「神一厘の仕組み・探究学 ~神・世界秩序の始まり~小我」信仰の終焉から転載です。
我が国において、最大の数を誇る神社は「稲荷神社」です。その数は3万社以上に昇るとされています。次いで第二位が約2万社を誇る「八幡神社」です。ともに、かつて日本に渡来してきた「秦氏」が創建したとされています。一般的には、稲荷神社は「商売繁盛の神」、一方、八幡神社は「武運長久の神」であるとされてきました。
【八幡神社の総本宮 宇佐神宮】
「あれ?写真だめかぁ~」
稲荷神社に参拝に訪れる人は、その神社の性質上、どうしても「うちの商売が儲かりますように・・・」などといった、我欲のお願いを持って参拝に訪れる人が多かったことでしょう。いわゆる「小我」に基づく参拝です。拙著『銀河系からのメッセージ』の方にも書かせて頂きましたが、我欲の波動には悪霊を引き寄せる波動があります。よって、今までの神社、特に稲荷神社においては、そのほとんどが「悪霊社」に成り下がってきたと言われているのです。
今までは「人の世」でしたから、このような我欲のお願いをしたとしても、ある程度は許されてきました。人の我欲をエネルギー源にしてきた悪霊が、その願いを叶えさせてあげるケースもままあったわけです。しかし近年、それまで稲荷神社を支配してきた悪霊たちが、地球域から去っていったといいます。よって今後、稲荷神社において小我的な参拝を行ったとしても、全く無意味になってしまう可能性があるということです。
まぁ、どちらにしても小我的な参拝は、もはや意味をなさない時代に突入していますが、稲荷神社においては、その影響が特に顕著に表れるということでしょう。
なぜ、稲荷神社を支配してきた悪霊たちが地球域から脱出したかと言いますと、代わって八幡神社の「八幡神」が復活してきたためです。すなわち、悪霊にとっての天敵とは「武の神」なのであり、または「武人」であると言えるのです。「武人」といっても、暴力と復讐を肯定してきた、かつての「武士」とは多少趣きが異なります。すなわち現代に蘇った武士とは、「義人」であるということです。
実は悪霊とは、この義人が大嫌いなのです。なぜかと言いますと、自分がいつも考えないようにしてきた、己の中に潜む「偽善的な部分」を、目の前にいる義人によって、さらけ出されている気分にさせられるからです。すなわち義人とは、己の命をかけてまでも「大義」のために生きる存在であるために、悪霊にとっては、自分の生き方が否定されている気分に陥ってしまうのです。
義人は、この世に「神の世」を創るという「大義」のために生きているわけですから、エゴと自己保身のためだけに生きている悪霊とは、生き方が全く違ってくるのです。(いじめの本質はここですわナ。すなわち、自己保身のために、己の劣等感の隠蔽と、「俺はこんなにすごいんだ!」という優越感を得たいがために行われるということです。スケープゴートを見つけ、寄ってたかっていじめるわけですね。日月神示では、これを「外国魂」と呼んでいます。ただし、外国人の全てが外国魂ではありませんよ。)
しかし、悪霊といっても「神の分け御魂」であることには変わりはありません。よって、悪霊の魂の中にも「良心」というものが存在しており、その良心が反発を起こすために、そのような気まずい感情に陥ってしまうことになるのです。
多少、話が反れてきてしまいましたが、これからは「八幡神」に象徴される「義人」が活躍する時代です。ぜひ皆さんも、八幡神社に足を運ばれた際には、これまで生かして頂いたことへの感謝の意を捧げるとともに、絶対に「神の世」を地上に実現させますという、お誓いを立てて頂きたく思います。八幡神様は、このような「大我」に基づいた願いを叶えるためには、お力を貸してくれる存在であると言えるでしょう。
p.s.
今後、お子さんをお持ちの方で「七五三」に行かれる際は、「八幡神社」か「出雲系の神社(スサノオ尊、大国主尊)」が最も良いかもしれません。
転載以上