坐禅に生きた古仏耕山―加藤耕山老師随聞記 (1983年)
柳瀬 有禅 (著), 秋月 龍珉 (著)
「静寂」の真の意味
そこで、いろいろなお経を見ておりますと、こういうことばがあります。
「是心是仏、是心作仏」
「この心これ仏にして、この心仏をつくる」
とこういうことがいたるところに書かれています。
この心とは、自分の心です。
自分の心の中に仏あり、この自分の心が仏をつくるのであるということばです。
どのくらい仏さまがありがたいものでも、
われわれの生活の中に仏がいなければなんにもなりません。
生活の中にこの心これ仏であるとい信念ががっしりとしていれば、
生活がみんなこの仏作仏行という仏さまの日常生活になるわけです。
仏をいだこうといだくまいと、それは各人の勝手ですが、
仏は常におまえらはみな仏性あると、教えられている。
その仏性とはなにかというと、是心是仏、是心作心である。
心に仏を常にいだいて生活するということ、
これがわれわれの道である。
それが涅槃常住の道であると説かれている。
そうしてみると、刹那々々に最高価値の生活をすることは、
お互いの心に仏を生かしているということになります。
つまり一寸の時間も、
「心の中に仏の生活ができ得る」というようにお互いに自覚していく、
信念をもっていく、これがつまり静寂の生活です。
(二)自己の性能に目覚める道
むつかしい究むべき道はむろんあるけれども、
「日本全国みなこれ坐禅」といように、
ラジオ体操と同じような気になってやんなさるといいと思う。
ラジオ体操をわたしはいつもまねしたりするが、
ただこう手や足や別々だからな。
けれども一切余さずもらさず、身心ともに統制すると、
ほんとうのものに、自然に自分を調整するということになっては、
まずどうしても「坐禅」ですな。私はそう思っておる。
五分でも三分でも毎朝坐禅すればクセになると、
とっても気持がいいようになる。
雪隠に行って手を洗うと気持がいいでしょう。
洗わないと気持が悪い。
それと同じように、人間はすることをやると、
そういう気持が出てくるようになる。
坐禅しないと気持が悪い。
そういうものをつくってもらいたいな。
むつかしいことではないでしょう。
忘れるようでは、それは自分を忘れとる人だ。
自分の尊いこと、価値のあるということを忘れとる人だ。
自分はほんとうにそういう性能のある、
世界を動かすような尊い力が内にあるのだ、
ということを合点したら、ダダクシャになることはない。
自分を信じとらんから、いいかげんな虫けらと同じような気持になる。
いかんですね。自分を信じて、実に尊い、
神というか仏というか、それほど尊い存在である。
ダダクシャにしておいて、もちくずしておるからして、
力が発してこん。
ほんとに自分が尊いという信念が自分にスッと信じられたならば、
ダダクシャにしとれるものじゃないですな。
世の中の雑事というものが、最も生命を削る。
名利に囚われてよるも眠れんなどというふうなのが、
いちばんいけない。
神様とか仏様とかいうと、何か空中に妙なものがあって、
これを拝む、とこうなる。
ほんとうにそういうものがあるか知らんと思うて、
そいつにひっかかっている人があるが。
そんなものはほんとうはアテにならんですね。
それはいろいろな意味から、
そういう目標をそばに置かしただけのもので、
お釈迦さまの教えはそんなとこにはない。
めいめいの信心はようく自分が合点することで、
自分の身体にどういう性能があるか、
坐禅するに従って自分の価値が分かってくる。
そういう人はみな
「人格完成」(成仏)とお釈迦様が言っておられるがそのとおりじゃ。
まァそういうことを、
坊さんのすることを学者の方もしなさるといい。
発明的創造の心理学について
(TRIZ、ハイパーソニック・エフェクト、 ・・・)
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「超音波制御」方法
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