Woodのぼやき

大阪府枚方市の宇山サッカークラブでコーチをしてます。失礼な発言も多々ありますが、ご容赦ください。

Wカップの思い出(メキシコ大会)-その2

2005年08月17日 | サッカー日記
86年のメキシコ大会は、もともとコロンビアで開催されるはずだったそうです。しかし、開催できないとのコロンビアの大会組織委員会の回答で、メキシコに変更されたそうです。ただ、メキシコも直前の大地震で開催が危ぶまれました。

この大会で最も印象に残っているのは、準々決勝のブラジル-フランス戦です。若きCFカレッカ(後に柏レイソルでプレー)を要し、中盤にはソクラテスやジーコが健在(ジーコは怪我がちであまり出てなかった記憶が...)なブラジルと、将軍プラティニを要するフランスの激突は、Wカップ史に残る試合になりました。この試合途中出場したジーコは、すばらしいプレーを見せますが、折角GetしたPKをはずしたり、フリーのヘディングをはずしたりと、悲劇のヒーローになってしまいました。結局、PK戦の末、ブラジルの準決勝への道は絶たれました。ちなみにPK合戦で、PKをはずしたプラティニを慰めるジーコの姿が印象的でした。

準々決勝の4試合は、3試合がPK戦で決着しました。唯一、アルゼンチン-イングランド戦のみ、2-1でアルゼンチンの勝利でしたが、この試合、マラドーナの神の手をハンドと判定されていたら、全試合PK戦だったかも。やはり、メキシコ大会では、この試合に触れないわけには行きません。対戦前から、フォークランド紛争で戦争をしていた両国ですから、ヒートアップするのは必死と思われていました。しかし、試合のほうはフェアに進みます。あのプレーを除いては...。

この試合には、語り継がれる2つのマラドーナ伝説があります。一つは、神の手によるゴールです。もう一つは、その数分後に起きた7人?抜きドリブルゴールです。しかし、それ以上に、瞬発力あふれるドリブルで簡単に相手を抜き去ったり、イマジネーションあふれるパスを繰り出したり、まさにマラドーナは観客を魅了し続けました。2点をリードされたイングランドは、リネカーが得点を挙げ一矢報いますが、それまででした。しかし、リネカーはこの得点で、この大会の得点王になります。数年後、Wカップの得点王がJリーグ(グランパス)でプレーをするのですから驚きです。ちなみに、次のイタリア大会の得点王スキラッチもジュビロでプレーしました。

準々決勝で勢いに乗ったアルゼンチンは、決勝でも西ドイツを下し、優勝します。西ドイツも検討し、ルンメニゲなどの活躍で一旦は2-2の同点に追いつきます。さすがゲルマン魂。が、すぐにマラドーナ⇒ブルチャガのホットラインにやられてしまいました。さすがに、追いつく力は西ドイツには残っていませんでした。しかし、このときの雪辱は、次回の決勝で晴らすことになります。

この大会の試合やダイジェストは、VTRに記録していたのですが、その頃私が所有していたVTRはβだったので、VHSとの競争に負けて、今や録画したテープはただのゴミになってしまいました。数年前の引越しの際に、泣く泣く廃棄してしまいました。残念! さて、このWカップですっかりアルゼンチン代表にかぶれてしまった私は、チームのユニフォームをアルゼンチン代表のレプリカに変えてしまいました。写真前列左から3人目が私です。今は遠方へ転勤されましたが、宇山SC設立時にコーチとして参加いただいた方も写っています。懐かしいですね。

最新の画像もっと見る