラは空の青さに感動して思わず独り言を漏らした。そして毎日がこんな日ならいいのにと思う反面、雨も降らないと困るよねと思う。
ソラはとても普通な人間だ。身長は160㎝中肉。髪は黒髪でストレートを肩らへんまで伸ばしている。IQは大抵120くらい。以前ネットでやった男女脳のテストでは男性脳が49%で女性脳が51%と、かろうじて女性脳であったがほぼ半分ずつといっていいだろう。これもまたネットでだが、内向的か外交的かのテストでは内向的でもあり外交的でもあるという結果が出た。
ブームには興味はあるがすぐには乗らない慎重派。曲はなんでも好きで、幼い頃おばあちゃんちに行った時は、祖父が演歌を聴いていると一緒に聴いたし昔のフォークやポップスも付き合って聴いたし、親に連れられてクラシックのコンサートにもよく行った。90年代の小室やR&Bも聴くし、つい最近の曲も聴くし洋楽も聴く。好きな歌手は、その時期に素晴らしい曲をなるべく沢山作ったアーティストであり、その人物を好きになったことはない。
好きな色も得にない。色のないモノなんてこの世に空気以外ないし、どんな色も意味があったりなかったりしてそこについているからだ。
好きな言葉もない。言葉に好き嫌いがあったらそれこそ大変だ。どんな言葉にも意味があってないのだから。
好きな作家もいない。素晴らしい本は素晴らしいと思うだけで、特定の作家が書いたから読むということはあまりない。逆に、顔や癖を知ってしまった作家の書いた物語は読みづらくなってしまう。
ソラには友達はいない。まぁ、友達がいないからこそこうして2時間もの犬の散歩ができるわけだが。
友達が欲しくない訳ではないができない。できない理由は分かっている。誰とでも満遍なく仲良くしてしまうからだ。まず女子が大好きな無駄な雑談というものができない。相談事を持ち出された日には、解決したいのだろうと考えてしまい合理的な発言をしてしまったのち、相談してきた女子がそれを欲していないことが分かるとどう接して良いか分からなくなり、徐々に縁が薄くなっていってしまうのだった。
とっさに気を利かせて話を広げるのも得意ではない為、”真面目”というレッテルを張られて孤立してしまうことが多かった。それでもいじめられたわけではなかったから何とか学校へ行っていたが、孤立感からくる寂しさは拭えなかったものだ。
大人になった今は仕事さえきっちりやっていればまぁなんとかやって行ける。職場が全てではないし嫌ならやめればいい。大人というものはよいものだ。決められた環境や与えられた物だけに縛られないでいいから。ソラは幼い頃からよく早く大人になりたいと思っていた。大人は好きなことを仕事にして自分の欲しい時に欲しい物を買えるから。と、そんな風に思っていた。
しかしいざ大人になってみると、好きな仕事には就いていないし、本当に欲しい物を手に入れられるほどの金額を実際に手にしたことはない。
それでも大人になった今はこうして、自分の意思で犬を飼うことを許され、自分の居場所を作ることを許され、なんとかまぁ職場は選べるし、自分の時間を作ることを許さている。そんなこんなで20代はまぁまぁな日々を過ごしてきた。
だが30代になった今は、そろそろ誰かのために生きたいと思うようになってきた。愛する人を探して愛する子供を産みたいと最近思う。女として生まれた以上は、やはり1度でも子供を産みその子供のために生きることが幸せなのではないかと。
仕事に疲れ始めているという本音もあるのも事実だ。今やっている仕事は立ち仕事&少し体力もいるので、ずっと長くやれる仕事ではないと薄々勘付いているのだ。学歴もなく手に職があるわけでもない。それは日本の女性として生まれたソラにとって今後一人でやってゆくには厳しい道なのだ。やはりこの国ではどう考えても結婚した方が有利だし、愛する者と家族を作り幸せになることもまたひとつの夢なのである。
自分のための時間を10年も過ごすと、そろそろ次は子供とかのために生きたいと思うのもソラにとっては自然なことでもあるし、人生の挑戦でもあるのだ。自分がちゃんと子供を育てることができるのかを、自分でも知りたいし、親のした失敗を繰り返さない自信も少しあった。子育てについては高校生くらいからよくノートに書いてまとめていた。それでも、その日その日に色んなことが起きて思った通りに行かないことも想像はついていたものだ。
ソラは子供の頃から未来を想像することや、こうしたらこうなる、ああしたらこうなるという原因と結果を考えることが好きだった。
陽も傾き、そろそろソラの苦手な西日の時間になろうとしている。
「ベン!そろそろ帰るよ!」ソラは大きめの声でベンを呼んだ。何かのにおいに気をとられてクンクン地面を嗅いでいたベンがソラのもとへ駆け寄ってくる。
ベンはとても利口な犬で、ソラの言うことはよく聞く。好奇心が旺盛だし犬同士とは仲良くするが、なぜか他の人間には警戒心が強く吠えてしまう。しかし噛むようなことは一切ない。
ソラはベンにリードをすると来た道とは別のルートで家路についた。
ベンはただソラの言うことを聞くだけではなく、人の気持ちを読み取る能力に優れ、ソラが「この部屋からは出ないでほしいなぁ」と思って生活しているだけでなぜかその部屋からは一歩も出ないし、餌の入った段ボール箱はベンが寝ている布団のすぐそばに置いてあるのに、留守中であろうとも主人がいる時間であろうとも、絶対につまみ食いをしたことがない。成犬になってからは、与えた物では遠慮なく遊ぶが与えられていない物では遊ばない。
排泄物は散歩の時にしかしないし、車でどこかへ出かけるときも、車のドアを開けると自分から飛び乗って入る。誰かが教えたわけではなく、ソラがそう思って行動すると読み取ってくれるのだ。そこはきっと主人であるソラに似たのかもしれない。
ソラもまた、頭がいいわけではないが吸収が早かった。親の言ったことを覚えていたので3度は同じ悪いことをしなかったし、小学校ではあまり成績はよくなかったものの小学5年くらいから中学3年までは先生の授業を集中して耳を傾けてノートもしっかり書いていたため、テスト勉強をしなくても最低80点は採れた。テストの問題を見ると先生の言っていた言葉や授業の場面が脳裏に浮かんできて、答えもおのずと出てくるからだ。
あまり成績のよくなかった友人に「勉強してる?」と聞かれた時、正直に「してない」と言ったのだが、そのせいで嫌われてしまったという理不尽な経験もある。
成績の悪い子は大抵、授業中に隣や後ろの人とおしゃべりしたり、こそこそメモ用紙をまわしたりして真面目にノートを書いている様子がなかった。本来は授業をちゃんと聞きさえすれば普通にできるのにしないだけなのだ。
自分はとても普通の能力しか持ってないし小学校2年の授業なんかでは、掛け算九九を覚えるのにさえ苦労したくらいバカだった。よっぽど周りのみんなの方がすぐに覚えていたものだ。
それがどういう訳か、少し成長したらみんな授業中におしゃべりばかりして、やろうとしないしきちんと聞いていない。それを私のせいにしないでくれと思った。
人の気持ちにも敏感だったソラにとって、友達がなぜ自分から離れてゆくのはを分かっていたとしても、自分が悪いわけではなかったので謝るわけにもいかないし、どうすることもできないのが常だった。反論する勇気もなかった。反論したらしたでそれに輪をかけて嫌われるに違いないと容易に想像できたからである。
とにかく、ソラはとても普通な能力の持ち主であったが、そのような少女時代だったために、人に嫌われたり要らぬ嫉妬もされてきた。
だが、嫌われたからといって特別下出にも出る訳でもないし無駄に自分を卑下したりもしない。ソラは”自分という乗り物”を嫌いではなかったし、考え方も悪くはないと分かっていたからだ。自分を偽ってまで誰かと仲良くしようとも思わなかったし、だからと言って人を嫌いとか好きとかそんなことを考えたこともない。というより、満遍なく誰とでも仲良くしたソラは、人を嫌いになれるほどクラスの誰かを深く知ることがなかったし、誤解を解くにはその人に聞く耳がないといけないのだ。しかし相手に聞く耳がない以上、ソラにはどうすることもできないのが現状だった。
玄関を開けてキッチンに入ると、母親が珍しく料理をしていた。
ソラ「あら、お母さん帰ってたの?」
「ただいま。お帰り。」お鍋の中の何かをかき混ぜながら母親は言った。
キッチンの吐き出し窓からウッドデッキに出てベンのブラッシングをし、外の水場で足を洗った後、首輪を外してやるとベンはキッチンの隅っこにある温かいベッドに横になった。そして体を丸くして顔だけ上げている状態でしばらく人を観察している様子だった。
母親と暮らすこの家は母親が28歳・父親が30歳の時に建てた小さな一戸建てだ。築30年の和風でもなく洋風でもない古くなりつつある家である。父親はソラが13歳の時に家を出て行った。ソラにとって母親はいつも仕事をしているイメージしかなく、こんなに早く帰ってきて料理をしている姿を見たことはほとんどない。ソラが14歳の時にはすでに、ソラが買い物へ出かけ料理をして母親の分をラップに包み冷蔵庫に保存していた。小学校以来食事を一緒にした覚えがないくらいだ。
母親はあまり有名ではないが女優をしている。普段は舞台ばかり出ているので、広く顔を知られていない。TVには出たこともあるが、普段外を歩いていて人が顔を見ても気づかれないし、たまに「見たことあるけど誰だっけ??」とか「知り合いだっけ?」くらいの人材である。
色んな役を演じてきた割には人の気持ちの分からない人で、特にソラには気持ちに沿ったアドバイスや言葉を投げかけてきてくれたこともない。どちらかというと、子供のような性格で自由奔放な人だった。
”子供は勝手に育つ”それが母親の言い分だったが、本当は面倒くさいだけだったのだろう。ソラはいつも自分で考えて自分でルールを決め、自分で解決するしかなかった。
ソラが自分の母親が子供っぽいということに気づいたのはつい最近のことで、子供の頃は母親とはそんなものだと思っていた。
犬の散歩を終えるとお風呂を掃除してから沸かして入り、あがるとストレッチをする。ストレッチは18歳からの日課だ。18歳のある日、TVでストレッチはとても良いことだと教わったからするようになった。
ストレッチの後、ただただぼんやりする時間を1時間ほど過ごす。本当になにもしない時間で、この時間がないとストレスがたまり生きてゆけない(と思っている)。1時間何も考えない時間を過ごすと次の1時間は色々考える時間と変化する。今がこうだから未来はこうなるだろうという想像の時間である。
今がこうなっているのは昔こうだったからで、それならば未来はこうなるだろうという予測をたてるのが趣味なのだ。その予測は、5年後、10年後本当に現実になったことがいくるもあるので、自分の考え方がさほどズレているものではないという確信があり、”自分という乗り物”が嫌いではないと思える要因でもあった。
しかしその日は、いつものようにストレッチを終えるとすぐに、部屋の扉の向こうから母親がごはんができたとソラを呼んだ。
いまさら二人で食べるなんて気恥ずかしいと思ったが、呼ばれた以上は行かないわけにいかない。
ソラはダイニングの椅子にぎこちなく座りテーブルに並べられた色とりどりの料理を見た。TVがニュースを流す中、母親はさあ食べましょうと促す。
TVを、それもニュースを見ながら食事なんてあまり乗り気がしなかったが、TVは母親が見たくてついているので、仕方なくそのまま食事をしはじめた。
TVのニュースが地元のコーナーになり、どこかの悪い人が神社の樹齢200年の杉の木に枯葉剤を注入し枝を切り落としたというニュースが流れた。
ソラはそのニュースのあまりのむごさに食事をする気が失せてしまった。ふと母親を見てみたが、気分悪くしている様子はなくパクパク食事を続けている。
動くことのできない200歳にもなる尊敬すべき大木が、たった数十年しか生きていない人間の手によりたった1夜で、痛々しい姿になってしまったことがソラにはとてもやるせない。
もしも一人なら大泣きしていたところだったが、母親と一緒に母親の作った料理を食べている以上それはできないと思い、我慢して味のしない食事を続けた。
母親と一緒にいると自由な自分を表現できない。母親はいつも自分のことしか考えない人で、子供みたいだったから自然とこちらが大人になってしまうのだ。ソラはそんな母親に反論もしないが、だからと言って譲る気もない。いつものように程よく距離がある方が本当は良いのだ。子供の時分は寂しかったものだが、今はもうそう思う。
母親に今日はどうしたのかと尋ねたが、特になんでもないというだけだった。ちょっと機嫌がよい日だっただけのようである。気分屋の母親に振り回されるのはこれが初めてではないから慣れてはいるが。
ソラの仕事は楽器屋の店長だ。店長といっても雇われだし非正規だから最終的な責任はない。それでもクレームはソラが受けるし、みんなより少しだけ給料が高いという利点があるだけで、他の人より働かなければならないと感じ一生懸命働いた。やり残したことがあれば、休みの日にサービス出勤することもある。
人に命令するのが苦手なソラは何かトラブルがあったら自分で処理してしまうし、従業員のみんなもソラを時々助けてくれた。それでもソラは人と深く付き合うことはしなかったから、仕事帰りに飲みに行くとか、プライベートの話を自らするようなことはなかった。
それが逆に若い従業員にとって心地よかったのかもしれない。職場の人間関係は悪くなく、ソラは集中してただ一生懸命に働いた。
しかし、いつもどこか空しかった。やはり、自分はそろそろ愛する人や自分の子供を作りたいと思っていた。
もう30だが、まだ30だ。これからまだまだ人生長いはず。その時、手に職もない自分が子供も育てず一体何をすることがあるというのだろうか?やはりどう考えても子育てというある意味”試練”がほしいと思った。
ソラにとって、天の試練は神の愛であり、自分が生きる証でもあるのだ。言葉にすらならなかったが、そういう感覚をずっと持って生きてきた。
ソラはいつも思っていた。神様はこの天にいると。小学校の時もよく神頼みをしたものだ。
父親が宗教の研究をしていたせいか、ソラも神や仏に興味がないわけではなかった。人はよく、試練を嫌がるが、試練のない人生ほど不幸なことはないはずだ。自分に試練がくるということは、神に「活きなさい」と言われているのと同等なのだ。
ソラは夜寝る前に星空を見るのが好きだった。そうすることで神と通信しているような気分になったからだ。幼少の頃は特に意味もなく空を見つめていたが、思春期あたりから何か決心がつきかねた時や悩み事があるとそうして空と相談してきた。
父親に見つかると部屋が寒くなるとよく怒られたものだ。
幼い頃見る夢と言えば空を飛ぶ夢が多かった。今でも少しだけ覚えているのは、高速で夜空を上がってゆく時の孤独な風の音と、雲を突き抜けるときの雲のぬくもり。夜空にたどり着いた時の独特の爽快感と一体感。そして妙な懐かしさだ。
しかしここ10年間くらいは、どういう訳かそんな夢も見ないくなったし、神の存在を感じることができない。まるで自分は神に見捨てられ、この惑星にぽつんと一人ぼっちにされてしまったかのようである。
友達ができなくて寂しかった思春期は、自分が双子だったらいいのにと考えたものだ。
そして30過ぎてますます、自分と人との隔たりを感じている。自分は何かが違う。
他の人たちのように誤解したまま次へ進むことに違和感を覚えることや、男子にからかわれると普通の女の子は追いかけて懲らしめるのに、自分の場合は悲しいと落ち込んでしまっていた。ソラにとって”からかい”はいわれのない憎悪を投げかけられる行為であり、友人に誤解されることは同じ人としてとても寂しいことなのである。それをそのままにして生きるということは苦痛でしかなかった。
ましてやさっきの母の様にあんなにむごいニュースを見ながら食事ができる精神力もない。あの時箸を止めない母親が不思議でならなかった。
しかし人の人の育った環境や性格があるのだから自分が分かることでもない。ソラは心が疲れると空を見てそんな思いにふけるのだった。
しかし、どんな人間に会おうとも、その人がそういう人なのであり人間全体を嫌いになったり、また都合よく好きになったりすることもない。それと同時に、これは悩みのひとつでもあるのだが、一人の男性を凄く好きになるということもなかった。
ソラにとってどう見ても恋は”偶然の出会い”であり”盲目の病”なのだ。今まで付き合って来た男性も付き合っているうちに馴れてきて心を打ち解けてきた。そしていい所と嫌な所をみつけて好きになっていった(というか馴染んだ?)訳だが、どんな人間にも良い所と嫌な所があるのは当たり前である。つまりたまたま出会った人というだけで、付き合っているうちに慣れ親しんだといった方が早い感覚なのだ。そしてそれは同時に、自分も特別な人間ではなく、地球という惑星のただの一部であるということでもある。
「もしかしたら自分は人を愛する能力がないのではないか?」と、悩んだこともあったが今はそう深く悩まないことにした。
その夜、ソラはニュースで見た200歳の傷つけられた大木のことを思い出し、心がいたたまれなくなり一人泣いた。
あの大木はもう死ぬだろう。それも、切られて一気に死ぬのではなく、誰かの悪意によってじわじわと殺されてゆくのだ。こんな屈辱はないだろう。今までの経験や歴史や大木の威厳や思い出も、たった一夜枯葉剤を投入されたことによって無残に死んでゆく。
新築の家になるわけでもなく公園のベンチになることもなく、神社に生まれたからといって人間に”神木”としてあがめられた後に、汚い手によって卑劣な手段で殺されてゆく。
もしも大木が動くことができたなら逃げただろう。もしも助けを呼べたら叫んだだろう。しかし、大木にはただそいつの悪意を受けるしかなかった。その時の悔しさや悲しみや、それまで積み重ねた200年間の思い出すらも、じわじわと殺されてゆく。もしかしたらまだまだ生きられたかもしれない大木が。ソラにはそのことがとても悲しくて仕方がなかった。
ソラにとって、犬の散歩の時間がなによりも楽しい。歩くことが楽しいし犬を触ることも楽しい。その日の天気や風や自然に触れることが楽しい。
そして人知れずこっそりベンを自由に走らせてやったときの喜びに満ちて走り回る姿を見るのが何よりも嬉しい。
犬以外にも動物が自由にしている姿は、ソラにとって何よりも癒しであり思わず顔がほころんだ。だからソラは、動物が好きなのに動物園へもペットショップへも行かない。この犬も生まれたからどうぞと人から譲ってもらったのである。
考えてみると、小さな頃からずっと動物を飼ってきた。もちろん親が飼っていたわけなのだが、そのせいかソラも動物が好きな女性に育った。生まれた時には犬がいた。ソラが5歳の時にその犬が亡くなると、次はウサギを飼った。その次は猫で次は金魚、次はハムスターやリスを飼い、大人になった今はこうして再び犬を飼っている。
ソラは植物も好きで、美しい花はもちろんだが特に好きなのは大木だ。大木は何年も同じ場所にずっと生えている。そのことは少々飽きっぽいソラにとっては尊敬に値する。
小学校の写生大会などでも、人物や人工物はほとんど描かず植物ばかり描いていた。ある日偶然、美術の先生と同じところに座って隣でその先生の描き方を見てその場で真似し、金賞をとったことがある。それまで1等賞とか金賞とかに縁がなかったソラにとってそれは快挙だった。それから益々写生大会では植物たちを描くようになり、先生の描き方を思い出して描き金賞をとり続けた。
公園のベンチの傍らにある大木の金色の葉っぱたちを見上げれば真っ青な空も目に入る。「今日は天気がいいなぁ」ソラは空の青さに感動して思わず独り言を漏らした。そして毎日がこんな日ならいいのにと思う反面、雨も降らないと困るよねと思う。
ソラはとても普通な人間だ。身長は160㎝中肉。髪は黒髪でストレートを肩らへんまで伸ばしている。IQは大抵120くらい。以前ネットでやった男女脳のテストでは男性脳が49%で女性脳が51%と、かろうじて女性脳であったがほぼ半分ずつといっていいだろう。これもまたネットでだが、内向的か外交的かのテストでは内向的でもあり外交的でもあるという結果が出た。
ブームには興味はあるがすぐには乗らない慎重派。曲はなんでも好きで、幼い頃おばあちゃんちに行った時は、祖父が演歌を聴いていると一緒に聴いたし昔のフォークやポップスも付き合って聴いたし、親に連れられてクラシックのコンサートにもよく行った。90年代の小室やR&Bも聴くし、つい最近の曲も聴くし洋楽も聴く。好きな歌手は、その時期に素晴らしい曲をなるべく沢山作ったアーティストであり、その人物を好きになったことはない。
好きな色も得にない。色のないモノなんてこの世に空気以外ないし、どんな色も意味があったりなかったりしてそこについているからだ。
好きな言葉もない。言葉に好き嫌いがあったらそれこそ大変だ。どんな言葉にも意味があってないのだから。
好きな作家もいない。素晴らしい本は素晴らしいと思うだけで、特定の作家が書いたから読むということはあまりない。逆に、顔や癖を知ってしまった作家の書いた物語は読みづらくなってしまう。
ソラには友達はいない。まぁ、友達がいないからこそこうして2時間もの犬の散歩ができるわけだが。
友達が欲しくない訳ではないができない。できない理由は分かっている。誰とでも満遍なく仲良くしてしまうからだ。まず女子が大好きな無駄な雑談というものができない。相談事を持ち出された日には、解決したいのだろうと考えてしまい合理的な発言をしてしまったのち、相談してきた女子がそれを欲していないことが分かるとどう接して良いか分からなくなり、徐々に縁が薄くなっていってしまうのだった。
とっさに気を利かせて話を広げるのも得意ではない為、”真面目”というレッテルを張られて孤立してしまうことが多かった。それでもいじめられたわけではなかったから何とか学校へ行っていたが、孤立感からくる寂しさは拭えなかったものだ。
大人になった今は仕事さえきっちりやっていればまぁなんとかやって行ける。職場が全てではないし嫌ならやめればいい。大人というものはよいものだ。決められた環境や与えられた物だけに縛られないでいいから。ソラは幼い頃からよく早く大人になりたいと思っていた。大人は好きなことを仕事にして自分の欲しい時に欲しい物を買えるから。と、そんな風に思っていた。
しかしいざ大人になってみると、好きな仕事には就いていないし、本当に欲しい物を手に入れられるほどの金額を実際に手にしたことはない。
それでも大人になった今はこうして、自分の意思で犬を飼うことを許され、自分の居場所を作ることを許され、なんとかまぁ職場は選べるし、自分の時間を作ることを許さている。そんなこんなで20代はまぁまぁな日々を過ごしてきた。
だが30代になった今は、そろそろ誰かのために生きたいと思うようになってきた。愛する人を探して愛する子供を産みたいと最近思う。女として生まれた以上は、やはり1度でも子供を産みその子供のために生きることが幸せなのではないかと。
仕事に疲れ始めているという本音もあるのも事実だ。今やっている仕事は立ち仕事&少し体力もいるので、ずっと長くやれる仕事ではないと薄々勘付いているのだ。学歴もなく手に職があるわけでもない。それは日本の女性として生まれたソラにとって今後一人でやってゆくには厳しい道なのだ。やはりこの国ではどう考えても結婚した方が有利だし、愛する者と家族を作り幸せになることもまたひとつの夢なのである。
自分のための時間を10年も過ごすと、そろそろ次は子供とかのために生きたいと思うのもソラにとっては自然なことでもあるし、人生の挑戦でもあるのだ。自分がちゃんと子供を育てることができるのかを、自分でも知りたいし、親のした失敗を繰り返さない自信も少しあった。子育てについては高校生くらいからよくノートに書いてまとめていた。それでも、その日その日に色んなことが起きて思った通りに行かないことも想像はついていたものだ。
ソラは子供の頃から未来を想像することや、こうしたらこうなる、ああしたらこうなるという原因と結果を考えることが好きだった。
陽も傾き、そろそろソラの苦手な西日の時間になろうとしている。
「ベン!そろそろ帰るよ!」ソラは大きめの声でベンを呼んだ。何かのにおいに気をとられてクンクン地面を嗅いでいたベンがソラのもとへ駆け寄ってくる。
ベンはとても利口な犬で、ソラの言うことはよく聞く。好奇心が旺盛だし犬同士とは仲良くするが、なぜか他の人間には警戒心が強く吠えてしまう。しかし噛むようなことは一切ない。
ソラはベンにリードをすると来た道とは別のルートで家路についた。
ベンはただソラの言うことを聞くだけではなく、人の気持ちを読み取る能力に優れ、ソラが「この部屋からは出ないでほしいなぁ」と思って生活しているだけでなぜかその部屋からは一歩も出ないし、餌の入った段ボール箱はベンが寝ている布団のすぐそばに置いてあるのに、留守中であろうとも主人がいる時間であろうとも、絶対につまみ食いをしたことがない。成犬になってからは、与えた物では遠慮なく遊ぶが与えられていない物では遊ばない。
排泄物は散歩の時にしかしないし、車でどこかへ出かけるときも、車のドアを開けると自分から飛び乗って入る。誰かが教えたわけではなく、ソラがそう思って行動すると読み取ってくれるのだ。そこはきっと主人であるソラに似たのかもしれない。
ソラもまた、頭がいいわけではないが吸収が早かった。親の言ったことを覚えていたので3度は同じ悪いことをしなかったし、小学校ではあまり成績はよくなかったものの小学5年くらいから中学3年までは先生の授業を集中して耳を傾けてノートもしっかり書いていたため、テスト勉強をしなくても最低80点は採れた。テストの問題を見ると先生の言っていた言葉や授業の場面が脳裏に浮かんできて、答えもおのずと出てくるからだ。
あまり成績のよくなかった友人に「勉強してる?」と聞かれた時、正直に「してない」と言ったのだが、そのせいで嫌われてしまったという理不尽な経験もある。
成績の悪い子は大抵、授業中に隣や後ろの人とおしゃべりしたり、こそこそメモ用紙をまわしたりして真面目にノートを書いている様子がなかった。本来は授業をちゃんと聞きさえすれば普通にできるのにしないだけなのだ。
自分はとても普通の能力しか持ってないし小学校2年の授業なんかでは、掛け算九九を覚えるのにさえ苦労したくらいバカだった。よっぽど周りのみんなの方がすぐに覚えていたものだ。
それがどういう訳か、少し成長したらみんな授業中におしゃべりばかりして、やろうとしないしきちんと聞いていない。それを私のせいにしないでくれと思った。
人の気持ちにも敏感だったソラにとって、友達がなぜ自分から離れてゆくのはを分かっていたとしても、自分が悪いわけではなかったので謝るわけにもいかないし、どうすることもできないのが常だった。反論する勇気もなかった。反論したらしたでそれに輪をかけて嫌われるに違いないと容易に想像できたからである。
とにかく、ソラはとても普通な能力の持ち主であったが、そのような少女時代だったために、人に嫌われたり要らぬ嫉妬もされてきた。
だが、嫌われたからといって特別下出にも出る訳でもないし無駄に自分を卑下したりもしない。ソラは”自分という乗り物”を嫌いではなかったし、考え方も悪くはないと分かっていたからだ。自分を偽ってまで誰かと仲良くしようとも思わなかったし、だからと言って人を嫌いとか好きとかそんなことを考えたこともない。というより、満遍なく誰とでも仲良くしたソラは、人を嫌いになれるほどクラスの誰かを深く知ることがなかったし、誤解を解くにはその人に聞く耳がないといけないのだ。しかし相手に聞く耳がない以上、ソラにはどうすることもできないのが現状だった。
玄関を開けてキッチンに入ると、母親が珍しく料理をしていた。
ソラ「あら、お母さん帰ってたの?」
「ただいま。お帰り。」お鍋の中の何かをかき混ぜながら母親は言った。
キッチンの吐き出し窓からウッドデッキに出てベンのブラッシングをし、外の水場で足を洗った後、首輪を外してやるとベンはキッチンの隅っこにある温かいベッドに横になった。そして体を丸くして顔だけ上げている状態でしばらく人を観察している様子だった。
母親と暮らすこの家は母親が28歳・父親が30歳の時に建てた小さな一戸建てだ。築30年の和風でもなく洋風でもない古くなりつつある家である。父親はソラが13歳の時に家を出て行った。ソラにとって母親はいつも仕事をしているイメージしかなく、こんなに早く帰ってきて料理をしている姿を見たことはほとんどない。ソラが14歳の時にはすでに、ソラが買い物へ出かけ料理をして母親の分をラップに包み冷蔵庫に保存していた。小学校以来食事を一緒にした覚えがないくらいだ。
母親はあまり有名ではないが女優をしている。普段は舞台ばかり出ているので、広く顔を知られていない。TVには出たこともあるが、普段外を歩いていて人が顔を見ても気づかれないし、たまに「見たことあるけど誰だっけ??」とか「知り合いだっけ?」くらいの人材である。
色んな役を演じてきた割には人の気持ちの分からない人で、特にソラには気持ちに沿ったアドバイスや言葉を投げかけてきてくれたこともない。どちらかというと、子供のような性格で自由奔放な人だった。
”子供は勝手に育つ”それが母親の言い分だったが、本当は面倒くさいだけだったのだろう。ソラはいつも自分で考えて自分でルールを決め、自分で解決するしかなかった。
ソラが自分の母親が子供っぽいということに気づいたのはつい最近のことで、子供の頃は母親とはそんなものだと思っていた。
犬の散歩を終えるとお風呂を掃除してから沸かして入り、あがるとストレッチをする。ストレッチは18歳からの日課だ。18歳のある日、TVでストレッチはとても良いことだと教わったからするようになった。
ストレッチの後、ただただぼんやりする時間を1時間ほど過ごす。本当になにもしない時間で、この時間がないとストレスがたまり生きてゆけない(と思っている)。1時間何も考えない時間を過ごすと次の1時間は色々考える時間と変化する。今がこうだから未来はこうなるだろうという想像の時間である。
今がこうなっているのは昔こうだったからで、それならば未来はこうなるだろうという予測をたてるのが趣味なのだ。その予測は、5年後、10年後本当に現実になったことがいくるもあるので、自分の考え方がさほどズレているものではないという確信があり、”自分という乗り物”が嫌いではないと思える要因でもあった。
しかしその日は、いつものようにストレッチを終えるとすぐに、部屋の扉の向こうから母親がごはんができたとソラを呼んだ。
いまさら二人で食べるなんて気恥ずかしいと思ったが、呼ばれた以上は行かないわけにいかない。
ソラはダイニングの椅子にぎこちなく座りテーブルに並べられた色とりどりの料理を見た。TVがニュースを流す中、母親はさあ食べましょうと促す。
TVを、それもニュースを見ながら食事なんてあまり乗り気がしなかったが、TVは母親が見たくてついているので、仕方なくそのまま食事をしはじめた。
TVのニュースが地元のコーナーになり、どこかの悪い人が神社の樹齢200年の杉の木に枯葉剤を注入し枝を切り落としたというニュースが流れた。
ソラはそのニュースのあまりのむごさに食事をする気が失せてしまった。ふと母親を見てみたが、気分悪くしている様子はなくパクパク食事を続けている。
動くことのできない200歳にもなる尊敬すべき大木が、たった数十年しか生きていない人間の手によりたった1夜で、痛々しい姿になってしまったことがソラにはとてもやるせない。
もしも一人なら大泣きしていたところだったが、母親と一緒に母親の作った料理を食べている以上それはできないと思い、我慢して味のしない食事を続けた。
母親と一緒にいると自由な自分を表現できない。母親はいつも自分のことしか考えない人で、子供みたいだったから自然とこちらが大人になってしまうのだ。ソラはそんな母親に反論もしないが、だからと言って譲る気もない。いつものように程よく距離がある方が本当は良いのだ。子供の時分は寂しかったものだが、今はもうそう思う。
母親に今日はどうしたのかと尋ねたが、特になんでもないというだけだった。ちょっと機嫌がよい日だっただけのようである。気分屋の母親に振り回されるのはこれが初めてではないから慣れてはいるが。
ソラの仕事は楽器屋の店長だ。店長といっても雇われだし非正規だから最終的な責任はない。それでもクレームはソラが受けるし、みんなより少しだけ給料が高いという利点があるだけで、他の人より働かなければならないと感じ一生懸命働いた。やり残したことがあれば、休みの日にサービス出勤することもある。
人に命令するのが苦手なソラは何かトラブルがあったら自分で処理してしまうし、従業員のみんなもソラを時々助けてくれた。それでもソラは人と深く付き合うことはしなかったから、仕事帰りに飲みに行くとか、プライベートの話を自らするようなことはなかった。
それが逆に若い従業員にとって心地よかったのかもしれない。職場の人間関係は悪くなく、ソラは集中してただ一生懸命に働いた。
しかし、いつもどこか空しかった。やはり、自分はそろそろ愛する人や自分の子供を作りたいと思っていた。
もう30だが、まだ30だ。これからまだまだ人生長いはず。その時、手に職もない自分が子供も育てず一体何をすることがあるというのだろうか?やはりどう考えても子育てというある意味”試練”がほしいと思った。
ソラにとって、天の試練は神の愛であり、自分が生きる証でもあるのだ。言葉にすらならなかったが、そういう感覚をずっと持って生きてきた。
ソラはいつも思っていた。神様はこの天にいると。小学校の時もよく神頼みをしたものだ。
父親が宗教の研究をしていたせいか、ソラも神や仏に興味がないわけではなかった。人はよく、試練を嫌がるが、試練のない人生ほど不幸なことはないはずだ。自分に試練がくるということは、神に「活きなさい」と言われているのと同等なのだ。
ソラは夜寝る前に星空を見るのが好きだった。そうすることで神と通信しているような気分になったからだ。幼少の頃は特に意味もなく空を見つめていたが、思春期あたりから何か決心がつきかねた時や悩み事があるとそうして空と相談してきた。
父親に見つかると部屋が寒くなるとよく怒られたものだ。
幼い頃見る夢と言えば空を飛ぶ夢が多かった。今でも少しだけ覚えているのは、高速で夜空を上がってゆく時の孤独な風の音と、雲を突き抜けるときの雲のぬくもり。夜空にたどり着いた時の独特の爽快感と一体感。そして妙な懐かしさだ。
しかしここ10年間くらいは、どういう訳かそんな夢も見ないくなったし、神の存在を感じることができない。まるで自分は神に見捨てられ、この惑星にぽつんと一人ぼっちにされてしまったかのようである。
友達ができなくて寂しかった思春期は、自分が双子だったらいいのにと考えたものだ。
そして30過ぎてますます、自分と人との隔たりを感じている。自分は何かが違う。
他の人たちのように誤解したまま次へ進むことに違和感を覚えることや、男子にからかわれると普通の女の子は追いかけて懲らしめるのに、自分の場合は悲しいと落ち込んでしまっていた。ソラにとって”からかい”はいわれのない憎悪を投げかけられる行為であり、友人に誤解されることは同じ人としてとても寂しいことなのである。それをそのままにして生きるということは苦痛でしかなかった。
ましてやさっきの母の様にあんなにむごいニュースを見ながら食事ができる精神力もない。あの時箸を止めない母親が不思議でならなかった。
しかし人の人の育った環境や性格があるのだから自分が分かることでもない。ソラは心が疲れると空を見てそんな思いにふけるのだった。
しかし、どんな人間に会おうとも、その人がそういう人なのであり人間全体を嫌いになったり、また都合よく好きになったりすることもない。それと同時に、これは悩みのひとつでもあるのだが、一人の男性を凄く好きになるということもなかった。
ソラにとってどう見ても恋は”偶然の出会い”であり”盲目の病”なのだ。今まで付き合って来た男性も付き合っているうちに馴れてきて心を打ち解けてきた。そしていい所と嫌な所をみつけて好きになっていった(というか馴染んだ?)訳だが、どんな人間にも良い所と嫌な所があるのは当たり前である。つまりたまたま出会った人というだけで、付き合っているうちに慣れ親しんだといった方が早い感覚なのだ。そしてそれは同時に、自分も特別な人間ではなく、地球という惑星のただの一部であるということでもある。
「もしかしたら自分は人を愛する能力がないのではないか?」と、悩んだこともあったが今はそう深く悩まないことにした。
その夜、ソラはニュースで見た200歳の傷つけられた大木のことを思い出し、心がいたたまれなくなり一人泣いた。
あの大木はもう死ぬだろう。それも、切られて一気に死ぬのではなく、誰かの悪意によってじわじわと殺されてゆくのだ。こんな屈辱はないだろう。今までの経験や歴史や大木の威厳や思い出も、たった一夜枯葉剤を投入されたことによって無残に死んでゆく。
新築の家になるわけでもなく公園のベンチになることもなく、神社に生まれたからといって人間に”神木”としてあがめられた後に、汚い手によって卑劣な手段で殺されてゆく。
もしも大木が動くことができたなら逃げただろう。もしも助けを呼べたら叫んだだろう。しかし、大木にはただそいつの悪意を受けるしかなかった。その時の悔しさや悲しみや、それまで積み重ねた200年間の思い出すらも、じわじわと殺されてゆく。もしかしたらまだまだ生きられたかもしれない大木が。ソラにはそのことがとても悲しくて仕方がなかった。