マイクロバブルを利用した超音波洗浄機
オリジナル超音波プローブの送受信テストーーautcor:自己相関の解析関数ーbispec:バイスペクトルの解析関数--(超音波システム研究所)
超音波の音圧測定解析--「R」フリーな統計処理言語かつ環境ーー autcor:自己相関の解析関数ーー(超音波システム研究所)
脱気ファインバブル発生液循環装置と超音波プローブによるメガヘルツの発振制御(超音波システム研究所)
超音波発振制御プローブの発振制御による、超音波洗浄器(42kHz 26W)の非線形制御実験(超音波システム研究所)
―ロボコンの教育的本質を明かす―
森政弘先生記念講演
「教育界へ言い残しておきたいこと―ロボコンの教育的本質を明かす―」
https://youtu.be/6E2cdVsbYwE

もの作りにとって大切なこと
「青森県八戸市立第三中学校で1996年11月から翌年2月にかけて、
4カ月間、目標に向かって懸命に努力し、
何回もの失敗や挫折を乗り越えてロボットを完成させるという、
苦しみと楽しみを体験した3年生生徒75名の感想文からの抜粋」には
もの作りにおける最も大切なことが現れていると思いましたので提示します

心の琴線をかき鳴らす技術教育
森 政弘(東京工業大学名誉教授)
1.意外な事実
筆者は、ロボットコンテストなるものを提唱し、
1989年以来その普及に熱を入れてきている。
ロボットコンテスト(以下ロボコンと略す)とは、
与えられた課題を遂行するロボットを創案し、製作し、
競技を行うというもので、テレビ放送もされており、ご覧いただいた方も多いであろう。
このロボコンは、初期はNHKによって、アイデア対決ロボットコンテストという番組名で、
大学や高等専門学校の学生を対象に行われていたが、1991年から中学校にも波及し、
今日では全国で約2000校ほどの中学校で、ロボコンは正規の技術科の授業として採用されている。
これはロボコンというものが、たんなる娯楽ではなく、
大きな教育力を備えたものであることがはっきりしてきたからであろう。
その実践の結果、教師は「よしやるぞ!」という情熱に燃え、
生徒は生きる喜びと感動を取り戻してくれ、「教育改革はロボットコンテストから」、
「登校拒否を下校拒否に変えるロボットコンテスト」、
「物作りは人作り」といった、いくつかの標語さえ生まれた。
普通には、温かさのある心とは対極の、冷たいものと思われている技術によって、
現実に温かい心が育っているのである。
その証拠を次に示したい。

2.感想文から
以下は、青森県八戸市立第三中学校で1996年11月から翌年2月にかけて、
4カ月間、目標に向かって懸命に努力し、
何回もの失敗や挫折を乗り越えてロボットを完成させるという、
苦しみと楽しみを体験した3年生生徒75名の感想文からの抜粋である。
15歳の少年の文章だということを念頭に、お読みいただきたい。
「苦しく楽しかったロボコンも、あっという間に過ぎ去ってしまった。
失敗ばかりして、もうやめたいと思った時もあった。
だけど成功したり、完成した時のうれしさは、今まで、味わった事のないものだった。
この気持ちは決して、お金で買えるようなものではなかった。
僕は、機械というものは、必ず動いて人間の役に立つものだと思っていた。
動かない機械は、役に立たないので、お払い箱にしていた。
しかし、このロボコンを通して、機械が好きになった。動かない物なら動かせばいい。
役に立たないなら、役に立つようにしてやろう、という考えをするようになった。
僕は、今回のロボコンを通して、機械を愛する心とすばらしさを学んだ。
これからまた多くの人生を通して、機械と知り合うかもしれない。
その時その機械をうまく使えば、よごれている、空気、水、大気、大地、を浄化できるかもしれない。
機械は、僕達のした事の、罪ほろぼしをも、やってくれるかもしれないのだ。」
読者はこれを読んでいかが感じられただろうか。
とくにアンダーラインの部分には、物に対する深い慈悲心が表れている。
この世に出現してきたからには、人であれ、物であれ、なんらかの出現意義がある。
世間ではしばしば「役立たない」というが、役に立たないのではなく役に立てないのである。
こういう深い人生哲学が、ロボコンに向けた懸命なロボット作りによって少年の身に付くのである。
「僕は、ロボコンを通していろいろなことを学びました。
自分の意見や他人の意見一つだけにとらわれずに、自分の意見と他人の意見を混ぜ合わせて、
さらにいいものを作っていくことが大切だということが分かり、将来のためにいい勉強になった。

僕は(葬儀で)ロボコンの本番の日には行けなかったが、
僕たちが作ったロボットは、りっぱに大会で動くことができた。
まるで自分の子供の運動会に行けなかった親のような気になった。
うまく言えないが、僕がその場にいなくても、その物に宿った僕の心が、
代わりに見て、ロボコンを体験してくれているのだと思う。
もっとも、この考えは勝手に僕が作ったものだが、この考え方で考えるとするならば、
僕は物を絶対にそまつにしたりできないだろう。今しきりに環境問題が叫ばれているが、
もし全人類がロボコンのようにすばらしい事を体験し、
何かに気がついたとしたら、自分だけではなく、他人や物にも思いやりが持てるようになると思う。」
互いに我を張り合ってゆずらないのが、人間一般の様ではある。
だから、「・・・自分の意見と他人の意見を混ぜ合わせて、さらにいいものを・・・」
の言葉には大人の方が赤面するではないか。

また、物を大切にせよと教えたわけではないのだが、
ロボット作りの過程においてロボットにわが心が乗り移り、
「・・・僕は物を絶対にそまつにしたりできないだろう」と言うまでに心境が成長している。
さらに彼は生きることに関する重要な「何か」に気付き目覚めたのだった。
いってみれば、これは少年としての小さな悟りではないだろうか。
「ロボコンをすれば、物を大切にすることができる。物を大切にできるということは、
人の気持ちが分かり、友達もふえ、学校に来るのも楽しみになり、不登校もなくなると思う。
下山先生はえらい。」とも書いている。
学校や先生にうらみを持つ報道が圧倒的に多い中にあって、先生への感謝の心を抱く生徒も多数育った。
この75名の感想文を分析すると、協力の大切さに気付いた生徒が55名、
精神集中の重要さ快さに気付いたが30名、以下、深い感動を味わった、
誇りを持てた、結果だけでなく過程の価値を知った、作った物に心が乗り移った、
創造の喜びを味わった、種々な物や事へ開眼した、
人生への自信が付いた、ごみが宝に見えだした・・・・
といったぐあいに、生徒たちの心が大きく育っていることが、実証されている。

3.物作りによる止観
ロボコンは、彼らを好ましい意味での夢中という状態に誘導する。
座学の授業では10分間ともたず保健室へ出ていってしまう生徒が、
ロボット製作では2時間もがんばり通す。「ロボットを作っているときは、時間を感じなかった。
気がつくと、いつも終わり5分前だった。それほど集中していた。」と書いている。
この状態は一種の三昧である。
ロボコンのためのロボット作りは、4カ月間だが、
彼らはその間「物作り三昧」ということを経験する。
もちろん、止観のような本格的な三昧とはちがうであろうが、
十五歳の在家の少年が体験する三昧(止)としては満足すべきであり、
その効果としての目覚め(観)も十分だと考えられる。
懸命夢中にロボット作りをすれば、生徒の表情が柔和に温厚になり、
素直になる。トイレのドアの開け閉めも、ひとりでに静かになる。
4.全国に広がり出した熱気
教育荒廃の今日、それを嘆く記事や論文は多いが、
具体的にどうすれば教育を救済できるのかという論調は見当たらない。
しかし有り難いことに、筆者やロボコン関係者は、
実証付きで教育救済の具体策を手に入れることが出来た。
少年が目覚め、物や先生やロボコンに感謝の気持ちを抱き、
生徒自身の口から「教育改革はロボットコンテストから」という、
歓喜に満ちた声が聞かれるという手応えは何ものにも代え難い。
それはおそらく、生徒たちの阿頼耶識という深層の心の琴線をかき鳴らす力が、
また技術科教師をしてハッスルさせるだけの手応えが、
ロボットコンテストには潜在しているからであろう。
今、ロボコンによる教育改革は、大きなエネルギーとなって全国に広まりつつある。
期待に胸がふくらむと同時に、責任の重さを痛感する次第である。
以上

「教育界へ言い残しておきたいこと―ロボコンの教育的本質を明かす―」
https://youtu.be/6E2cdVsbYwE

もの作りにとって大切なこと
「青森県八戸市立第三中学校で1996年11月から翌年2月にかけて、
4カ月間、目標に向かって懸命に努力し、
何回もの失敗や挫折を乗り越えてロボットを完成させるという、
苦しみと楽しみを体験した3年生生徒75名の感想文からの抜粋」には
もの作りにおける最も大切なことが現れていると思いましたので提示します

心の琴線をかき鳴らす技術教育
森 政弘(東京工業大学名誉教授)
1.意外な事実
筆者は、ロボットコンテストなるものを提唱し、
1989年以来その普及に熱を入れてきている。
ロボットコンテスト(以下ロボコンと略す)とは、
与えられた課題を遂行するロボットを創案し、製作し、
競技を行うというもので、テレビ放送もされており、ご覧いただいた方も多いであろう。
このロボコンは、初期はNHKによって、アイデア対決ロボットコンテストという番組名で、
大学や高等専門学校の学生を対象に行われていたが、1991年から中学校にも波及し、
今日では全国で約2000校ほどの中学校で、ロボコンは正規の技術科の授業として採用されている。
これはロボコンというものが、たんなる娯楽ではなく、
大きな教育力を備えたものであることがはっきりしてきたからであろう。
その実践の結果、教師は「よしやるぞ!」という情熱に燃え、
生徒は生きる喜びと感動を取り戻してくれ、「教育改革はロボットコンテストから」、
「登校拒否を下校拒否に変えるロボットコンテスト」、
「物作りは人作り」といった、いくつかの標語さえ生まれた。
普通には、温かさのある心とは対極の、冷たいものと思われている技術によって、
現実に温かい心が育っているのである。
その証拠を次に示したい。

2.感想文から
以下は、青森県八戸市立第三中学校で1996年11月から翌年2月にかけて、
4カ月間、目標に向かって懸命に努力し、
何回もの失敗や挫折を乗り越えてロボットを完成させるという、
苦しみと楽しみを体験した3年生生徒75名の感想文からの抜粋である。
15歳の少年の文章だということを念頭に、お読みいただきたい。
「苦しく楽しかったロボコンも、あっという間に過ぎ去ってしまった。
失敗ばかりして、もうやめたいと思った時もあった。
だけど成功したり、完成した時のうれしさは、今まで、味わった事のないものだった。
この気持ちは決して、お金で買えるようなものではなかった。
僕は、機械というものは、必ず動いて人間の役に立つものだと思っていた。
動かない機械は、役に立たないので、お払い箱にしていた。
しかし、このロボコンを通して、機械が好きになった。動かない物なら動かせばいい。
役に立たないなら、役に立つようにしてやろう、という考えをするようになった。
僕は、今回のロボコンを通して、機械を愛する心とすばらしさを学んだ。
これからまた多くの人生を通して、機械と知り合うかもしれない。
その時その機械をうまく使えば、よごれている、空気、水、大気、大地、を浄化できるかもしれない。
機械は、僕達のした事の、罪ほろぼしをも、やってくれるかもしれないのだ。」
読者はこれを読んでいかが感じられただろうか。
とくにアンダーラインの部分には、物に対する深い慈悲心が表れている。
この世に出現してきたからには、人であれ、物であれ、なんらかの出現意義がある。
世間ではしばしば「役立たない」というが、役に立たないのではなく役に立てないのである。
こういう深い人生哲学が、ロボコンに向けた懸命なロボット作りによって少年の身に付くのである。
「僕は、ロボコンを通していろいろなことを学びました。
自分の意見や他人の意見一つだけにとらわれずに、自分の意見と他人の意見を混ぜ合わせて、
さらにいいものを作っていくことが大切だということが分かり、将来のためにいい勉強になった。

僕は(葬儀で)ロボコンの本番の日には行けなかったが、
僕たちが作ったロボットは、りっぱに大会で動くことができた。
まるで自分の子供の運動会に行けなかった親のような気になった。
うまく言えないが、僕がその場にいなくても、その物に宿った僕の心が、
代わりに見て、ロボコンを体験してくれているのだと思う。
もっとも、この考えは勝手に僕が作ったものだが、この考え方で考えるとするならば、
僕は物を絶対にそまつにしたりできないだろう。今しきりに環境問題が叫ばれているが、
もし全人類がロボコンのようにすばらしい事を体験し、
何かに気がついたとしたら、自分だけではなく、他人や物にも思いやりが持てるようになると思う。」
互いに我を張り合ってゆずらないのが、人間一般の様ではある。
だから、「・・・自分の意見と他人の意見を混ぜ合わせて、さらにいいものを・・・」
の言葉には大人の方が赤面するではないか。

また、物を大切にせよと教えたわけではないのだが、
ロボット作りの過程においてロボットにわが心が乗り移り、
「・・・僕は物を絶対にそまつにしたりできないだろう」と言うまでに心境が成長している。
さらに彼は生きることに関する重要な「何か」に気付き目覚めたのだった。
いってみれば、これは少年としての小さな悟りではないだろうか。
「ロボコンをすれば、物を大切にすることができる。物を大切にできるということは、
人の気持ちが分かり、友達もふえ、学校に来るのも楽しみになり、不登校もなくなると思う。
下山先生はえらい。」とも書いている。
学校や先生にうらみを持つ報道が圧倒的に多い中にあって、先生への感謝の心を抱く生徒も多数育った。
この75名の感想文を分析すると、協力の大切さに気付いた生徒が55名、
精神集中の重要さ快さに気付いたが30名、以下、深い感動を味わった、
誇りを持てた、結果だけでなく過程の価値を知った、作った物に心が乗り移った、
創造の喜びを味わった、種々な物や事へ開眼した、
人生への自信が付いた、ごみが宝に見えだした・・・・
といったぐあいに、生徒たちの心が大きく育っていることが、実証されている。

3.物作りによる止観
ロボコンは、彼らを好ましい意味での夢中という状態に誘導する。
座学の授業では10分間ともたず保健室へ出ていってしまう生徒が、
ロボット製作では2時間もがんばり通す。「ロボットを作っているときは、時間を感じなかった。
気がつくと、いつも終わり5分前だった。それほど集中していた。」と書いている。
この状態は一種の三昧である。
ロボコンのためのロボット作りは、4カ月間だが、
彼らはその間「物作り三昧」ということを経験する。
もちろん、止観のような本格的な三昧とはちがうであろうが、
十五歳の在家の少年が体験する三昧(止)としては満足すべきであり、
その効果としての目覚め(観)も十分だと考えられる。
懸命夢中にロボット作りをすれば、生徒の表情が柔和に温厚になり、
素直になる。トイレのドアの開け閉めも、ひとりでに静かになる。
4.全国に広がり出した熱気
教育荒廃の今日、それを嘆く記事や論文は多いが、
具体的にどうすれば教育を救済できるのかという論調は見当たらない。
しかし有り難いことに、筆者やロボコン関係者は、
実証付きで教育救済の具体策を手に入れることが出来た。
少年が目覚め、物や先生やロボコンに感謝の気持ちを抱き、
生徒自身の口から「教育改革はロボットコンテストから」という、
歓喜に満ちた声が聞かれるという手応えは何ものにも代え難い。
それはおそらく、生徒たちの阿頼耶識という深層の心の琴線をかき鳴らす力が、
また技術科教師をしてハッスルさせるだけの手応えが、
ロボットコンテストには潜在しているからであろう。
今、ロボコンによる教育改革は、大きなエネルギーとなって全国に広まりつつある。
期待に胸がふくらむと同時に、責任の重さを痛感する次第である。
以上
